苦節十年

最近悩まされていた作業,というか博論がちょっと一段落したような気がしたので,以前に読んだ村井[2005]に続いて奈良岡[2006]を読んでみる。村井先生の本と比べて奈良岡先生の本は,「政治学」というよりも「政治史」への比重(?)が大きくなっているために,僕にはわからないところも多いけれども備忘のためにメモ。

加藤高明と政党政治―二大政党制への道

加藤高明と政党政治―二大政党制への道

政党内閣制の成立 一九一八~二七年

政党内閣制の成立 一九一八~二七年

この本でやっていることは,おわりにまとめられているように,これまで十分に分析・評価されてこなかった加藤高明の政治指導について,一次資料に基づいて検討することで,戦前期における二大政党制の形成過程を明らかにする,というもの。そのために,この本では加藤の周りの人間関係や,彼に影響を与えてきたイギリス生活,そして対華21か条要求で批判を受けつつ下野した後の苦節十年の野党憲政会の指導と,首相になったあとの政治指導を丹念に追うという作業を行っている。一次資料に基づいたひとつひとつの話やエピソードは非常に興味深く勉強になるのだけれども,僕のように歴史に疎い人間にとっては大きな絵(理論?)を示してもらってから議論を展開してもらったほうが読みやすいことは間違いなく,読んでるうちに自分がどこにいるのかわからなくなることもしばしばだったような(って僕の博論もそうですね…ホントに反省してます)。
特に興味深いと思ったのは,しばしば出てくる人事の話。まずは政官関係についての議論で,奈良岡先生は他の論文にも書かれているように加藤内閣の政務次官設置の話について詳しく分析を行っている。政務次官が設置されたのは,本書の中にもあるように,ひとつには護憲三派の連立として発足した加藤内閣がたくさんのポストを必要としたことに加えて,より重要な要因として,政党主導の政官関係を構築するという問題意識があったことが議論されている。しかし政党主導の政官関係を築こうとするときに情実任用や疑獄が付いてまわり,「政党は政務と事務の区別を破り,私的利益追求のために官界に触手を伸ばしていると見られるように」(355)なることの指摘はその通りだと思う。さらに,「強大な「官」の牙城を切り崩す中で発達してきた戦前期日本の政党にとって,「官僚の系列化」「官僚の政党化」は政党発達のひとつの大きな要件であり,政務と事務の区別を守れないのはそもそも宿命と言えた」(同)という指摘は極めて現代的であって,これは今後の日本で自民党民主党の二大政党制が発展していくとしたときに,避けては通れない問題なのではないだろうか,と思われる。ここでも言及されているような強大な「官」を形作っているのは,現代までも引き続いて試験任用によって採用されている「優秀な」官僚であるわけで,中立的でかつ能力が高いとされる現在の日本の官僚組織の存在を前提とする限り,ここで指摘される問題はついて回るだろう。このあたりの議論については,(いつになるかはわからないけど)次に読む予定の清水さんの本と併せて考えてみたいところ。
もうひとつ,これまであんまりよくわかってなかった存在なのですが(まあ今もそんなにわかってませんが),枢密院というのは非常に面白い。政党内閣の時期には枢密院を構成する枢密顧問官に官僚OBや学者が就任していて,上記の政党主導の政官関係を構築することを目指す改革(具体的には文官任用令の変更など)に対してVetoを発動するポイントとなっていたとされる。恥を恐れずに大雑把な理解を書くと,似たような組織として貴族院があるものの,貴族院では皇族・華族の議員以外の勅任議員については,ある程度政府が影響を与えることができるらしい。具体的には,勅撰議員は一応内閣総辞職のたびに変わることになってるらしいし,また,多額納税者の議員は一応選挙(多額納税者の互選)で選ばれることになっているということで。それに対して,枢密院の枢密顧問官は基本的には終身官になっているということで,新しい内閣がすぐに枢密院に影響を与えるのは難しく,顧問官が死去したりするときに交代の顧問官を選ぶ人事が重要になるらしい。奈良岡[2006]を読むと,加藤高明の政治指導から,新任の顧問官を通じてじわじわと枢密院に影響力を行使しようとする姿勢が観察されるらしい,というのが伝わるわけですが,これがどのような人事なのかは非常に興味深い。Ramseyer[1994]*1などの枠組みだと,日本の戦前の政党政治というのは政権交代の可能性はあるものの,民主制という政治体制自体が脆弱だったという予想があるために,各政党がコミットメントコストを考えずに人事を行う,という話になってたと記憶するのですが((Ramseyer & Rosenbluth[1999]もこのノリだったと記憶してますが…),この本を読んでる限り必ずしもそこまで無茶な人事を行ってるようには考えにくい。仮に加藤のような人が,自らの影響力を枢密院に対して発揮させることを考えつつ,同時にコミットメントコストを考慮していたのだとしたら,当時の日本の政党政治というシステムはそれなりに頑健だったという共有された予想があったりするのではないか,と思ってみるのですが。

政党と官僚の近代―日本における立憲統治構造の相克

政党と官僚の近代―日本における立憲統治構造の相克

日本政治と合理的選択―寡頭政治の制度的ダイナミクス1868‐1932 (ポリティカル・サイエンス・クラシックス)

日本政治と合理的選択―寡頭政治の制度的ダイナミクス1868‐1932 (ポリティカル・サイエンス・クラシックス)

しかし,加藤高明でも一回大隈内閣の外相やってから下野して苦節十年なんですよね。比べるな,といわれるかもしれませんが,自民党の幹事長をやって,細川・羽田両内閣の「キングメーカー」をやってから下野した人はもう苦節十年どころかそろそろ15年になるわけですが。そらスケールが違うよ,って言う人は多いのではないかと思いますが,自らが行った対華21か条の要求に固執して支持を拡大することができなかった加藤の姿は,「普通の国」に固執する小沢一郎の姿と少し重なって見えなくもない。新進党で一度失敗した小沢の「政治指導」が,この本で描き出された加藤と同様に円熟味を増すことができるのか,というのは少し重ね合わせつつ観察してみたいところだなぁ,と。

*1:Rameseyer, J. M. [1994] “The Puzzling (In)Dependenc of Courts: A Comparative Approach,” Journal of Legal Studies, 23(2): 721-747.