仕事納め

年明けすぐの締め切りとか数か月ずっと懸案で進まないものとかいろいろ収まってない感もあるけどタイムアップなので仕事納め。8月下旬に帰国してから4か月程度なわけですが,「え,まだ4か月なの?」感があるほどにバタバタが続き,11月末で研究関係の書き物が一段落して12月を甘く見てたら授業(採点)と講演関係の仕事でえらいことになってしまった。このペースに持続可能性はないのではないかと憂うところで,来年頭にかけて仕事を結構お断りせざるを得ない状況になっておりますが,どうかご容赦ください。

今年発表した仕事は,4月の『社会が現れるとき』(これは2年前に書いたもの)と,7月の単著『新築がお好きですか?』と11月の『レヴァイアサン』ということになります。あとは前に日本語で書いた共著論文を英語にしたものがひとつ,ってとこでしょうか。まあ単著があるのでボチボチ…という感じでしょうか。その他は単著のスピンオフ的な感じで1970年代の住宅政策について論じたもの(校了済みで1月出版予定),オーラルヒストリーのデータを利用して行政改革について書いたもの(初校終了),公共選択学会で報告した「選挙疲れ」の共著論文ということになります。それから日本語と英語で書評が一本ずつか。正直,帰国してから年内に二本書くことになるとは思わなかった…。

英語の方は,結構時間かけて書いたものが残念ながらリジェクトで,これどうしようかとそのままになってるのが一本,バンクーバーにいたときに修正が終わらなくてそのままになっている論文が一本と,日本に帰ってからはやや低調。ただ来年は2・3本書かないといけないらしいので頑張ります…(まあ日本語論文が元になるやつですが)。日本に帰ってから英語の書き物は低調だったのですが,UBCのイブさん含めて外国からお客さんが増えて話をする機会自体は増えたなあという感じがあり,まあできる範囲で頑張っていきたいところです。 

社会が現れるとき

社会が現れるとき

 
レヴァイアサン 63号(2018 秋) 特集:比較の中の日本政治

レヴァイアサン 63号(2018 秋) 特集:比較の中の日本政治

 
Japan’s Population Implosion: The 50 Million Shock

Japan’s Population Implosion: The 50 Million Shock

 

 来年以降どの辺研究しようかというのはなかなか迷うところで,「選挙疲れ」論文のほかにもうひとつ市レベルの選挙を考える企画を持っているほか,住宅についても1990年代以降の転換を決めた政策過程について論じるものや,マンションの管理組合の分析を考えたいと思ってます。それに加えて震災研究は続きそうで,さらに申請中の科研は全然別テーマなのでどうなることやら。まあ全部つながってるっちゃつながってるんでしょうが,まあ選挙ネタは共著が中心になるのかなあ(実際そうだし)。

その申請中の科研に関連するところもあるのですが,今年読んだ本では『未来政府』がツボでした。今年の本というわけではないのですが,帰ってきて何となく手に取ったら色々考えさせられるところが多く,非常にお勧めという感じです。研究書では有斐閣さんが濱本さん柳さん・善教さんと年の後半で3冊も政治学の本を出すというチャレンジングな企画をされたのがすごいな/ありがたいなと思いました(善教さんのはそのうち感想書きます)。全部読む価値のある本なのでぜひ!。 

未来政府

未来政府

 
現代日本の政党政治 -- 選挙制度改革は何をもたらしたのか

現代日本の政党政治 -- 選挙制度改革は何をもたらしたのか

 
不利益分配の政治学 -- 地方自治体における政策廃止

不利益分配の政治学 -- 地方自治体における政策廃止

 
維新支持の分析 -- ポピュリズムか,有権者の合理性か

維新支持の分析 -- ポピュリズムか,有権者の合理性か

 

