人事いろいろ

電車の中で読むように,なんとなく『東電帝国−その失敗の本質』を買って,あんまり期待せずに読み始めてみたのだけども,これは結構面白かった。ところどころで筆者の自慢話みたいなのが出てくるのはまあちょっとご愛嬌だが。面白いと思ったのは,たぶんあんまり知らなかった分野で,でも戦後政治史的に知っている実名がバンバン出てくるような,いわば東電の社長−とりわけ木川田一隆−を中心とした戦後政治史のサイドストーリーのようなところがあったからだと思う。特に,東電が大口の政治資金提供者だったことがあって,政治家に対する企業の支援のような話が頻繁に出てくるのが面白い。例えば,146-151頁では,1974年の参議院選挙で,企業ぐるみで全国区候補の応援があった,という話が出ているわけだが,個別企業と候補者の関係がストレートに説明されるのはなかなか珍しいのではないか(まあその元ネタは新聞であるけれども)。もちろん,全国区の候補者がはじめから後援企業を持ってるということも難しいところがあるわけで,特に伝統ある企業が支援しているとなれば,その候補者を擁立する派閥との関係というのが容易に推測できる。その辺り,東電−経団連を軸として,個別企業と政治家の関係を考えるひとつの手がかりになるのかもしれない。

東電帝国―その失敗の本質 (文春新書)

東電帝国―その失敗の本質 (文春新書)

人事ネタと言えば,ちょくちょく読んでいた物語介護保険を買ってみた(ウェブサイト見てたらいいやん,と言ってしまえば基本的にはそれで終わりですが…)。これもまあ厚生省の官僚を中心とした人事ネタが余すところなく展開されていて,有名な現役官僚の名前も頻繁に出てくるし面白い。ただこっちについては,筆者も含めて,全体として「介護保険はワシが育てた」的な感じがしてしまうのはちょっとなぁ,と思わないでもない。このあたりもう少しまともに考えてみると,何となく旧内務省系に感じられるそこはかとないパターナリズムみたいなものが見える感じがするのが微妙というか*1。厚生省なんかは典型的で,民間に任せているとどうせダメなことばっかりしてうまくいかないから,パターナリスティックに,誤解を恐れずに言えば国民の成長に合わせて適切に制度を改善してやろう,というようなところが感じられてしまう(僕の根性が悪いだけかもしれませんが)。結果論的になるけど,やっぱり規制改革が求められる背景には,現行の規制が何か変なレントやインセンティブを生み出しているというところがあるわけだから,現行制度に対する評価とか反省みたいなものがきちんと行われる必要があると思う。しかし,どうも「(適切に規制しているのに)心無い民間の動きで福祉が阻害されている,それをなんとか改善してやらないといけない」ということで,モグラたたきみたいな対応になってるような気がするんだよね。だから制度設計のために経済学みたいな考え方が重要でそれしかない,というところまではいかないけど,そういうある種のパターナリズムについての意識というのは必要なのではないかと思ったり。
物語 介護保険(上)――いのちの尊厳のための70のドラマ

物語 介護保険(上)――いのちの尊厳のための70のドラマ

物語 介護保険(下)――いのちの尊厳のための70のドラマ

物語 介護保険(下)――いのちの尊厳のための70のドラマ

*1:あんま関係ないかもしれないが,もっとも初期に積極的に「民営化」という政策オプションを選択した運輸省は旧内務省ではなく,「民営化」に組織を挙げて抵抗した建設省が旧内務系,というのはそのへんの反映のような印象がある。