『日韓国交正常化交渉の政治史』ほか

大阪市立大学の金恩貞先生から『日韓国交正常化交渉の政治史』をいただきました。どうもありがとうございます。外交交渉の議論は専門外ではありますが、外務省と大蔵省の対立を軸に日本政府の政策過程を中心に扱っていることもあり、非常に興味深く読むことができました。本書の最後でも少し論じられているように、日韓国交正常化に至る交渉とその背景にあるアイディアは、おそらく現在の難航する日韓交渉にも通底するものなのだと思います。

本書では、日本のみならず韓国・アメリカの外交史料を駆使しながら議論が組み立てられていますが、基本的には日本政府の側から交渉の経緯を追うかたちになっています。そこでポイントとなるのは、日本政府が当初から掲げていた法律論的な考え方です。あえてまとめると、日本による韓国併合は正当な手続きを経たものであり、その後に蓄積されていった韓国国内での(日本の)私有財産は保護されるべきものである、終戦期にその資産が没収されていったことは違法であり、日本(政府と国民)はその財産に対する請求権を持っている、という感じでしょうか。大蔵省は、このような請求権があるうえに、韓国から日本に対する請求権についても厳密な根拠がないものは支払わない(査定官庁!)という方針を取ることで、日本から韓国に支払うべき補償は多くならないと主張ていたわけです。

こういう法律論が出てくる背景には、他の国(主に西欧諸国)における植民地の精算の経験があって、そういう旧宗主国は「合法的に」植民地で私有財産を蓄積してきたのだから、日本だって同じだろうという理屈があります。日本からみたら、アメリカなんかもそういう理屈には反対しにくいだろう、と。とはいえ、第二次大戦によって敗北した帝国主義植民地主義という面もあるわけで、連合軍によって「解放」された韓国の方は、植民地支配自体が不法だと考えて、そんな請求権を認めるわけにはいきません。むしろ日本の不法な植民地支配の清算を請求する立場を取ります。大蔵省の査定に対しても、そもそも支配や戦争の中で資料を用意することなんてできないんだから、と。

そういう対立の中で、日本政府の中でも外務省(アジア局)は冷戦構造を所与にして韓国の反共と早期の経済発展を望むアメリカと歩調をあわせつつ、合意できるラインを探して努力します。日本としても自由主義陣営の仲間として韓国と協調する必要があるし、韓国としても国内から批判があっても厳しい経済状況の中で復興・経済開発のための資金が必要になるわけで、法律論や植民地支配の清算とは別に合意の余地があるわけです。その日韓交渉の過程では、岸信介大平正芳といった政治家の役割が強調されることが多いわけですが、本書では上記の法律論から出発して、請求権の実質的な相互放棄+一定の対韓援助、そして最終的な経済協力方式へと交渉をまとめ上げたアジア局の役割を評価するものになっています。政治家も重要ではありますが、あくまで外務省と同じ方向を向いたときにそのリーダーシップが発揮されるという評価になっています。

詳細はお読みいただきたいところですが、こういった難しい交渉の過程を上手に再構成した本書は、現在の難航する日韓交渉にも貴重な含意があるように見えます。韓国が経済成長していったことで韓国側から妥協して合意する余地は薄れた上に、「落としどころ」を伝える仲介者としてのアメリカももはやいないように見えます。最近では徴用工問題など、実質的に放棄したはずの請求権に基づいて補償を求める動きもあって、これなどは日本側から見れば最終的な解決をしたはずの問題の「蒸し返し」にほかならないわけですが、それは両国の問題の始点を近代化以降に求めるか、終戦時点に求めるかという立場の違いによるものでもあります。そのような合意が簡単ではなく、日韓国交正常化の合意を可能にした条件の多くが失われているであろうことを考えると、その難しさは増すばかり、ということを本書は非常に上手に伝えているように思います。 

日韓国交正常化交渉の政治史

日韓国交正常化交渉の政治史

 

 その他にもいくつか書籍を頂いておりました。まず成蹊大学の高安健将先生からは『議院内閣制』をいただきました。ありがとうございます。ウェストミンスターモデルと呼ばれる議院内閣制の典型であるイギリスについて論じつつ、近年の権力分立的な方向性を評価するような議論、というかたちでお聞きしました。日本の方は埋め込まれていた権力分立的なところを残しつつ、ウェストミンスターモデルを志向したというようなところがあるように思いますが(なので無理も出てくる)、含意も含めて興味深い本だと思います。