政策過程を考える

ご紹介が遅れておりましたが,少し前に同志社大学の原田徹先生から『EUにおける政策過程と行政官僚制』を頂いておりました。どうもありがとうございます。本書は,タイトルの通りにEUの政策過程について歴史的制度論の観点から実証分析を行ったものです。EUというと「超国家組織」と理解されるように,しばしば国際政治の分析対象になるように思いますが,本書では行政学の観点からEUの政策過程が分析されています。EUにおいて主要な意思決定に関わってくるのはブリュッセルEU官僚であると言われていて,EU議会において各国の代表がアライアンスを作るのは難しいところがあるわけで,その意味では確かに「行政学」として非常に興味深い素材になるのだと思います(もちろんそういうかたちでの意思決定が「民主主義の赤字」Democratic Deficitとして批判されることも少なくないわけですが)。

実証分析としては,EUの政策の体系性を考慮してマクロ(欧州憲法条約)・メゾ(EU総合計画・政策評価等)・ミクロレベル(具体的な公共サービス供給)での政策過程の事例が扱われているほか,ヨーロッパの債務危機対応というミクロからメゾレベルへとかかわる意思決定が取り上げられています。興味深いのは,例えば曽我謙悟先生の『行政学』では,基本的に国際組織が国家を本人とした代理人として扱われているのに対して,本書のメゾ・ミクロの分析では「「官」にあたる欧州委員会は独自の選好を有する単独アクターとして扱うが,「政」である政治的アクターは未分化の相対として「官」である欧州委員会に対抗するアクターとして」(59-60頁)扱われているところです。本人の位置づけにあるアクターが特定の意思決定を図ろうとするのではなく,制約として機能するというアイディアということなのかなあ,として理解していたのですが,それは行政国家にも広く見られる事象のような気がします。EUでは本人の意思形成が難しいわけでより妥当なアイディアだろうと思うのですが,超国家組織の分析から国家の意思決定のある種の典型について含意が見られるとすると非常に興味深いように思います。 

EUにおける政策過程と行政官僚制 (ガバナンスと評価4)

EUにおける政策過程と行政官僚制 (ガバナンスと評価4)

 

 次に,秋吉貴雄先生,白崎護先生,梶原晶先生,京俊介先生,秦正樹先生から『よくわかる政治過程論』をいただきました。どうもありがとうございます。様々なトピックについてA4見開き1頁で解説していくスタイルの教科書で,政治過程についての様々なトピックが網羅されています。特に学生が辞書的な感じで必読の参考文献を探しつつ学習するスタイルに合うような気がします。 

よくわかる政治過程論 (やわらかアカデミズム・〈わかる〉シリーズ)
 

 最後に宍戸常寿先生から『憲法学読本』をいただきました。ありがとうございます。憲法の様々なトピックごとに解説していく教科書で,第三版ということだそうです(すごい)。どっちかというと人権・権利章典を中心とした構成になっていて統治機構はやや後景なのかな,という感じですが(財政・地方自治がひとつの章になっているのはご愛嬌かとw),政治学をやっている人間としてはそっちのほうもちゃんと勉強しないと,ということもあるでしょうから,勉強させていただきたいと思います。 

憲法学読本 第3版

憲法学読本 第3版

 

地方財政2冊

埼玉大学の宮﨑雅人先生から,『自治体行動の政治経済学』を頂きました。どうもありがとうございます。地方財政の非常に緻密な分析をされている本で,ここのところ少し地方財政の勉強をさぼってる今の私にはなかなか難しくて時間がかかったのですが(苦笑),非常に面白かったです。本書のメッセージを一言でいえば,一般財源こそが自治体の裁量行動の肝であって,地方自治体が国庫負担金や地方債を通じてレヴァレッジをかけるかたちで規模の大きな財政支出を行うことが,長期的に地方財政のあり方を変えていく,というものでしょうか。

