地方財政2冊

埼玉大学の宮﨑雅人先生から,『自治体行動の政治経済学』を頂きました。どうもありがとうございます。地方財政の非常に緻密な分析をされている本で,ここのところ少し地方財政の勉強をさぼってる今の私にはなかなか難しくて時間がかかったのですが(苦笑),非常に面白かったです。本書のメッセージを一言でいえば,一般財源こそが自治体の裁量行動の肝であって,地方自治体が国庫負担金や地方債を通じてレヴァレッジをかけるかたちで規模の大きな財政支出を行うことが,長期的に地方財政のあり方を変えていく,というものでしょうか。

より具体的に本書の構成について言えば,まず第2章と第5章で特に歳入面における制度的拘束が厳しいことが論じられていて,その拘束を前提としつつ,中央政府地方自治体の歳出を補助金を通じて誘導することが論じられています。それだけだと中央政府が非常に強い統制を行っているように見えるわけですが,地方自治体は残された一般財源の余力に応じて地方債を使いながら財政支出を行うことになります。そうすると,余力のある時期は国が考えてるよりも大きな規模で支出を行う一方で,補助金の超過負担が大きかったり,起債の後年度償還が一般財源を圧迫してくると投資を行うことができない(=国の誘導が効かなくなる)ことが出てくると。そうなると国としても新しい誘導の方法を考えないといけないので地方財政に変化が出てくる,というような見取りが示されていると思います。
その意味で本書のメインは4章の臨道債のところだと思いますが,実は私も以前地総債を対象に似たようなことを考えようとしつつもうまくいかずに断念したことがあります。まあ私の場合は,それに政治的要因を絡めつつ,というところではあったのですが。単に財政余力が大きい自治体が誘導に乗ってくる(乗りすぎる),っていうことだけじゃなくて,何らか政治的な理由があって乗ってきたり,場合によっては誘導があるのに乗らないってこともあるんじゃないかと。まあ私の方はそもそもうまく議論を組み立てることができなかったわけですが。
政治学者として感じたのは,これだけまとまった興味深い議論をされているのですから,冒頭でもっと「制度」の理論に関するようなことを展開されてもよかったのではないか,という気持ちもあります。おそらく経済学の方が因果関係を意識したより精緻な分析をされるところがあるのに対して,政治学の方はより大雑把な議論をしているようなところがありますが,その中で政治学の方は(大雑把ではありますが)モノグラフとして本全体を通じた理論的貢献のようなものを目指している気がします。そういう観点から見ると,本書では,例えば「制度変化」について考えるための重要な貢献がありそうにも思いますし,政治学者ならそういう感じで書くかもなあと感じたところがあります。まあそれはディシプリンによる違いということも大きいわけですが。 

自治体行動の政治経済学:地方財政制度と政府間関係のダイナミズム

自治体行動の政治経済学:地方財政制度と政府間関係のダイナミズム

 

次に東京大学の林正義先生ほか著者の皆様から『地方債の経済分析』を頂きました。どうもありがとうございます。こちらも地方財政ですが,特に地方債を対象とした本ということになります。はじめに持田先生のオーバービューがあり,それから地方債の制度についての分析が続き,次に地方自治体間の差異の分析となります。地方債の信用リスク・格付けの効果に続いて行われている銀行等引受債の経済分析が,個人的にはこれまでにほとんど見たことがなく,非常に面白かったです。そのあとは地方債務の持続可能性と地方債に関する研究のサーベイということで,関連テーマについての現在の状況を知ることができる非常に便利な一冊になっています。

対象はもちろん専門的ですが,非常に整理されていて読みやすい本だと思いました。ただ一点だけ欲を言うなら臨財債についての章とか一つ欲しかったなあという気がします。「特例」の赤字地方債ですし,それこそ信用リスクや格付けなどを分析する本書の観点から言えば,「財政」の論理と「金融」の論理の折り合いが問題になる(p.189)微妙な存在だとは思うんですが,現在の地方財政/地方債をめぐる最も大きな問題のひとつのように感じるところなので。…まあ自分が知りたいだけなので,そこは勉強しなくては,というところでもありますが。