議院内閣制―変貌する英国モデル (中公新書)

議院内閣制―変貌する英国モデル (中公新書)

 

やはり成蹊大学の今井貴子先生からは『政権交代の政治力学』をいただきました。ありがとうございます。博士論文をもとにしつつ、最近いらっしゃっていた在外研究の成果を活かしたものだと思います。ウェストミンスターモデルを考えるときに政権交代は欠かせない要素になりますが、日本ではまだそれが端緒についたばかりで、イギリスに学ぶところは非常に多いと思います。高安先生の本と合わせて勉強させていただきたいと思います。ていうか成蹊大は本当に各国政治の専門家がすごいですね!

政権交代の政治力学: イギリス労働党の軌跡 1994-2010

政権交代の政治力学: イギリス労働党の軌跡 1994-2010

 

東京大学の金井利之先生からは『行政学講義』をいただきました。ありがとうございます。「被治者」としての立場から統治を見るというかたちで行政を論じられているということです。在外研究から戻るとすぐにまた行政学の講義をすることになりますので、ぜひ勉強させていただきたいと思っております。 

行政学講義 (ちくま新書)

行政学講義 (ちくま新書)

 

大阪大学の上川龍之進先生からは『電力と政治』(上・下)をいただきました。ご一緒した『二つの政権交代』でも電力と政治について論じられていますし、東日本大震災研究で原発や電力の問題を扱われてきた成果だと思います。副題の「日本の原子力政策 全史」というのは本当に壮大ですが、非常に精緻に政策過程を追うことができる上川先生が二巻本で書かれているわけですから、まさにそのとおりのものとなっていると思います。読むのがとても楽しみな一冊(二冊)です。 

電力と政治 上: 日本の原子力政策 全史

電力と政治 上: 日本の原子力政策 全史

 
電力と政治 下: 日本の原子力政策 全史

電力と政治 下: 日本の原子力政策 全史

 

立命館大学の佐藤満先生からは『政策過程論』をいただきました。ありがとうございます。立命館の政策科学部関係のみなさんで書かれている教科書のようです。目次を見ると、理論と事例に分かれていて、理論の方は割とクラシックな感じはしますが、よく考えたらそういう理論をまとめてる公共政策の教科書ってあんまりなかったような気もします。また勉強させていただきたいと思います。

政策過程論―政策科学総論入門

政策過程論―政策科学総論入門

 

最後に微妙な宣伝ですが、一応共著というかたちで2章ほど協力したJapan's Population Implosionが出版されました。以前に出版された『人口蒸発「5000万人国家」日本の衝撃』の英訳ですが、前回と違って今回は共著者として名前が出ることもあり、日本語版よりも手が入っているような気がします(編集過程はいろいろ大変でしたが…)。都市計画と地方財政制度や選挙制度の話を扱っているもので、時期的には最近やってる研究の初期の議論をまとめたもの、という感じでしょうか。 

Japan’s Population Implosion: The 50 Million Shock

Japan’s Population Implosion: The 50 Million Shock

 
人口蒸発「5000万人国家」日本の衝撃──人口問題民間臨調 調査・報告書

人口蒸発「5000万人国家」日本の衝撃──人口問題民間臨調 調査・報告書

 

 

『平成デモクラシー史』ほか

ちょっと東京に戻ったときに,日本経済新聞社の清水真人さんから『平成デモクラシー史』を頂いておりました。ありがとうございます。あとがきに書かれている問題意識にもありましたが,特に民主党政権までのあたりについては,大きな枠組みをもとにこれまでのお仕事を再構成されていたようなところもあると思います。その中でも,個人的には民主党政権がどういう意思決定プロセスを取るべきだったかという議論が面白かったです。本書の中では「ドイツ式」というような方法の可能性が議論されていましたが,議員(と国会)の自律性を極端に高めるわけでもなく,さりとてイギリスのように政党規律で押し通すのではないようなやり方を考える必要があるのだと思います。このあたりは,清水唯一朗さんが博論をもとにした本で論じられていた戦前の話とも連続するところなのだと思いますが,制度化を考えるとなかなか簡単な話ではないんだろうなあという感想を持ったところです。