より具体的に本書の構成について言えば,まず第2章と第5章で特に歳入面における制度的拘束が厳しいことが論じられていて,その拘束を前提としつつ,中央政府地方自治体の歳出を補助金を通じて誘導することが論じられています。それだけだと中央政府が非常に強い統制を行っているように見えるわけですが,地方自治体は残された一般財源の余力に応じて地方債を使いながら財政支出を行うことになります。そうすると,余力のある時期は国が考えてるよりも大きな規模で支出を行う一方で,補助金の超過負担が大きかったり,起債の後年度償還が一般財源を圧迫してくると投資を行うことができない(=国の誘導が効かなくなる)ことが出てくると。そうなると国としても新しい誘導の方法を考えないといけないので地方財政に変化が出てくる,というような見取りが示されていると思います。
その意味で本書のメインは4章の臨道債のところだと思いますが,実は私も以前地総債を対象に似たようなことを考えようとしつつもうまくいかずに断念したことがあります。まあ私の場合は,それに政治的要因を絡めつつ,というところではあったのですが。単に財政余力が大きい自治体が誘導に乗ってくる(乗りすぎる),っていうことだけじゃなくて,何らか政治的な理由があって乗ってきたり,場合によっては誘導があるのに乗らないってこともあるんじゃないかと。まあ私の方はそもそもうまく議論を組み立てることができなかったわけですが。
政治学者として感じたのは,これだけまとまった興味深い議論をされているのですから,冒頭でもっと「制度」の理論に関するようなことを展開されてもよかったのではないか,という気持ちもあります。おそらく経済学の方が因果関係を意識したより精緻な分析をされるところがあるのに対して,政治学の方はより大雑把な議論をしているようなところがありますが,その中で政治学の方は(大雑把ではありますが)モノグラフとして本全体を通じた理論的貢献のようなものを目指している気がします。そういう観点から見ると,本書では,例えば「制度変化」について考えるための重要な貢献がありそうにも思いますし,政治学者ならそういう感じで書くかもなあと感じたところがあります。まあそれはディシプリンによる違いということも大きいわけですが。 

自治体行動の政治経済学:地方財政制度と政府間関係のダイナミズム

自治体行動の政治経済学:地方財政制度と政府間関係のダイナミズム

 

次に東京大学の林正義先生ほか著者の皆様から『地方債の経済分析』を頂きました。どうもありがとうございます。こちらも地方財政ですが,特に地方債を対象とした本ということになります。はじめに持田先生のオーバービューがあり,それから地方債の制度についての分析が続き,次に地方自治体間の差異の分析となります。地方債の信用リスク・格付けの効果に続いて行われている銀行等引受債の経済分析が,個人的にはこれまでにほとんど見たことがなく,非常に面白かったです。そのあとは地方債務の持続可能性と地方債に関する研究のサーベイということで,関連テーマについての現在の状況を知ることができる非常に便利な一冊になっています。

対象はもちろん専門的ですが,非常に整理されていて読みやすい本だと思いました。ただ一点だけ欲を言うなら臨財債についての章とか一つ欲しかったなあという気がします。「特例」の赤字地方債ですし,それこそ信用リスクや格付けなどを分析する本書の観点から言えば,「財政」の論理と「金融」の論理の折り合いが問題になる(p.189)微妙な存在だとは思うんですが,現在の地方財政/地方債をめぐる最も大きな問題のひとつのように感じるところなので。…まあ自分が知りたいだけなので,そこは勉強しなくては,というところでもありますが。

地方債の経済分析

地方債の経済分析

 
 

 

『農業保護政策の起源』『天皇の近代』

北海道大学の佐々田博教先生に『農業保護政策の起源』を頂きました。どうもありがとうございます。日本の農業政策といえば,政治家・農協・農水省が作る「鉄の三角形」が重要だと言われたり,農業補助金を増やすことを志向する農水省が国際交渉を梃子に省益を拡大する,などと言われることがしばしばあります。それに対して本書では,そのように大雑把なかたちでアクターの選好を決めて分析を行う方法はとりません*1。本書では,政策アイディア(とその発展)に注目する構成主義的制度論を取りながら,農業経営規模を大きくしていくことを重視する大農論か自作農中心の独立した農家を育成することを重視する小農か,あるいは後者のどうやって小農論が発展してきたかという話を軸に,戦前の農政の意思決定について史料を用いて丹念に議論されています。戦前で農業保護・農村保護が論点になる様々な局面では,どのような行動が「合理的」であるかについては必ずしも明らかではなく(著者はこれを「ナイト的不確実性」の大きい状況と呼んでいます),農林省(当時)の官僚が小農論に由来する政策アイディアを発展させつつ意思決定に反映させてきたことを明らかにしています。