地方債の経済分析

地方債の経済分析

 
 

 

『農業保護政策の起源』『天皇の近代』

北海道大学の佐々田博教先生に『農業保護政策の起源』を頂きました。どうもありがとうございます。日本の農業政策といえば,政治家・農協・農水省が作る「鉄の三角形」が重要だと言われたり,農業補助金を増やすことを志向する農水省が国際交渉を梃子に省益を拡大する,などと言われることがしばしばあります。それに対して本書では,そのように大雑把なかたちでアクターの選好を決めて分析を行う方法はとりません*1。本書では,政策アイディア(とその発展)に注目する構成主義的制度論を取りながら,農業経営規模を大きくしていくことを重視する大農論か自作農中心の独立した農家を育成することを重視する小農か,あるいは後者のどうやって小農論が発展してきたかという話を軸に,戦前の農政の意思決定について史料を用いて丹念に議論されています。戦前で農業保護・農村保護が論点になる様々な局面では,どのような行動が「合理的」であるかについては必ずしも明らかではなく(著者はこれを「ナイト的不確実性」の大きい状況と呼んでいます),農林省(当時)の官僚が小農論に由来する政策アイディアを発展させつつ意思決定に反映させてきたことを明らかにしています。

私自身はまあ本書で批判されている「合理的選択論」者なんだと思うんですが,その合理性の水準って自分自身の仕事に限ってみてもなんかいろいろバラつきがあると思うんですよね。国際比較をするときや予測みたいなことを念頭に置くときは,割と雑に制度からアクターの行動を仮定して分析しますし,政策過程を見るときは個々のアクターの合理性(というか意図)をより詳細に見ることになりますし。最近の住宅の話では,基本的に利益中心のアプローチなのでそこは違うのでしょうが,佐々田さんの本と同様に制度のオフパス(=たとえば採用されなかった大農論)を意識して議論しているので,その意味では重なるところもあるのかなあ,と。ただ戦後の住宅の場合は,制度のフィードバック効果みたいなものが重要なところがあって,その意味で「ナイト的不確実性」が重要ではなくなっていくわけですけど,逆に戦前農政でその特徴が重要であり続けたのはなんでだろう,と考えてみると面白いのかも,と思いました。
本書を読んで改めて思ったのは,強い強いと言われてきた日本の政府はホントはずっと弱かったんじゃないかなあということです。私の方はもともと自分の住宅の研究でそう思ってたのですが,佐々田さんの農政の話を読んでその思いをより強くしたといいますか。何ていうか現状に働きかけて大きく変更しようというのがずっと難しくて,一応議論としては出るんですが結局採用されることはない,という感じ。官僚の方は,そんなに強く権利義務を変更するようなことはできないという前提のもとに,feasibleな中で一番望ましい政策を選好するようになるというか,そういう理屈を編み出していくような気もします。もちろん強い強いと言われてきたのは産業政策が本丸なのわけですが,その辺に新たな研究が生まれてくるとまた違う話が出てくるのかもしれません。 

農業保護政策の起源: 近代日本の農政1874~1945

農業保護政策の起源: 近代日本の農政1874~1945

 

同じく北海道大学の前田亮介先生から『天皇の近代』を頂いておりました。どうもありがとうございます。前田さんは去年から在外研究で(去年LSE今年プリンストン),歴史的資料に当たるのは相当大変なのではないかと思うのですが,力作ぞろいの本書の中でも一番長い論文書いてます。どうやって資料集めてるんだろう…。

前田さんは,「「皇室の藩屏」は有用か?」という論文で,天皇の権威に依存しつつ政治的にはなかなか主体的な存在になれなかった貴族院の位置づけについての議論を分析しています。特に近衛篤麿の「正義の女神」としての貴族院谷干城の「補導の臣」としての貴族院,という見解が論じられつつ,基本的には能動的に動かない君主が動かざるを得ない「非常時の大権」の行使について論じることを通じてそれらの構想について評価する,という感じでしょうか。