最後の安倍政権のところも,知らない事実が多く非常に興味深かったです。安倍内閣ではやはり内閣の凝集性が高くなっていると思われますが,これは政党規律の向上を背景に総理大臣から大臣への委任(と大臣から官僚への委任)がうまくコントロールされているのか,あるいは大臣への委任よりも総理が直接官僚をコントロールする形が強まっているのか(内閣組織の拡大?)というようなことを考えるところです。制度改革によって政党規律が高まっていることだけではなく,内閣/総理のキャパシティ・ビルディングが進んでいるということもあるんだと思います。両者がそもそも峻別できるのかはよくわからないところもありますが。
久しぶりに民主党政権期の話を読み,そこから安倍政権の話を読むと,政党陣笠議員のフォロワーシップが重要というのはもちろんですが,そもそもリーダーをどう選ぶか,リーダーをどうコントロールするかというのが極めて重要な問題なのだなあと思いました。日本だと何となく衆目の一致するリーダーみたいなのが作られていくような気がしますが,民主党トロイカに典型的なように,そういう人たちの変に自律的な行動が組織を毀損するということはしばしば起こっているような気がします。それもある意味(党内の)選挙制度の話なのかもしれませんが,小泉氏はともかく,今回の安倍氏は政権が続く中で自民党議員たちが自分たちで(やむを得ずでも)選んでるリーダーであるということを再確認しているような印象があって,それが民主党系の野党とは大きく違うような気がしました。

平成デモクラシー史 (ちくま新書)

平成デモクラシー史 (ちくま新書)

 
政党と官僚の近代―日本における立憲統治構造の相克

政党と官僚の近代―日本における立憲統治構造の相克

 

この間溜まっておりましたが,大学にいくつか書籍を送っていただいておりました。まず東京大学鹿毛利枝子先生からWho Judges?を頂いておりました。日本の陪審員制度の導入を中心に司法制度の比較分析をされている本です。鹿毛先生は一冊目に続きケンブリッジ大学出版から ご著書を出版されるということで,これは本当にすごい!司法政治は個人的にもいつかやってみたいと思うテーマなので,日本に戻ったらぜひ勉強させていただきたいと思います。

Who Judges?: Designing Jury Systems in Japan, East Asia, and Europe

Who Judges?: Designing Jury Systems in Japan, East Asia, and Europe

 

首都大学の松井望先生からは,『自治体政策法務の理論と課題別実践』を頂いておりました。行政法学の鈴木庸夫先生の古稀記念論文集ということで,行政法系の方が執筆されているようです。取り上げられているテーマはかなり多岐にわたっていますが,松井先生は受動喫煙防止規制というホットなテーマで書かれているようです。 

自治体政策法務の理論と課題別実践-鈴木庸夫先生古稀記念

自治体政策法務の理論と課題別実践-鈴木庸夫先生古稀記念

 

中央大学の横山彰先生からは,『日本の財政を考える』を頂いておりました。ありがとうございます。財政再建社会保障・税制・地方財政の4部構成になっているテキストです。行政学の授業ではやりたいもののなかなか扱いにくい財政の各論について書かれているようで,たとえば行政学の副読本みたいな感じでもいいのかもしれません。

日本の財政を考える

日本の財政を考える

 

名古屋大学の川島佑介先生からは,『都市再開発から世界都市建設へ』を頂きました。ありがとうございます。博士論文を書籍にされたもので,ロンドン・ドックランズの再開発を論じられています。川島さんは都市政治や防災の分野でも興味深い仕事をされていてそちらはよく読んでいたのですが,博士論文の方は未読でしたので楽しみに読ませて頂こうと思います。

都市再開発から世界都市建設へ ――ロンドン・ドックランズ再開発史研究

都市再開発から世界都市建設へ ――ロンドン・ドックランズ再開発史研究

 

 同志社大学の山谷清秀先生からは『公共部門のガバナンスとオンブズマン』を頂きました。ありがとうございます。オンブズマンを通じた救済制度についてまとまった研究ってなかなか思いつかないので,重要な貢献だと思います。これは以前に頂いた橋本圭多さんのご著書と同じシリーズということでしょうか。だとすると大学の支援もあるのかなあと思いますが,博論を出して,それを書籍化するというのをシステマティックにやられるとしたら結構すごいことですね。

山田真裕先生と前田幸男先生からは,『「日本人」は変化しているのか』を頂きました。ありがとうございます。3つの大規模な国際比較調査データを用いて,日本人の価値観などを中心に分析が行われているようです。「価値観」というのはしばしば思い込みや固定観念で議論されてしまいやすいところですが,データに基づいた信頼できる研究が発表されるのは素晴らしいことだと思います。

