ストーリーとしての競争戦略

専門書がベストセラーとして話題になっている本。最近体調を崩してどうも頭が動かないので,療養がてら読んでみたのだけども,これはたしかに面白かった。だいたいはじめのところで,研究者が実務家に話をする意義,というのが共感できる。本書の場合には,分析の対象はビジネスなわけで,経営学者である筆者はビジネスの実務家から「学者の理屈は机上の空論」なんて揶揄されたりする話が書いている。ビジネスの成功は「理屈では説明できないこと」(野生の勘?)で八割方決まっている,と。しかし残りの二割は理屈で説明できるところがあるのではないか,経営や戦略を相手にしている以上,法則定立はできないとしても,「論理」を見つけることができるのではないか,という主張から始まる。
本書で試みられているのは,基本的には,成功した企業の実践から,成功のための「論理」を析出する,ということ。重要なのは,それが単なる個別的な「論理」なのではなくて,いくつかの「論理」が積み重なった「ストーリー」として語ることができるということになっている。つまり,他の企業が成功した企業を模倣しようとして,個別の「論理」だけを移植してもうまくいかないという話。個別の「論理」を機能させているのは全体としての強い「ストーリー」であるという話になる。
ここで議論される「ストーリー」はそれなりに個別性が高いので,「ストーリー」とは何か,というのは非常に難しい。そこで,著者は「ストーリー」が何でないか,ということを整理することで,「ストーリー」の意味を明らかにしようとする。それは,「アクションリスト」「法則」「テンプレート」「ベストプラクティス」「シミュレーション」「ゲーム」ではない,という話。強調されるのは,「ストーリー」が「静止画」のようなものではなく,「動画」であるということ。そして,ビジネスの競争戦略において,最終的なゴールである利益を出すための,どういう「ストーリー」があり得るか,また実際の成功した企業がどのような「ストーリー」に基づいて動いているのか,を説明していく。まあその説明は面白いものの,専門家じゃない人間にとってはちょっと冗長かな,というのがないわけではない。また,「成功」した企業だけを見ているので(=「失敗」した企業の「ストーリー」はあんまり見ないので),社会科学的な方法論の観点からは微妙だという批判も成り立つだろう。でも,本書の議論は政治や行政を考えるときにも非常に重要な示唆をふくんでいることは間違いない。
政治学者も政治家や行政官の前で話をすることってないわけではないが,基本的に著者が出だしで説明するのと同じような問題を抱えている。まあ「学者の理屈は机上の空論」という風に思われるわけで(政治学の方がひどいじゃないか!というのはとりあえず置いといて)。もうちょっと肯定的に見ていっても,基本的に政策の個別の「論理」を発見して議論するっていうところまでしかできないんじゃないかな,というように考えるところ。典型的には選挙制度の効果みたいな話がそうだけど,選挙制度がどんな効果を持ち,執政制度との組み合わせによって,どういう影響が出るのか,というのについてはある程度根拠を持って議論できる感じになってきたと思われるが,それでは「成功」する政策がどんなものなのか,というのについてはやっぱりよくわかっていない。
これは,政治学行政学の関係でいうならば,公共政策の議論で,「公共政策学とはアートなのかサイエンスなのか」という感じでいつも出てくる話と近いところだと思われる。サイエンスというのは,要するに個別の「論理」を析出することに力を傾けている向きであって,(誤解かもしれないが)少なくとも最近の若手研究者の間では,このサイエンスのところをきちっと研究することが重視される。これはまあ「最近の若手研究者」とかいう微妙な括りだけではなく,先により「科学」化した経済学でもそうだろう。しかし,実際に「成功」する政策はかなりアートな部分が大きいことはみんな分かっていて,そこのところをどう分析に載せていくのか,というのが難しいところ。そこを本書のように「ストーリー」として分析するのは優れたアプローチなのかもしれない,と思う。まあ評価しにくいことに加えて,またビジネスでのゴールは基本的に「利益」と設定すれば良いのに対して,公共政策におけるゴールが多義的で設定しづらいという問題点はあるが。
数日前に不用意にそんなことをツイッターでつぶやいてしまったが,もちろん政治家や行政官といった実務家の方でも,本書で描かれている内容を意識して「ストーリー」を有権者に提示するのは重要なのだろう。そのとき考えなくてはいけないのは,本書の著者が強調しているように,切り取った「静止画」を提示するのではなく,「動画」を提示するということになる。例えば「民営化」とかそういうスローガンは,「アクションリスト」「ベストプラクティス」「テンプレート」にはなるだろうが,「ストーリー」足りえることはない。結局,本書でも強調されるように,「なぜ」その政策が採られなくてはいけないのか,そして,その政策を採ることによってどのような効果が生まれるのかについて,動きをもった「ストーリー」が必要になる。逆に言えば,そういう「ストーリー」なしに政策を語るのは,ただのbotでしかない,ということになるのだろう。これについては,特にこの言葉が印象深かった。前のエントリの移行の話とも若干通じるような気がするのだが。

要するに,一撃で勝負がつくような「飛び道具」や「必殺技」がどこかにあるはずだ,それをなんとか手に入れよう,という発想がそもそも間違っているのです。戦略ストーリーが意図する強みは,個別の打ち手の中にはありません。打ち手をつなげていく因果論理の一貫性こそが競争優位の源泉なのです。成功を持続している企業の戦略ストーリーを眺めると,さまざまな打ち手が明確な因果関係でがっちりと繋がっている一方で,一つひとつの打ち手はわりと地味に見えるのがむしろ普通です。戦略ストーリーが意図するのは,一目瞭然の派手な差別化ではなく,「似て非なるもの」という差別化なのです。(p.450)