Boundary Control
本書は、副題がSubnational Authoritarianism in Federal Democraciesとなっていて、まさにテーマはこの通り。主題であるBoundary Controlは、要するに地方で独占的な権力を持つ政府が、いかにして自分たちと他の政府(基本的に中央政府)との境界線をコントロールするかということを意味している。Subnational Authoritarianismというのはやや分かりにくい話だが、直訳的に下位政府における権威主義として理解するよりも、下位政府(地方政府)で圧倒的な政党/政治家が持続的に権力を保持する/しようとする状態、として理解した方がわかりやすいように思われる。
本書は、何というかこれまでの民主化研究よりも、さらに「民主化」の内実を実体的に議論しようとしたものであると考えられる。しばしば「民主化」に関する指標は国単位で作られるわけだが(例えばPolityとか)、著者が指摘するように、多くの国(特に連邦国家)においては地方政府ごとに民主化の進展度合いが異なるということはありうる。連邦政府で考えれば、例えば経済が発展した首都近辺の州では民主化の度合いが高いのに対して、首都から遠く経済状態も悪いような地域では人権に対する脅威が懸念されるような状況があるということ。本書は、このような状況について、特に連邦国家において持続的かつ抑圧的な地方政府・政権について分析したものとなっている。
ポイントは、それぞれの地方政府の問題ではないということ。つまり、著者が論じるSubnational Authoritarianismが出現する要因は、ひとつには地方政府への分権の度合いがあり、もうひとつに地方から中央へ過剰に代表されているところがあることとなっている。後者はわかりにくいが、例えば「一票の格差」問題で言われているように、人口の少ない地域から人口の割に多くの代表が選出されているということである。二つ目の要因の結果として、数ある地方政府の間に代表の非対称が存在することになる。で、著者はこの2つの要因が重なる地域の特徴をhigher peripheralization(高度な周縁化)と呼んでいる。ざっくり言うと、高度に周縁化されている地域が存在すると、Subnational Authoritarianismが出現しやすいということになる。
本書で議論されているのは、このSubnational Authoritarianismがどのように出現するのかということと、それがどのように解消されうるか、ということ。まず前者については、地方政府への分権が進んでいる地域(19世紀アメリカ(南部)、アルゼンチン)では権限を持っている地方政府が法的に競争相手を締め出し、権威を確立していくことになる。例えば、黒人の参政権を実質的に奪う手法(有権者登録に学習要件を課すとか)とか、野党の結集を阻む選挙制度(ley de lemas)とか選挙区割りとか。他方で、地方分権がそれほど進んでいなければ(メキシコ)、競争相手を排除する方法はしばしば非公式・非制度的な手法になる。重要なのは、地方政府がこのようなかたちで競争相手を排除しようとするとき、連邦政府がそれを制止しないということである。なぜなら、高度に周縁化された地域は連邦政府が権力を握る政権政党あるいは政権政党に対抗しようとする野党の重要な拠点になっていて、そこで連邦政府が介入して競争相手を排除するのを止めさせると、国政政党の党勢を衰えさせてしまう可能性があるから、ということになる。
次に、このSubnational Authoritarianismがどのように解消されうるかについては、2つの可能性があると論じられている。ひとつは連邦政府の介入(Center-led)であり、もうひとつは地方政府内部での競争勢力の勃興による政権交代(Party-led)である。連邦政府の介入が起こるのは、地元での人権問題が極めて激しくなった時に、シャットシュナイダー的な紛争の拡大が生じ、中央政府が介入せざるを得ない状況が生まれたときとして議論される。他方で地方政府内部での政権交代は、そもそもSubnational Authoritarianismが存在していたら起こりにくそうなもんだが、これも国政レベルとの関係が重要で、国政レベルで競争する野党が、地方政府政権政党の派閥争いに乗じるようなかたちで政権交代を起こすことが議論されている。ちょっと注意すべき点は、本書でも議論されているように、連邦政府からの介入で全てが解決するわけではなくて、介入のあとの権力の空白においてSubnational Authoritarianismを築いていた勢力が引き継ぐ可能性があって、そこでは継続的なParty-ledの政権交代への挑戦が必要になる、という話となっている。
完全にベタッとした記述で進められていて、計量的なデータが示されているわけではなく、仮説はアドホックな感じがするし、実証分析の方法論への疑問はかなり残る。なぜこの3つの地域を選んでいるのかという記述が十分ではないと思うし。しかしながら、取り扱うテーマは非常に魅力的だし、正直読んでいる時に先にやられたなあ、と思ったところ。専門的に勉強しているわけではないが、この数年東南アジアの研究と少し触れる機会がある中で、地方分権が進むことで逆に地方レベルで「異常に」強い権力が出現している感じを受けており、これはきっとテーマになるだろうなあ、と考えていたので。
さらに、実は本書の問題意識は日本を考える上でも重要になる。日本では中選挙区時代、分権の度合いが低い単一国家ではあったものの、農村部が過剰代表されているところはあり、さらに農村地域の地方議会における中/大選挙区制によって実質的に自民党以外の政党は排除されていた。「一票の格差」の是正だけで定数不均衡が本質的に是正されない中選挙区制のもとで地方分権を進めることは非常に大きな危険性をはらんでいたと考えられる。現在の日本では、地方分権が進む一方で、小選挙区制が導入されて農村地域の過剰代表は是正されつつある。ここのところは軽々に議論できないけど、小選挙区制導入によって人口と比べて過剰代表される地域は少なくなったが、単純に都市地域に住む人が多いので都市部が農村部に比べて大きく代表されることで逆に都市部でのBoundary Controlという問題を考えるべきなんだろうか。
- 作者: Edward L. Gibson
- 出版社/メーカー: Cambridge University Press
- 発売日: 2013/03/07
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