 

地方議会に非拘束式比例制を導入するとどうなるだろうかー疑問にお答えして

大佛次郎論壇賞を受けたことで,先日朝日新聞に割と長い寄稿を行う機会を頂きました。これまでも同じ朝日新聞の「耕論」欄や日本経済新聞の「経済教室」欄で割と長い寄稿の機会を頂いて,地方議会の選挙制度の問題点について触れることがありましたが,残念ながら具体的にどういう案があるかということに触れるほどの紙幅はなかなかありませんでした。ただ先日「経済教室」欄にそのようなことを書いたこともあり,今回はせっかくなので提案についてなるべく具体的に書いてみることができました。基本的には,2015年に『地方議会人』という業界誌(?)に書いたものを縮小したものです。より具体的にはこちらをどうぞ。校正前原稿です。

具体的に非拘束式の比例制を導入してはどうか,と書いたこともあり,大変ありがたいことに,ツイッターで見る限りですが当事者である地方議員の方からも反応を頂きました。検索で確認できた範囲でのコメントとしては,地方議会の問題はその通りだと思うけど/国政との連動を強調するのは疑問,というものが多かったと思います。現に地方議員として活動されている方々から見ればもっともなお話で,できる範囲でお応えすべきではないかと思いブログを書こうと思いました。

地方議会で比例制を入れたときに,国政との具体的に関係がどうなっていくか,という問いについては,大変残念ですが確定的なことは言えないというのがまず申し上げるべきことだと思います。現状の選挙制度に問題が大きく,その問題を緩和しつつ,移行可能性の高い,よりマシな制度を考えるべきではないかというのが私の基本的なスタンスです(このあたりのスタンスについては,九州大学の岡崎先生のブログで少しお話したことがあります)。現行の衆議院総選挙での小選挙区比例代表並立制を維持するのであれば,地方議会でも小選挙区制や完全連記制が考えられると思いますが,選挙区割りをしたり議員定数削減をしたりする必要が出るでしょうし,同じような多数制である首長との役割分担をどう考えるかも難しくなります(このあたり,『地方議会人』の原稿にもう少し詳しく書いています)。

やや余談ですが,実は滞在先のバンクーバー市(人口60万弱)は,首長と市議会が並立し,市議会は定数10の完全連記という制度を採用していて,それを見るに個人的には議員定数をかなり削減して完全連記というのはアリだと思っているのですが,日本で人口60万だと50人近くいる議員を一気に40人も減らすのは政治的にあまり現実的とは言えないだろうと。また二桁の議員を完全連記で選ぶというのは,有権者に過度の負担を与えることが予想され,私にはこれも現実的とは思えません。

小選挙区制の導入で二大政党制ができる」みたいなことを言えればいいのかもしれませんが,それができないのは,国政で多数制/地方で比例制というのは例が少なく,その効果を予想するのは難しいからです。有名なところだと,国政が小選挙区制のイギリスで,スコットランドでは日本でいういわゆる連用制を使っている例がありますが,この連用制ではSNPが相当議席を取っていて,かなり小選挙区部分が強く効いているように見えます。これも滞在中のブリティッシュコロンビア州で比例制導入の議論をしてますが,ぜひその効果を見てみたいものです。

 その中であえて効果を予測するとすれば,日本の場合ポイントになるのは長の強さだと思います。長が強い影響力を持つところでは長とあゆみを同じくする地方政党みたいな政党がある程度議席を取るのではないかと思います(もちろん前提として,簡単にでも地方政党/議員グループを法定する必要があります)。また,潜在的な長の候補となるようなスター議員候補者(たくさん票を獲って仲間に分けることができる)を持つ地域政党も同じような理由で生まれるでしょう。つまり,得票の源泉になるようなところが重要であって,それが地方レベルであれば一定の議席を獲得する地方政党の伸長が予想されるわけで,その時のカギが長の職だろうということです。そうやってできる地方政党は,必ずしも国政政党との一貫した連携関係を持たないでしょうし,むしろ地方政党が支持する国政政党を選ぶという場面が出てきても不思議ではないと思います。