私自身はまあ本書で批判されている「合理的選択論」者なんだと思うんですが,その合理性の水準って自分自身の仕事に限ってみてもなんかいろいろバラつきがあると思うんですよね。国際比較をするときや予測みたいなことを念頭に置くときは,割と雑に制度からアクターの行動を仮定して分析しますし,政策過程を見るときは個々のアクターの合理性(というか意図)をより詳細に見ることになりますし。最近の住宅の話では,基本的に利益中心のアプローチなのでそこは違うのでしょうが,佐々田さんの本と同様に制度のオフパス(=たとえば採用されなかった大農論)を意識して議論しているので,その意味では重なるところもあるのかなあ,と。ただ戦後の住宅の場合は,制度のフィードバック効果みたいなものが重要なところがあって,その意味で「ナイト的不確実性」が重要ではなくなっていくわけですけど,逆に戦前農政でその特徴が重要であり続けたのはなんでだろう,と考えてみると面白いのかも,と思いました。
本書を読んで改めて思ったのは,強い強いと言われてきた日本の政府はホントはずっと弱かったんじゃないかなあということです。私の方はもともと自分の住宅の研究でそう思ってたのですが,佐々田さんの農政の話を読んでその思いをより強くしたといいますか。何ていうか現状に働きかけて大きく変更しようというのがずっと難しくて,一応議論としては出るんですが結局採用されることはない,という感じ。官僚の方は,そんなに強く権利義務を変更するようなことはできないという前提のもとに,feasibleな中で一番望ましい政策を選好するようになるというか,そういう理屈を編み出していくような気もします。もちろん強い強いと言われてきたのは産業政策が本丸なのわけですが,その辺に新たな研究が生まれてくるとまた違う話が出てくるのかもしれません。 

農業保護政策の起源: 近代日本の農政1874~1945

農業保護政策の起源: 近代日本の農政1874~1945

 

同じく北海道大学の前田亮介先生から『天皇の近代』を頂いておりました。どうもありがとうございます。前田さんは去年から在外研究で(去年LSE今年プリンストン),歴史的資料に当たるのは相当大変なのではないかと思うのですが,力作ぞろいの本書の中でも一番長い論文書いてます。どうやって資料集めてるんだろう…。

前田さんは,「「皇室の藩屏」は有用か?」という論文で,天皇の権威に依存しつつ政治的にはなかなか主体的な存在になれなかった貴族院の位置づけについての議論を分析しています。特に近衛篤麿の「正義の女神」としての貴族院谷干城の「補導の臣」としての貴族院,という見解が論じられつつ,基本的には能動的に動かない君主が動かざるを得ない「非常時の大権」の行使について論じることを通じてそれらの構想について評価する,という感じでしょうか。

前田さんのだけではなく,他のいくつかのものでも見られましたが,「形式的には代表していないものが実質的に何か(国体?)を代表する」ということを考えるのは面白い話だと思います(難しいですが)。近年の統治機構改革論でも,そのような実質的な代表をどう設定するかというのが重要な議論になっているような気がします。以前はそれこそ宮中関係であったり,審議会みたいなものがそういう機能を果たしていたところがあると思いますが,それが難しくなっている中で新たにどうするか,と。まあ近年だと,そもそも何かを代表すること自体いろいろと難しくなってるわけですが…。

天皇の近代―明治150年・平成30年

天皇の近代―明治150年・平成30年

 

*1:いやもちろん大雑把に決めることにもいいことがないわけではないのですが。

最近のいただきもの

帰国してからこの間いくつかご著書を頂いておりました。まず遅くなってしまいましたが,夏休みのうちに河野勝先生から,監修をされている「ポリティカル・サイエンス・クラシックス」シリーズのうち,『国力と外国貿易の構造』『通産省と日本の奇跡』に二冊を頂いておりました。どうもありがとうございます。二冊とも,言わずとしれた名著で,再翻訳は喜ばしいことです(前者はちょっと前に出ているものですが)。 『通産省と日本の奇跡』の方の翻訳を担当された佐々田さんはもうすぐ同じ勁草書房から農政についての研究書を出されるということでこちらも楽しみです。