前田さんのだけではなく,他のいくつかのものでも見られましたが,「形式的には代表していないものが実質的に何か(国体?)を代表する」ということを考えるのは面白い話だと思います(難しいですが)。近年の統治機構改革論でも,そのような実質的な代表をどう設定するかというのが重要な議論になっているような気がします。以前はそれこそ宮中関係であったり,審議会みたいなものがそういう機能を果たしていたところがあると思いますが,それが難しくなっている中で新たにどうするか,と。まあ近年だと,そもそも何かを代表すること自体いろいろと難しくなってるわけですが…。

天皇の近代―明治150年・平成30年

天皇の近代―明治150年・平成30年

 

*1:いやもちろん大雑把に決めることにもいいことがないわけではないのですが。

最近のいただきもの

帰国してからこの間いくつかご著書を頂いておりました。まず遅くなってしまいましたが,夏休みのうちに河野勝先生から,監修をされている「ポリティカル・サイエンス・クラシックス」シリーズのうち,『国力と外国貿易の構造』『通産省と日本の奇跡』に二冊を頂いておりました。どうもありがとうございます。二冊とも,言わずとしれた名著で,再翻訳は喜ばしいことです(前者はちょっと前に出ているものですが)。 『通産省と日本の奇跡』の方の翻訳を担当された佐々田さんはもうすぐ同じ勁草書房から農政についての研究書を出されるということでこちらも楽しみです。

国力と外国貿易の構造 (ポリティカル・サイエンス・クラシックス)

国力と外国貿易の構造 (ポリティカル・サイエンス・クラシックス)

 
通産省と日本の奇跡: 産業政策の発展1925-1975 (ポリティカル・サイエンス・クラシックス)

通産省と日本の奇跡: 産業政策の発展1925-1975 (ポリティカル・サイエンス・クラシックス)

 

 同じ早稲田大学の稲継裕昭先生からは『AIで変わる自治体業務』を頂きました。ありがとうございます。稲継先生は最近『未来政府』を訳されるなど(これも非常に面白い本でした!),情報通信技術がいかに我々の生活や自治体の業務を変えるかという研究に精力的に取り組まれています。この本では特にAIに注目されていて,それが将来的に自治体業務をどう変えていくかも含めて議論されています。 

AIで変わる自治体業務―残る仕事、求められる人材

AIで変わる自治体業務―残る仕事、求められる人材

 
未来政府

未来政府

 

東京大学宇野重規先生からは『未来をはじめる-「人と一緒にいること」の政治学』を頂きました。ありがとうございます。宇野先生が豊島岡女子女子中学・高校で政治学の講義をした記録をもとにしたご著書ということです。「知識主導型でない政治学の講義」という企画なので,政治学って難しそうと思う人にも手に取りやすいものになっていると思います。リンク先での宇野先生のコメントとして,

 とは言っても、なかなか政治を身近に感じることは容易ではないだろう。政治とは多様な人々が集まって意思決定をすることだ、といくら解説したところで、「集合的意思決定」などという言葉を使った瞬間、多くの人は「難しそう」、「自分とは縁のない話だ」と思ってしまう。

とあったのですが,そういえば,僕も先日高校生にお話したとき,ふつうに「政治ってのはみんなの行動を縛ることを決めることで…」とか言ってましたね。反省しきりです。

日野愛郎先生からは『内容分析の進め方-メディア・メッセージを読み解く』を頂きました。どうもありがとうございます。授業で使った内容分析のテキストを翻訳されたということです。日野さんはただでさえベルギーの政治に欧州を中心とした比較政治について日・英の両言語でたくさん発表され,普通の計量分析だけじゃなく質的比較分析(QCA)も使いこなすすごい研究者なのですが,さらに内容分析まで教えているという…無理そうですが本当に見習いたいと思います。実は僕も最近国会議事録を分析する仕事をしていて,そのときに機械学習を使った内容分析的なやつってやってみたいなあと思ったのですが,ちょっとハードル高くて諦めたところです…。まずは本書から勉強してみます。 