他方,国政レベルでの政党ラベルを票の源泉とするなら国政政党が地方でも伸びても不思議ではありません。現在の地方財政制度を前提に考えると,補助金に頼らざるを得ない地域では,国政の政権党との関係が重視され,そことのパイプを持つ政党(まあ国政与党ですね)が強くなる可能性があると思います。国政野党はどうするんだ,ということですが,これは『分裂と統合の日本政治』でも議論してきたところですが,政策的なプログラムで票を集める戦略を採らざるを得ないので,それで戦えるのはまずは都市地域となるように思います。それでも現在の分裂状況よりは一貫した戦略を持って戦いやすいのではないかと思います。

ご批判いただいた「連動」という表現ですが,私自身は,どのような選挙制度の組み合わせをとっても「連動」は生じると考えています。もちろん現在の制度でもそうで,それは国政与党と国政野党が非対称なかたちで「連動」することになるという理解です。「連動」を国政政党の影響力増大と理解するならば,特に野党の地方議員にはそのような特定のかたちでの「連動」が起きにくいのが現在の組み合わせだろう,と。つまり私の理解は,どうせ「連動」が生じるならば,もう少しこのような非対称を緩和するかたちでの「連動」を考えることが,制度改革の必要性を生み出している理由のひとつだという理解です。

ツイッターのコメントでも納得する部分があると言っていただいているように,本筋は地方議会自体の機能不全をどうするか,というのが重要な議論です。ひとつには,寄稿で論じたように,当選に必要な得票数をあげることによってアカウンタビリティを高めるということがあります。さらには私自身が『地方政府の民主主義』や『大阪』で継続的に論じてきたことですが,地方議会で議員候補者の当選の閾が低いためにどうしても関心が個別的利益によってしまうこと,そしていわゆる二元代表制のもとで地域全体の集合的利益が首長に一元的に代表されてしまう(悪く言えば,いろんな集合的利益を「何でもやる」かたちで取り込んでしまう)問題に対して,地方議会が多元的に集合的利益を代表するようにできる制度としても比例制は検討すべきだと考えています。そのうえで,有権者が,ある程度一貫性・永続性を伴って集合的利益を主張する議員のグループ(これを政党と呼んでも呼ばなくてもいいでしょう)を選ぶようにできないものかと。

今回の寄稿で,1%以下の人々を代表しようとする議員ばかりになってしまうことが弊害のひとつだと書きました。少数であっても代表されるべきだ,というのはもちろんその通りですが,その少数がまわりの人々と協力して何とか多数を作り出していくというのが議会に期待されることだと思います。厳しい言い方をすれば,議員には,少数の代表としてその立場から正論を言う,それを聞かない方が悪いという立場は求められていないのではないかと。しかし現行制度にはそのような立場を作りやすい性格があるように見えます。非拘束式の比例制になれば,もちろんそういう一人政党で実質無所属を貫くことも不可能ではありませんが,協力する仲間を作った方が色々有利なことになるだろうとは思われます。

確定的なことはわからないといって提案するのは無責任だ,というご批判もあるかもしれません。比べればマシになる蓋然性が高い理屈は用意できるという程度だと言われればその通りだと思いますが,せっかくメディアで問題提起をする機会を頂いて,真面目な反応もいただいたので,私なりに足りない部分を説明できればなあと思ったところです。議論を深めるきっかけになれば幸いです。

 

 

仕事納め

12月もあと一週間ちょっとを残すほどとなり,オフィスにはもう僕以外ほとんど誰もいなくなってしまいました…。やはりカナダではクリスマスが祝日でそれから休みということになるので基本的には仕事納めということです。まあ普通は1月の頭すぐに授業が始まったりするのですが,今年の場合はカレンダーの並びからか,少なくとも小学校は新年一週間ほど休みということになっているらしく,これから二週間は子どもの相手でほとんど仕事にならない日々ということになりそうです。
今年は生まれて初めてまるまる一年間を日本以外の土地で過ごしたことになります。僕だけ一回だけ9月に一週間ほど帰国しましたが,少なくとも家族は。通信環境の発展のおかげで,どうしても日本からの仕事が降ってくる一方,アドバイザーのイブ先生がサバティカルで授業に出ることもないので,なんだか長いことホテルに滞在してひたすらモノを書いてるような感じもあります。結局今年書いたのは,『分裂と統合の日本政治』と,『公共選択』に発表した論文を一つ,それから住宅の連載を終わらせて単行本の初稿(あとは終章だけ)ということになります。『分裂と統合の日本政治』に対しては,ありがたいことに大佛次郎論壇賞を頂くこともできました。それから,これまで書いてきたインドネシア子育て支援住民投票の論文(バラバラ…(泣))を英語で書き直して論文にしました。ひとつはリジェクト食らって検討中,あとの二つは学会報告をした後修正する時間が取れずに置いている状態になってます。まあ本の原稿をあげたら何とか修正を,というところでしょうか。あと寄稿ものとして中央公論と経済教室に,書評を3つくらい書いたかな。もうひとつ地方議会関係のプロジェクトを進めたものの,データをいろいろ見てもやや微妙でなかなか進まない,というものもありました。その他昨年のうちに書いていて,今年発表されたものとしては,年明けから『二つの政権交代』『公共政策』(教科書の3章)『災害に立ち向かう自治体間連携』がありました。