国力と外国貿易の構造 (ポリティカル・サイエンス・クラシックス)

国力と外国貿易の構造 (ポリティカル・サイエンス・クラシックス)

 
通産省と日本の奇跡: 産業政策の発展1925-1975 (ポリティカル・サイエンス・クラシックス)

通産省と日本の奇跡: 産業政策の発展1925-1975 (ポリティカル・サイエンス・クラシックス)

 

 同じ早稲田大学の稲継裕昭先生からは『AIで変わる自治体業務』を頂きました。ありがとうございます。稲継先生は最近『未来政府』を訳されるなど(これも非常に面白い本でした!),情報通信技術がいかに我々の生活や自治体の業務を変えるかという研究に精力的に取り組まれています。この本では特にAIに注目されていて,それが将来的に自治体業務をどう変えていくかも含めて議論されています。 

AIで変わる自治体業務―残る仕事、求められる人材

AIで変わる自治体業務―残る仕事、求められる人材

 
未来政府

未来政府

 

東京大学宇野重規先生からは『未来をはじめる-「人と一緒にいること」の政治学』を頂きました。ありがとうございます。宇野先生が豊島岡女子女子中学・高校で政治学の講義をした記録をもとにしたご著書ということです。「知識主導型でない政治学の講義」という企画なので,政治学って難しそうと思う人にも手に取りやすいものになっていると思います。リンク先での宇野先生のコメントとして,

 とは言っても、なかなか政治を身近に感じることは容易ではないだろう。政治とは多様な人々が集まって意思決定をすることだ、といくら解説したところで、「集合的意思決定」などという言葉を使った瞬間、多くの人は「難しそう」、「自分とは縁のない話だ」と思ってしまう。

とあったのですが,そういえば,僕も先日高校生にお話したとき,ふつうに「政治ってのはみんなの行動を縛ることを決めることで…」とか言ってましたね。反省しきりです。

日野愛郎先生からは『内容分析の進め方-メディア・メッセージを読み解く』を頂きました。どうもありがとうございます。授業で使った内容分析のテキストを翻訳されたということです。日野さんはただでさえベルギーの政治に欧州を中心とした比較政治について日・英の両言語でたくさん発表され,普通の計量分析だけじゃなく質的比較分析(QCA)も使いこなすすごい研究者なのですが,さらに内容分析まで教えているという…無理そうですが本当に見習いたいと思います。実は僕も最近国会議事録を分析する仕事をしていて,そのときに機械学習を使った内容分析的なやつってやってみたいなあと思ったのですが,ちょっとハードル高くて諦めたところです…。まずは本書から勉強してみます。 

内容分析の進め方: メディア・メッセージを読み解く

内容分析の進め方: メディア・メッセージを読み解く

 

その国会議事録を分析する仕事を発表する版元の白水社から『英語原典で読む経済学史』を頂きました。ありがとうございます。正直なところ日々の仕事に追われていると経済学を原典で読むというのは相当ハードル高いですが,英語の勉強として(解説付きで)読む機会があると,読むこともできるかもしれませんね。 

英語原典で読む経済学史

英語原典で読む経済学史

 

もうひとつ,神戸大学の梶谷懐先生から『中国経済講義』を頂いておりました。どうもありがとうございます。本書を読むと,中国経済を理解するのにいかにそのための前提知識が必要なんだろうと感じます。英語中国語に加えて経済学の理論や実証の方法が必要なのはもちろん,中央地方関係をはじめとした政治制度や労働問題,最近だと情報技術についてまでの知識もいるでしょうから,参入のハードルは極めて高いなあと。しかし本書は新書であるにもかかわらず,本当に多様な論点に目配りされていて、まさにこれが現代中国経済の講義なのだなあと感じました。