内容分析の進め方: メディア・メッセージを読み解く

内容分析の進め方: メディア・メッセージを読み解く

 

その国会議事録を分析する仕事を発表する版元の白水社から『英語原典で読む経済学史』を頂きました。ありがとうございます。正直なところ日々の仕事に追われていると経済学を原典で読むというのは相当ハードル高いですが,英語の勉強として(解説付きで)読む機会があると,読むこともできるかもしれませんね。 

英語原典で読む経済学史

英語原典で読む経済学史

 

もうひとつ,神戸大学の梶谷懐先生から『中国経済講義』を頂いておりました。どうもありがとうございます。本書を読むと,中国経済を理解するのにいかにそのための前提知識が必要なんだろうと感じます。英語中国語に加えて経済学の理論や実証の方法が必要なのはもちろん,中央地方関係をはじめとした政治制度や労働問題,最近だと情報技術についてまでの知識もいるでしょうから,参入のハードルは極めて高いなあと。しかし本書は新書であるにもかかわらず,本当に多様な論点に目配りされていて、まさにこれが現代中国経済の講義なのだなあと感じました。

個人的には,地方政府と土地取引の第2章が勉強になりました。中国の土地所有制度(というか社会主義なので所有じゃないわけですが)はちょっと変わっているということを耳学問では聞くものの,あまり体系的に知る機会はなく,地方政府が土地使用権を独占的に供給するということが市場に歪みをもたらすという話はなるほどなあと。ほっておくと地方政府が観察しにくいかたちで債務を増やすので,地方債の発行に置き換えていくというのもなかなかすごい話です(これはこれでそのうちToo big to failが起きそうな気もしますが…)。最後の不動産税のところは,日本でもそうですが,在外研究先のバンクーバーでもいわば「口に苦い良薬」として問題になっていた話で,やはり取りうる政策手段というのはある程度収斂してくるんだなあという印象を持ちました。

本書でも何度か言及されていましたが,いろいろと改革があってもソフトな予算制約の問題は依然として残るようですし,日本と同様に中国も持続可能な制度への転換という課題に直面しており,その経験を相互に参照することは重要になるのではないかと思うところです。

 

『不利益分配の政治学』

琉球大学の柳至先生に『不利益分配の政治学地方自治体における政策廃止』を頂きました。どうもありがとうございます。本書では,地方自治体における政策廃止がどのようなメカニズムで決定されているかについて検討したもので,土地開発公社自治体病院・ダム事業の廃止についての実証研究が行われています。注目すべきなのは,このような事業の廃止について事例研究によって原因を検討しているだけでなく,都道府県の担当部局などにアンケート調査をかけてデータを取得するようなことを通じて,通常の計量分析とは異なる質的比較分析を行っているところです。最近は,わかりやすい教科書が出版されていることもあって*1,質的比較分析という手法について知られるところも増えてきたと思いますが,このようにまとまった書籍として出版されるのは,おそらく日本の政治学行政学では初めてではないかと思います*2

そのような方法を使った本書では,政策過程について「前決定過程」と「決定過程」に分けたうえで,それぞれの過程においてどのような要因が必要条件あるいは十分条件になるのか,ということを検討しています。まず前決定過程,つまりどのようなテーマが議論の俎上に上がるかということを決めるのは,地方自治体をめぐる政治状況(知事の交代や知事-議会関係)や政策の性質(誰に支持されているか)ということが重要になるということが示されていきます。この中で,たとえば知事の交代のような要因が事業の廃止を進めるきっかけとして重要であることがわかるだけでなく,自治体病院のように廃止への支持を調達しにくい政策があることもわかります。