二つの政権交代: 政策は変わったのか

二つの政権交代: 政策は変わったのか

公共政策 (放送大学大学院教材)

公共政策 (放送大学大学院教材)

こうやって振り返ってみると,新しいことに着手するというよりは,(住宅の話も含めて)この数年考えてきたことをまとめることに専念した一年だったような気がします。おそらくこういう年は必要なのでしょう。ただやはりもう少し新しいことに挑戦する時間を取りたいなという気はします。日本に帰国するまでにあと三本ほど論文を考えないといけないのですが,そのうち一本は従来の延長のものとして,あと二本は少し新しい試みができればよいのかな,というようなイメージでしょうか(ただ三本となるとやはり授業は難しい…)。ひたすら何かを書いていたということもあって,例年のように専門分野の少し異なる最近の研究をじっくり読むということもあまりなかったのですが,今年面白かったのは『昭和解体』ですかね。視点も事実もある程度で尽くしてきたかなあと思ってた国鉄民営化ですが,まだこれだけのことが書けるのだ,と驚きつつ一気に読むことができました。あと似たようなノンフィクションで『東芝の悲劇』も面白かったところです(ノンフィクションは電子化が早いしあんまり高くないので趣味でも買いやすいという…)。
昭和解体 国鉄分割・民営化30年目の真実

昭和解体 国鉄分割・民営化30年目の真実

東芝の悲劇

東芝の悲劇

現代日本の地政学ほか

11月はバタバタしているうちに終わってしまい,久しぶりに記事を一つも書かない月になってしまいました(記録を見ると2010年9月以来とか…まあどうでもいいのですが)。なんと10月27日にBC州の条例のエントリを書いた直後に,それに近い理由で立ち退きを求められることになり,家探しに奔走するという…おかげさまで無事に決まりましたが貴重な経験となりました。
この間いくつか本を頂いておりました。まず日本再建イニシアティブによる『現代日本の地政学−13のリスクと地経学の時代』をカナダにまで送っていただきました。ありがとうございます。このテーマについては私は素人ですが,関連するシンポジウムの準備をちょっとお手伝いすることがあり,内容が非常に参考になりました。安全保障の問題を中心に,ずらっと専門家をそろえて重要な問題がわかりやすく解説されているので,ぜひ多くの方に読んでいただきたい本だと思いました。

現代日本の地政学 - 13のリスクと地経学の時代 (中公新書)

現代日本の地政学 - 13のリスクと地経学の時代 (中公新書)

その他,大学あてにいくつかの本を送っていただきました。まず笹部真理子先生から,『「自民党型政治」の形成・確立・展開』を頂きました。ありがとうございます。本書は地方における自民党の政党組織を歴史的に分析したもので,学習院大学に提出した博士論文が基になっています。笹部さんとは以前に建林先生の科研費プロジェクトでご一緒し,その成果の一部が『政党組織の政治学』で発表されていますが,この成果を発展させたものだということだと思います。
政党組織の政治学

政党組織の政治学

中央大学の磯崎初仁先生からは,『知事と権力―神奈川から拓く自治体政権の可能性』を頂きました。ありがとうございます。松沢知事時代の神奈川県政を事例として,自治体におけるマニフェストを軸とした政策的な統合について検討されているようです。松沢知事時代には,本書でも取り上げられている受動喫煙対策や,他の都道府県とは少し毛色の異なる水源環境税の導入など,興味深い政策がいくつか実現していて,本書ではそのような政策の背景を探ることができると思います。
知事と権力―神奈川から拓く自治体政権の可能性