個人的には,地方政府と土地取引の第2章が勉強になりました。中国の土地所有制度(というか社会主義なので所有じゃないわけですが)はちょっと変わっているということを耳学問では聞くものの,あまり体系的に知る機会はなく,地方政府が土地使用権を独占的に供給するということが市場に歪みをもたらすという話はなるほどなあと。ほっておくと地方政府が観察しにくいかたちで債務を増やすので,地方債の発行に置き換えていくというのもなかなかすごい話です(これはこれでそのうちToo big to failが起きそうな気もしますが…)。最後の不動産税のところは,日本でもそうですが,在外研究先のバンクーバーでもいわば「口に苦い良薬」として問題になっていた話で,やはり取りうる政策手段というのはある程度収斂してくるんだなあという印象を持ちました。

本書でも何度か言及されていましたが,いろいろと改革があってもソフトな予算制約の問題は依然として残るようですし,日本と同様に中国も持続可能な制度への転換という課題に直面しており,その経験を相互に参照することは重要になるのではないかと思うところです。

 

『不利益分配の政治学』

琉球大学の柳至先生に『不利益分配の政治学地方自治体における政策廃止』を頂きました。どうもありがとうございます。本書では,地方自治体における政策廃止がどのようなメカニズムで決定されているかについて検討したもので,土地開発公社自治体病院・ダム事業の廃止についての実証研究が行われています。注目すべきなのは,このような事業の廃止について事例研究によって原因を検討しているだけでなく,都道府県の担当部局などにアンケート調査をかけてデータを取得するようなことを通じて,通常の計量分析とは異なる質的比較分析を行っているところです。最近は,わかりやすい教科書が出版されていることもあって*1,質的比較分析という手法について知られるところも増えてきたと思いますが,このようにまとまった書籍として出版されるのは,おそらく日本の政治学行政学では初めてではないかと思います*2

そのような方法を使った本書では,政策過程について「前決定過程」と「決定過程」に分けたうえで,それぞれの過程においてどのような要因が必要条件あるいは十分条件になるのか,ということを検討しています。まず前決定過程,つまりどのようなテーマが議論の俎上に上がるかということを決めるのは,地方自治体をめぐる政治状況(知事の交代や知事-議会関係)や政策の性質(誰に支持されているか)ということが重要になるということが示されていきます。この中で,たとえば知事の交代のような要因が事業の廃止を進めるきっかけとして重要であることがわかるだけでなく,自治体病院のように廃止への支持を調達しにくい政策があることもわかります。

ダム事業の廃止についての研究もしている私自身の研究(『地方政府の民主主義』)も含めて先行研究では,このような前決定状況についての変数を用意して分析していることになります。本書がそれ以上に踏み込んでいるのは,「決定過程」についての検討を行っているところです。議論がなされる条件(→なされれば廃止の可能性も上がる!)を示すだけではなく,議題として上がったもののうちどのようなものが廃止につながっているか,ということです。本書で挙げられている要因,とりわけ十分条件として挙げられているのは,「政策の存在理由」です。地方自治体では意思決定を行う時に何らかの公益に沿った決定であるという主張をしなくてはいけないので――本書では非公式の制度として扱われています――政策の存在理由をきちんと提示できなかったものが廃止されると。

これは当たり前のように見えますが,なかなか興味深い議論です。一方で,この裏側には,「存在理由がないのに存続している」膨大な政策・事業が存在することを意味しています。それらが残る中で,存在理由とは切り離されたかたちで政治状況によって廃止が議題に上がり,存在理由があれば存続するということになるわけです。他方で,理由があるものを残す,というのは当然のようにも聞こえますが,これは理由が提示されているのに廃止するということが難しいということでもあります。ポピュリスト的な首長がやみくもに意思決定することができるわけではなく,最後は理性的な議論がアンカーになっている,ということは,日本の地方政治がなんだかんだ言いながら大崩れせずに続いて来ている理由を示すもの,と考えることができるのかもしれません。

このように,政策の廃止というまさに現代問題となりがちなテーマについて,新しい方法を使いながら丁寧に検証された本になっていると思います。質的比較分析は,最近興隆しつつも方法論的な批判がなされているところもありますが,必要条件と十分条件を探る本書のような問題意識とうまくマッチすれば使えるところもあるように思います。そういう研究ができるんだ,ということを示す点でも本書はとても興味深いものになっているのではないかと。