ダム事業の廃止についての研究もしている私自身の研究(『地方政府の民主主義』)も含めて先行研究では,このような前決定状況についての変数を用意して分析していることになります。本書がそれ以上に踏み込んでいるのは,「決定過程」についての検討を行っているところです。議論がなされる条件(→なされれば廃止の可能性も上がる!)を示すだけではなく,議題として上がったもののうちどのようなものが廃止につながっているか,ということです。本書で挙げられている要因,とりわけ十分条件として挙げられているのは,「政策の存在理由」です。地方自治体では意思決定を行う時に何らかの公益に沿った決定であるという主張をしなくてはいけないので――本書では非公式の制度として扱われています――政策の存在理由をきちんと提示できなかったものが廃止されると。

これは当たり前のように見えますが,なかなか興味深い議論です。一方で,この裏側には,「存在理由がないのに存続している」膨大な政策・事業が存在することを意味しています。それらが残る中で,存在理由とは切り離されたかたちで政治状況によって廃止が議題に上がり,存在理由があれば存続するということになるわけです。他方で,理由があるものを残す,というのは当然のようにも聞こえますが,これは理由が提示されているのに廃止するということが難しいということでもあります。ポピュリスト的な首長がやみくもに意思決定することができるわけではなく,最後は理性的な議論がアンカーになっている,ということは,日本の地方政治がなんだかんだ言いながら大崩れせずに続いて来ている理由を示すもの,と考えることができるのかもしれません。

このように,政策の廃止というまさに現代問題となりがちなテーマについて,新しい方法を使いながら丁寧に検証された本になっていると思います。質的比較分析は,最近興隆しつつも方法論的な批判がなされているところもありますが,必要条件と十分条件を探る本書のような問題意識とうまくマッチすれば使えるところもあるように思います。そういう研究ができるんだ,ということを示す点でも本書はとても興味深いものになっているのではないかと。

不利益分配の政治学 -- 地方自治体における政策廃止

不利益分配の政治学 -- 地方自治体における政策廃止

 
質的比較分析(QCA)と関連手法入門

質的比較分析(QCA)と関連手法入門

 
Configurational Comparative Methods (Applied Social Research Methods)

Configurational Comparative Methods (Applied Social Research Methods)

 
地方政府の民主主義 -- 財政資源の制約と地方政府の政策選択

地方政府の民主主義 -- 財政資源の制約と地方政府の政策選択

 

 

*1:リンクを張っている『質的比較分析(QCA)と関連手法分析』,翻訳は読んでいないのですが,少なくとも原著Configurational Comparative Methodsは非常にわかりやすかったです。

*2:追記:正確には「日本政治を扱った日本の政治学行政学」ですね。外国の研究としては,岡田勇先生の 『資源国家と民主主義』がありました。

資源国家と民主主義―ラテンアメリカの挑戦―

資源国家と民主主義―ラテンアメリカの挑戦―

 

『崩れる政治を立て直すー21世紀の日本行政改革論』

東京大学の牧原出先生から『崩れる政治を立て直すー21世紀の日本行政改革論』を頂きました。どうもありがとうございます。全体としては,基本的に自民党の一党優位政党制が完成してからの行政における「ドクトリン」を析出する試みをなされているのかと感じました。「ドクトリン」とは,牧原先生が『行政改革と調整のメカニズム』の中で議論されていますが,一般的に社会現象における原因と結果の関係を抽象的に説明することを目指す「理論」とは異なるもので,「内閣機能の強化,地方自治体への権限移譲,資格任用性の整備など行政固有の改革構想」を意味するものです。特定の制度的文脈のもので一定の説得力を持つ「ドクトリン」であれば,行政改革のたびに同様の「ドクトリン」が繰り返し用いられることになります*1

