地方の発言力(12/23追記あり)

昨日のエントリで少し触れた,保育所に関する国庫負担の地方移管問題は,子ども手当の創設にともなって廃止される予定の?児童手当の財源をどうするか,という問題に関連してくるものらしい。最近ちょっとニュースへのアンテナが鈍っているようでお恥ずかしいところ。話としては,毎日新聞の佐賀版が報じている古川知事の発言が構図をつかむのにわかりやすい。

子ども手当:地方負担は筋違い 古川知事、政府内意見を批判 /佐賀
古川康知事は9日、子ども手当の財源として地方負担を求める意見が政府内にあることについて「筋が通らない」と述べ、明確に反対する考えを表明した。同問題をめぐっては、全国知事会長の麻生渡・福岡県知事や松沢成文・神奈川県知事らも反発している。
報道陣の取材に対し、古川知事は「民主党衆院選マニフェストなどで、子ども手当は全額国費で賄うと示してきた」と、子ども手当の経緯に触れたうえで「いざ実行するという段に来て、地方負担を持ち出すのは筋が通らない」と語気を強めて批判した。
また、子ども手当導入に伴って児童手当が廃止され、児童手当分の地方負担が減ることに関しては「その代わり、国が補助している保育関係経費を全額地方負担にするという意見も政府内にはある」と指摘。「事業内容も地方に任せてもらえるなら支持したい」と条件付きで賛成の意思を表明した。
松沢知事は子ども手当の地方負担が強行された場合、支払いボイコットの構えを見せているが、古川知事は「自治体としては法律違反があってはいけない」と慎重な姿勢を示した。

要するに,(1)子ども手当の実施に伴って,廃止される児童手当の国庫負担が浮く→(2)地方としてはこの部分を一般財源化すべき→(3)ただ仕事の裏付けなしに一般財源化というと焼け太り批判がある→(4)保育関係経費の国庫負担を廃止して一般財源化できる→(5)厚生労働大臣少子化担当大臣「国の関与がなくなるのは望ましくない」(←いまここ),というわけか。うーん,しかしこういうことを言うと財務省みたいだ,って怒られそうな気はするけど,そもそも(2)に行くのがどうなのか。子ども手当を創設するにあたって従来の児童手当を廃止する,というのは,普通に新政権が政策転換をするというものなので,それこそ「事業仕分け」的な話なのではないか。この話を知らなかった当初,個人的にはどちらかというとこの問題では,児童手当を廃止する過程で国庫負担を廃止するというのに加えて,裏負担をしている交付税の相当分をどうするんだ,という議論が出てくるのかと思ってたのですが。児童手当の裏負担をしている一般財源をいじるとなると,(ざっくり言えば)交付税を受けている交付団体についてはその分算定からどければいいけど,不交付団体については算定から除いても単に水準超経費が増えるだけだからまたややこしいことになってしまうので,なんとなくお茶を濁すのではないか,という予想だったのですが,そっちの方へはいかなさそう。でも交付税の算定はどうするのだろうか…まあ常識的に考えると根拠となる法律自体がなくなるわけだから算定には組み込まれないだろうけど,そうすると単位費用×測定単位では結構な穴が開く。この際従来小さめに算定していた単位費用をしれっと上げることも考えられるし,個人的にはどうせならそうする方が望ましいのではないかと思ったりするのだが,また別の費目を創設したりするのだろうか。
結局のところ,単に「子ども手当」の創設を行うにあたっての事業仕分け的な問題と考えるべきか,「子ども手当」を創設するのを機会に地方分権化を進めるのか,という話になっているような印象なのですが,ここで敢えて分権を持ち出すのはむしろそちらの方が筋違いではないかと思ったり。もともと児童手当自体は国の仕事を地方がやっている性格が強いわけだから(児童手当法29条の3で法定受託事務とされている),本来どれだけ「地方負担」でやっているか自体,まず精査すべきではないかと思うし…。しかし最近地方の発言力というのはなかなか凄まじい。何が凄いって,特に三位一体の頃からかなり強くアジェンダにコントロールをかけれてきているのではないかと思われるところ。いやもちろん,三位一体にしても,その後の後期高齢者医療制度とか,地方分権改革とかそういうのにしても,結局地方の主張はなかなか通らなかったわけで,その点ではまだ発言力が弱いという評価もありうるかもしれない。でも,従来からそういうところがあったにせよ,メディアの側が地方の主張を正当性があるものとして報じて補強し,それを受けて中央省庁が批判されるという構図は強くなってるんじゃないかな,と思う。現在観察できる帰結として,地方財政の総額はそれなりに維持され(もちろん地方関係者から見れば大幅に足りない,という話なんだろうけど),個人としての知事のポジション・発言力が普通の国会議員を凌駕する傾向があるように思うわけですが,これはドコまで行くのだろうか。この,どこまで,というのが問題になるとおもう。突き詰めていけばブラジル,という話は極端としても,どこかで地方の力が強くなり連邦制のような形態に向かう議論も出てくるのかもしれない(まあその前段の都道府県合併の調整ができなくてネックになる気もするけど)。