知事と権力―神奈川から拓く自治体政権の可能性

賃貸契約更新など

昨日,BC州議会で,バンクーバーの家賃を上げてしまうloopholeをふさぐという法案が提案されたらしい。どういうものが抜け穴になっているかというと,vacate clause,なんというか追い出し条項ともいうべきもので,借家人はあらかじめ定められた契約期間が過ぎた後に,借家を立ち退くか新しい契約を結ぶかを迫られるというものである。これがあると,新しい契約が見込める貸主の側としては契約期間が来た時に高額の新しい家賃を提示することになり,借家人はそれを受け入れられなければ立ち退くしかないという話になる。立ち退こうとしても,現在のバンクーバーは歴史的に異常だと言われるほどに貸家がない状況なので,すぐに立ち退くことは難しく,その契約を飲む羽目になることが多い。で,新しい契約で支払うことになる家賃が高いので,バンクーバーの家賃が上がっていくという話になる。
今回の法案では,借家人の権利を強くして,家賃の上げ幅を限定する(2%+インフレ率)ことを定めるということ*1。日本のように「期限の定めのない」契約というのとはまだ違うとはいえ,基本的にもとの家賃に近い額を支払うならばそこに居続けていいという話ではある(事情によって無理にでも立ち退きを求めることができるのかはよくわからない)。バンクーバーの場合は,ダウンタウンとかを除くと家主の敷地の中にbasement suiteとかlaneway houseが建つことが多く,日本のように部屋の小さい集合アパートみたいなものがあんまりないので,再開発をめぐる立ち退き問題とかはあまり生じないような気もするけど,それでも最近はコンドミニアムが増えているわけで,今後その辺どうなるんだろうかなあ,という気はしないでもない。ただ全体的に移民が多く,ということは「ずっと住んでる」という理由で移動を拒否する人は日本ほどいないようにも見えるので,あまり問題にならないのかもしれないが。
もうひとつ,興味深いニュースとして,バンクーバー市でホームレスの人々の一時的なシェルターを立てる場所が決まったという話があった。実は割とうちに近いところなんだけど,周辺住民が突然だといって抗議のプラカードを立てているのがテレビでやっていた。ホームレスの人々の中には暴力的な人がいるとか,彼ら/彼女らが(おそらく薬物に)使う針を子どもが拾ったらどうするんだ*2,みたいな話が抗議の理由となっているみたい。こうなってくると典型的にNIMBY問題で,どんなところでも円満な解決は簡単ではないのでしょうが。