中でもとりわけ興味深いと感じたのが,財務・外務・法務・内務・軍務の古典的五省を中心に議論を構成されているところで,その意味では一見改革を論じていないように見える3章が本書の中心ではないかという印象を受けました。「なぜか」ということを純粋に理論的に説明するのは難しいように思いますが,現に日本の行政が本書で論じられているように,古典的五省+時に革新をもたらす商工・通産・経産省を軸に動いているとすれば*2,それをゼロベースで変えようとするのは現実的ではなく,可能な移行を管理するべきであるというのもその通りだと思います。
行政改革が「行政の自己改革能力の改革」とするルーマンの議論をベースにした捉え方も興味深く感じました。個人的には,(行政)改革それ自体が直ちに新しい制度的な均衡をもたらすのではなく,その後に続くのは作動を円滑にする自己改革という面も,自己強化的なフィードバックが働く均衡への緩慢な着地という面もあるように思います。もちろん,思ったようにアクターの行動が変わらないこともあるでしょうし,私が最近研究している住宅のように,フィードバックが強すぎてそもそもなかなか動かないところもあるでしょうが。いずれにしても改革がゴールではなく,さらなるゴールのための出発点という感じになると思いますが,プレイヤー間でのゴールの共有をある程度前提とした移行過程の管理というのは非常に重要な論点であるように思います。

個人的にも移行についてはずっと考えているところがあって,昔書いたエントリを発掘して読み直すと,これも相当牧原先生の議論から影響を受けながら,なんか同じようなことを書いている気がします。グチグチ考えるだけであんまり進歩していないだけかもしれませんが,いつかまとめることができる日がきたらいいなあと。

崩れる政治を立て直す 21世紀の日本行政改革論 (講談社現代新書)
 
行政改革と調整のシステム (行政学叢書)

行政改革と調整のシステム (行政学叢書)

 

 

 

*1:このあたり,私自身の『行政改革と調整のメカニズム』への書評もあります。(『行政管理研究』129号

*2:本書では,内閣法制局も重要な役割を果たす機関として論じられていて,それはその通りだと思いますが,これは古典的五省のうちの「法務」との兼ね合いで議論できるところもあるように思います。

『フランスにおける雇用と子育ての「自由選択」』

釧路公立大学の千田航先生から『フランスにおける雇用と子育ての「自由選択」』を頂きました。どうもありがとうございます。個人的にも日本の子育て支援について考えているところがあり,ただ研究プロジェクトとしてはやや行き詰っていたところだったのですが,ざっと読ませていただいて,いくつかヒントをもらえたように思います。

本書では,フランスにおいて「自由選択」という概念で特徴づけられる子育て支援の制度がどのように形成されてきたのかについて歴史的に分析されています。重要なのは戦前以来続く普遍主義的な家族給付というものがあって,これは周辺国の脅威の中で出産を奨励する意味も含めて給付されていたところがあります。もともとフランスの家族も日本と同様に「男性稼ぎ手モデル」が主流で,家族手当は専業主婦手当として給付されるようになったりする中で,女性の労働参加を阻害するようなところもあったわけですが,元の制度を前提としつつ女性の社会進出を支援する両立支援の給付を増やしていく中で,新たな制度が「併設」されて発展していくと。で,非常にざっくり言えば,そのような制度発展を可能にしたのがカギ概念としての「自由選択」であるという理解になろうかと思います。

翻って日本について考えてみると,フランスのように普遍主義的な基盤がなく,むしろ選別主義的な保育所を 両立支援として拡大していくなかで,専業主婦家庭と共働き世帯のバランスが失われていき,ちょっと行き詰っているような状況ではないかと思います(参考:保育と政治 - sunaharayのブログ)。一気に 専業主婦世帯への給付を拡大しようとしても財源はないし,そのために共働き世帯の既得権を奪うことも難しいということでしょうか。であるとすると,小泉政権以降の0歳児保育拡大を含めた保育所の拡大というのは,普遍主義への転換を却って難しくしているようなところがあるのではないか,とも思ったりします。