不利益分配の政治学 -- 地方自治体における政策廃止

不利益分配の政治学 -- 地方自治体における政策廃止

 
質的比較分析(QCA)と関連手法入門

質的比較分析(QCA)と関連手法入門

 
Configurational Comparative Methods (Applied Social Research Methods)

Configurational Comparative Methods (Applied Social Research Methods)

 
地方政府の民主主義 -- 財政資源の制約と地方政府の政策選択

地方政府の民主主義 -- 財政資源の制約と地方政府の政策選択

 

 

*1:リンクを張っている『質的比較分析(QCA)と関連手法分析』,翻訳は読んでいないのですが,少なくとも原著Configurational Comparative Methodsは非常にわかりやすかったです。

*2:追記:正確には「日本政治を扱った日本の政治学行政学」ですね。外国の研究としては,岡田勇先生の 『資源国家と民主主義』がありました。

資源国家と民主主義―ラテンアメリカの挑戦―

資源国家と民主主義―ラテンアメリカの挑戦―

 

『崩れる政治を立て直すー21世紀の日本行政改革論』

東京大学の牧原出先生から『崩れる政治を立て直すー21世紀の日本行政改革論』を頂きました。どうもありがとうございます。全体としては,基本的に自民党の一党優位政党制が完成してからの行政における「ドクトリン」を析出する試みをなされているのかと感じました。「ドクトリン」とは,牧原先生が『行政改革と調整のメカニズム』の中で議論されていますが,一般的に社会現象における原因と結果の関係を抽象的に説明することを目指す「理論」とは異なるもので,「内閣機能の強化,地方自治体への権限移譲,資格任用性の整備など行政固有の改革構想」を意味するものです。特定の制度的文脈のもので一定の説得力を持つ「ドクトリン」であれば,行政改革のたびに同様の「ドクトリン」が繰り返し用いられることになります*1

中でもとりわけ興味深いと感じたのが,財務・外務・法務・内務・軍務の古典的五省を中心に議論を構成されているところで,その意味では一見改革を論じていないように見える3章が本書の中心ではないかという印象を受けました。「なぜか」ということを純粋に理論的に説明するのは難しいように思いますが,現に日本の行政が本書で論じられているように,古典的五省+時に革新をもたらす商工・通産・経産省を軸に動いているとすれば*2,それをゼロベースで変えようとするのは現実的ではなく,可能な移行を管理するべきであるというのもその通りだと思います。
行政改革が「行政の自己改革能力の改革」とするルーマンの議論をベースにした捉え方も興味深く感じました。個人的には,(行政)改革それ自体が直ちに新しい制度的な均衡をもたらすのではなく,その後に続くのは作動を円滑にする自己改革という面も,自己強化的なフィードバックが働く均衡への緩慢な着地という面もあるように思います。もちろん,思ったようにアクターの行動が変わらないこともあるでしょうし,私が最近研究している住宅のように,フィードバックが強すぎてそもそもなかなか動かないところもあるでしょうが。いずれにしても改革がゴールではなく,さらなるゴールのための出発点という感じになると思いますが,プレイヤー間でのゴールの共有をある程度前提とした移行過程の管理というのは非常に重要な論点であるように思います。

個人的にも移行についてはずっと考えているところがあって,昔書いたエントリを発掘して読み直すと,これも相当牧原先生の議論から影響を受けながら,なんか同じようなことを書いている気がします。グチグチ考えるだけであんまり進歩していないだけかもしれませんが,いつかまとめることができる日がきたらいいなあと。

崩れる政治を立て直す 21世紀の日本行政改革論 (講談社現代新書)
 
行政改革と調整のシステム (行政学叢書)

行政改革と調整のシステム (行政学叢書)

 

 

 

*1:このあたり,私自身の『行政改革と調整のメカニズム』への書評もあります。(『行政管理研究』129号

*2:本書では,内閣法制局も重要な役割を果たす機関として論じられていて,それはその通りだと思いますが,これは古典的五省のうちの「法務」との兼ね合いで議論できるところもあるように思います。