*1:ウチも値上げがあったけどこれ以上だったような…。まあ四捨五入もあるんだろうが。

*2:これはとても寒くて多くのホームレスの人々がコミュニティセンターに入っていた去年も問題になっていた。

「フェアなゲーム」を作るための選挙制度改革

総選挙が終わり,衆議院だけでも自民党公明党の三連勝(しかも大勝!)という結果に終わった。2012年はともかく,2014年と2017年は選挙前から広く予想されていた通りの結果となり,関心は三分の二を取るのかとか野党でどこが相対的にマシか,というようなところに限定されていたのではないかと思う。政権党としては,あらかじめ勝負の見えてる選挙をやる方が楽だという感じはあるかもしれないが,実はそれってかなり危険な話だと思う。選挙自体が「フェアなゲーム」じゃないとみなされると,政権自体の正統性が揺らいでしまって,何を言っても反発を受け,あるいは嘲笑されることもあるかもしれないからだ。そうなると政権としては,(選挙でちゃんと正統性を調達できないので)反対者に対して無理やりにでもいうことを聞かせるような行動を取らざるを得なくなるかもしれない。今もそういう兆候はあるように思うし,そうなってくると正統性の不足→無理な決定→さらに正統性の不足…みたいな悪循環に陥る恐れはある。
折しも,前回の選挙制度改革から20年が経過し,そろそろその総括をすべき時期になっているのではないだろうか。1994年当時といえば,まだShugart and Careyの極めて影響力の強い本が出た直後くらいであって,「小選挙区制が二大政党化を促す」と言ったような非常に単純化された言説は受け入れやすかったように思う。また,1990年代に入るころまでは福祉国家もそれなりに持続的で,ということは中央政府への集権の度合いも高くなっていっており,国政の主要な選挙での小選挙区制(のみ)が他の選挙にも影響を与えることで二党制の形成を促すといったところもなかったわけではないだろう。しかしその後各国で制度の多様化が進んだことを受けて行われた選挙制度研究の発展を考えれば,衆議院総選挙だけを小選挙区制にしたことで二党制が生まれるというのは相当に無理がある議論だということはわかるし,20年してその反省を踏まえて「フェアなゲーム」のルールを考え直すべきじゃないか。
制度を見直すといっても,元の中選挙区制に戻すべきではない。前回選挙制度改革での中選挙区制に対する問題意識自体は正しかったと思うし*1,世の中には元の制度と今の制度しかないというわけではない。もちろん衆議院自体で小選挙区制中心にするか比例制中心にするかという議論が極めて重要なのは言うまでもないが,どちらを中心的に採用するにしても,この時点で選挙制度改革を論じる以上は(1)安易な混合制を避ける,(2)参議院選挙制度を変える,(3)地方の選挙制度を変える,ということは論じられなくてはいけないのではないか。(1)については,最近だとAmy Catalinac氏が論じているように小選挙区部分と比例部分で異なる競争がなされてしまい,結果としていわゆる「汚染効果」が起きて野党が分裂的になりやすくなる。(2)については,参議院小選挙区制といわゆる中選挙区制が混合していることで,大きく勝とうとすると小選挙区制部分(=大都市を持たない人口の少ない県)に力を入れなくてはいけなくて,これが大票田の大都市が多くの議席を出す衆議院総選挙での力点と齟齬をきたし,特に野党に取って重要な政策プログラムの一貫性を失わせる可能性がある。(3)については,私自身が研究してきたわけだが,「二元代表制」で議会ではいわゆる中選挙区制を採用する地方自治体では都市部での多党競争と農村部での非競争が分かれていて,国政野党が都市部で政党組織を築くことが難しくなる一方,例外的に選挙区定数が小さい政令指定都市などで首長党が出現し地方での政治競争を背景に国政野党から支持を奪う傾向がある,ということが考えられる*2。いずれにしても,野党を分裂的にしてしまう傾向を持つものであり,選挙を「フェアなゲーム」から遠ざける要素になっていると思われる。
また,投票方式よりも些細なことに見える制度群の扱いも重要である。今回の選挙でも問題になった「首相の解散権」は,単に解散権として議論するのではなく,公職の任期や選挙サイクルの問題として議論すべきだろう。仮に解散に制約を書けるとすれば,衆参のサイクルを合わせるのかどうかということは問題になるだろうし,それに加えて地方選挙の統一(複数の自治体の選挙を同じタイミングで行うか,同一自治体の首長と議会の選挙を同じタイミングで行うか)をどう考えるかも議論されるべきである。さらに選挙のタイミングという問題は,どのくらいの長さで選挙運動を取るかという問題とも関わってくる。運動期間が短すぎてかつ事前の運動規制が強い状態では,本人の周知のために選挙カーで名前を連呼することはある程度やむを得ないわけで,批判の多いそういう行動を抑制するためにも,実際上の選挙運動の期間を伸ばし現職も非現職もフェアに名前を浸透させることができる必要があるように思う。選挙運動の期間を伸ばせば期日前投票の期間をそれより短く取らざるを得なくなるだろうが,そうすれば投票用紙を準備するために必要な時間の余裕もできるので,有権者の意思を適切に伝えることを阻む自書式を廃止することも容易になる。
複数の選挙の投票方式を統合的に見直す,ということに加えて,選挙に関する手続きを再整備するためには,やはり総合的に検討する機関が必要だろう。現状では,それができるのは前回の選挙制度改革の時(第8次)以来設置されていない選挙制度審議会(第9次)しかないと思われる。そこで前回改革の総括をしつつ,必要な制度についての議論をすべきではないか。ここには書ききれていないが,本来は政党組織のあり方についての議論も含めて検討される必要があると思われる。できることならそこも含めて総合的に検討する場を設置すべきだろう。
今のルールが十分にフェアであるとか,野党はそういう不利を乗り越えていくもんだ,と考える人には必要ないかもしれないが,それがマジョリティとはあまり思えない。また,たとえばしばしば取り上げられるように「年齢別選挙区」とかそうだけど,誰かにとって今の選挙制度が不利だから,それを積極的に是正してちょっと有利にしてあげるって改正をというのはあんまり望ましくないと思う。たぶん衆議院だけ見直してもまた同じようなことになるだろうし。あくまでも政治の正統性を回復するために,選挙を「フェアなゲーム」にするルールを検討しなおす時期になっているのではないか。

*1:より詳細には拙著『民主主義の条件』をご覧ください。

民主主義の条件

民主主義の条件

*2:地方についてのより具体的なお話はこちら