サービス給付というとその裏側に負担の話があるわけですが,日本について言えば,これまで普遍主義的な給付をしてきているわけではない ので,追加的な負担を求めても多くの人々が給付を受けることができるかどうかはわからないということが話をややこしくしていると感じるところです。「お金がないから普遍主義ができないし,普遍主義ではないからお金も取れない」みたいな。そのために,普遍主義的な家族モデルへの移行というのはなかなかに難しいのではないかとやや悲観的に見ているわけですが…。このあたりは,昨年の財政学会にお招きしてしゃべったものがもうすぐ出版されます(宣伝)。しかしいろんな変数が出てくるしその意味付けも難しく,グダグダと考えてはいるもののなかなかよくわかりません…。 

財政をめぐる経済と政治 -- 税制改革の場合 財政研究 第14巻 (財政研究 第 14巻)

財政をめぐる経済と政治 -- 税制改革の場合 財政研究 第14巻 (財政研究 第 14巻)

 

 

最近のいただきもの

帰国してからはや一ヶ月。この一月はやたら長かったような気もしますが,ずいぶんと慣れてきたところでもあります。ただ二年間ほとんどなかった出張はなかなか慣れず…東京との往復の新幹線2時間半がなかなかつらいところ。前はもっと楽だったような気がするんですがやっぱり年か。

この間いくつか新刊を頂いておりました。まず龍谷大学松尾秀哉先生に『現代世界の陛下たち』をいただきました。どうもありがとうございます。この分野でまさに精力的にお仕事をされている君塚直隆先生をはじめとして各国の専門家のみなさんがそれぞれの国の君主制について寄稿されています。松尾先生はベルギーについて書かれていて,狭いながらも複数の民族が住み,非常に分裂的な連邦国家であるベルギーで,(特に言語問題が関わる状況でにおいて)国民統合の役割を果たす国王について論じられています。 

現代世界の陛下たち:デモクラシーと王室・皇室

現代世界の陛下たち:デモクラシーと王室・皇室

 

谷口将紀先生・ 水島治郎先生からは『ポピュリズムの本質』をいただきました。NIRA総研での研究プロジェクトの成果であり,現代ポピュリズムにはそれぞれの国に固有の要因がある一方で,共通の要因として人々の「政治的疎外」があるという主張がなされています。政治的疎外とは,自分たちのものであるはずの政治がいつの間にか自分たちでコントロールできなくなっているという感覚であり,この概念を鍵にイギリス・アメリカ・オランダ・フランス・ドイツの事例が論じられています。実は私も一度ご招待を受けて日本の話を少し研究会でご報告したことがありました(まあ私の話は政治的疎外に直接言及するようなものではありませんが)。 ポピュリズムと政治的疎外の関係を強調する本書の主張は,直観的にはそうだろうなあと思われるところですが,引き続きより精緻に実証研究が重ねられていくことになるんだと思います。

慶應義塾大学の山本龍彦先生からは『AIと憲法』をいただきました。政治的疎外を引き起こす原因のひとつとして,AIを含む技術の急激な進歩があるとされるわけですが,じゃあ具体的にAIがどのような憲法的問題を引き起こすのかということが,様々な分野で具体的に論じられています。その中には「AIと民主主義」「AIと選挙制度」という章もあり*1政治学者としてもAIの問題を考えなくてはいけないのだなあということを強く思わされます…。技術的なことがわかるわけではないので勉強,勉強…ですが。

AIと憲法

AIと憲法

 

御厨貴先生からは,『平成風雲録』をいただきました。ありがとうございます。折々に書かれた時評をまとめられてものですが,こうやってまとまって拝見すると,御厨先生のお仕事が,オーラルヒストリーを軸として,災害関係・天皇退位問題・公文書問題と最近の本当にホットな話題に直接連関しているんだなあと思うところです。いずれも問題が「炎上」する以前から,オーラルヒストリーの収集を通じて長期に渡る知見を蓄えておられるので,そのご意見は定点観測的な性格を持つものとして要請されているということかもしれません。 

平成風雲録 政治学者の時間旅行

平成風雲録 政治学者の時間旅行

 

*1:後者の方は,選挙制度自体について論じているというよりも選挙運動について論じている(フェイクニュースの影響とか)感じです。