Ambition, Federalism, and Legislative Politics in Brazil

Ambition, Federalism, and Legislative Politics in Brazil

追記

最近追記ばかりではありますが,時事通信によると「併給」というかたちで決着に至ったらしい(via 併給−初心忘るべからず)。

地方と事業主も負担=子ども手当、10年度は1万3000円−政府
政府は23日、子ども手当の財源について、2010年度の暫定措置として、現在、児童手当の費用を出している地方自治体と事業主にも引き続き負担させることを決めた。子ども手当の一部として児童手当を残し、地方と事業主に従来と同程度の拠出を求める。残りの部分は国費で賄う。菅直人副総理兼国家戦略担当相、原口一博総務相藤井裕久財務相長妻昭厚生労働相財務省内で会談して合意した。(以下略)

…。ウルトラC(死語)というかなんというか。地方負担を正面切って削るということができないために,児童手当を存続させて,それに子ども手当をかぶせるということ。しかしこれは大きく二つの点で問題があるのではないか。まずひとつは,何よりもここまで揉めた所得制限の話はどうするのかと。従来の児童手当を維持するというのは一定の所得制限が残ることを意味するのではないか。これまで児童手当をもらえなかった層について地方が負担することになるというのは,(このエントリの本文で批判しているのとは異なる)真の意味での「地方負担」であると考えられる。そうすると,なおさら筋が通らなくなるし,地方側からの反発も激しくなることが予想される。ただ,児童手当を現状で維持するということは,裏負担としての交付税基準財政需要額をそんなにいじらないで良いというところで地方にとっても好ましいと受け取られるかもしれない。その場合は従来の所得制限以上のひとたちのところについて国庫負担と交付税の裏負担を出すということになるのかな。そうすると一部の不交付団体は嫌がるかもしれないが,この間財政に余裕があっただろうという話になりそう。
もうひとつは,事務経費の問題。子ども手当の発想で重要な要素として,従来の児童手当において行われる資産調査などの事務が煩雑であることを背景にして,より単純化したかたちで給付を行い事務の合理化を進めるというのがあったはず。そうではなくても,子ども手当と児童手当が併存することで,結局のところ事務量が増えることになり,ここについてもやはり真の意味での「地方負担」が出現する可能性が高いのではないか。民主党政権は,選挙前から「予算の組み換え」を強く主張してきたわけで,児童手当から子ども手当への変更は,その中でも最たるものであったはず。しかしこういうかたちで原則を曲げることになってしまうと,今後はますます厳しいかもしれない。少なくとも「暫定措置」ということになっているが,この後どうやって実現していくんだ,ということがきちんと示されないとさらに批判が激しくなるだろうし,真の意味での「地方負担」も実は増えていくような気もする(そういう意味では,地方としてもきちんとコトの性質を見極めないといけないところがあるのではないか)。