本を生み出す力

これは面白かった。この本で議論されているような話は,常に断片的に耳にしているし,僕自身が事例研究の対象のひとつである有斐閣から本を出していただいていること,またしばしば言及される社会学の研究者や本についてそこそこディレッタント的な知識があるから,ということかもしれないが,専門分野は別として,個人的には今年のベストになるのではないかと思う。
本書で分析しているのは,書籍,とりわけ昨今の「出版不況」*1の中で刊行が難しくなっている硬い学術書の出版について,実質的に「ゲートキーパー」となっている出版社・編集者の意思決定である。さらにその分析は,出版社の事例研究にとどまらず,書籍を通じた学術コミュニケーションの現状と,そのあり方にまで及ぶ。

本書では,…書籍を主要な媒体としておこなわれる学術コミュニケーションに関与する,さまざまな種類のゲートキーパーの中でも,特に出版社がゲートキーパーとして果たしてきた役割に焦点を絞って検討を進めていく。これは何よりも,出版社が,書籍を介した学術コミュニケーションの起点におけるゲートキーパーになっているからにほかならない。実際,同じ学術コミュニケーションとは言っても,学術ジャーナルに掲載される論文の場合には,通常,編集委員会や査読者が第一段階のゲートキーパーになる。これに対して,学術書の場合には,出版社とその編集者が最初のゲートキーパーとなることが多い。
また,本書の主たる分析対象である人文・社会科学系の多くの領域については,自然科学あるいは心理学や経済学のような,いわゆる「ハードサイエンス」的な社会科学の領域とは違って,学術雑誌に掲載される比較的短い論文ではなく,数百ページを費やして語られるストーリーの形でしか伝えることができない内容の持つ情報が大きな意味を持つ場合が少なくない。また実際に,これらの学問領域では,さまざまなタイプの出版社から刊行された一冊の書籍ないし数点の学術書のシリーズが学問全体の流れを変えていくほどの大きな影響を与えていった例が多く見られる。この点もまた,本書において出版社がゲートキーパーとして果たして来た役割に対して焦点をあてていく主な理由のひとつである。(本書,24-25頁)

出版社から見れば,利益にかなうのは硬い学術書よりも教科書や一般向けの教養書であり,そのような中でなぜ・どのように学術書を刊行していくのか,また,学界の方からみれば「ゲートキーパー」として日本でも通常の学術ジャーナルでみられるようなピアレビューという手法がありうるのに,学術書の出版においてなぜそのような方法が用いられていないのか,それは日本の文化的な「変えるべき」問題なのか。本書を読んでいくにつれて,このような疑問を感じ,一定の回答が示されていくことになる。最近は日本でも「査読」が極めて重要視されつつある一方で,本書でいう「ファスト新書」,要するに学術的な価値は相対的に薄いが一般向けの教養書として出版される本が,部分的に学術的な貢献として認められる傾向がある。そのような中で,単に「ピアレビューが弱いからダメで,その制度を全面的に導入すれば解決する」というような大学における評価制度の問題だけではなく,書籍を出版する出版業界のあり方を含めて考えていく必要があるという本書の指摘は極めて重要なのではないかと思われる。
これは,まさに変わりつつある政治学系の研究者にとっても重要な指摘であることは間違いない。学問のあり方(というとちょっと大上段に構え過ぎだが)にも関わる問題だと思うが,本書でも指摘されるように,まずは「書籍を通じた学術コミュニケーション」というものについてきちんと考える必要があるのだろう。個人的にも査読論文を書くということは非常に重要だと思うわけだが,「数百ページを費やして語られるストーリーの形でしか伝えることができない内容の持つ情報」が本当に存在するのか,また存在するとしたらどのようなものなのか,ということをきちんと考えないといけない。やや皮肉な話だが,まとまったモノグラフというものを書くことが博士論文を書くときの大きなハードルになっている現状があって,それを査読論文数本によって実質的に代用する傾向があり,個人的にそれはそれで重要で否定すべきことではないと思うが,「数百ページを費やして語られるストーリーの形でしか伝えることができない内容の持つ情報」を表現する能力,まさに研究者の側の「本を生み出す力」を蓄積するのが難しくなることも事実だと思われる。もし本当にそういう情報が重要だということであれば(今のところ僕自身はそういう情報は重要だと考えているわけだが),そういう研究者の「本を生み出す力」をどうやって育成するのか,というようなことも含めて考えるべきなのかもしれない。

本を生みだす力

本を生みだす力

*1:ただ,本書では,「出版不況に伴って新刊依存の傾向が強まることによって,場合によってはむしろ逆に「硬い本」が出しやすくなっている面もある」(12頁)という指摘もある。これは十分ありうるような気がする。以前からたまに書いているように,ここ数年は政治学系の出版も多いような感じもするわけだし。