それでも選挙に行く理由

慶應義塾大学の粕谷祐子先生に,『それでも選挙に行く理由』を頂いておりました。ありがとうございます。投票日に紹介するにふさわしい本のように思います。本書はプシェヴォスキという碩学が,自らのものをはじめとしたさまざまな研究の成果から,選挙を行うという営みによって何が期待できるのかを議論していくものです。決して目覚ましいものばかりではなく,見方によっては論争的であるわけですが,一定の成果と呼べるものが何かをわかりやすく説明していくものだと思います。プシェヴォスキは基本的には実証研究の人だと思いますが,こういうかたちで,政治についての実証研究を丁寧に整理し,それを事実として理論的に展開していくのはとても重要なことだし,日本でもいくつか行われるようになっていると思います。従来の演繹的な理論研究とはやや異なるように思いますが,このあたりは論文と違う「本」の一つのあり方なのかもしれません。

以下の最後の部分の引用が典型かな,と思いましたが,選挙というのは一回ごとのもので考えるべきものというよりも,長く続く(続かせる)民主主義の中のプロセスとして考えるべきもの,という含意が示されているのだと思います。

選挙とは,ある社会における個人や集団という「政治勢力」が,ときには互いに対立する利害や価値観を推進するために争う方法である。選挙とは,良い政府,合理性,正義,発展,平等など,私たちが望むものを何でも与えてくれるメカニズムではなく,異なる選好を持つ人々が何らかのルールに従って争いを処理する場所にすぎない。したがって,選挙が生み出すものは,これらの行為主体が何をするかに依存する。しかし,今回の敗者が将来的に勝ち組になるチャンスがある限り,選挙が「競合的」,「自由」,もしくは「公正」である限り,敗者は自分の番が巡ってくるのをまつことができる。平和裏に紛争を処理するのに合意は必要ない。「団結は力なり」というスローガンは感動的かもしれないが,選挙ではたとえ分裂していても力を発揮できる。ノルベルト・ボッビオの言葉を借りれば,「民主主義とは,流血なしに紛争を解決する…一連のルール以外の何物でもない」。これが,選挙の本質である。(167)

ちなみに,「競合的」なのか,って話もあると思いますが,この点については以下の部分が印象的でした。

現職が勝利する可能性と負ける可能性が同程度の場合に選挙が競合的であると私たちが考えているのならば,そのような選挙はほとんどないことを知る必要がある。だが,たとえ勝てる確率は不公平であっても,選挙の結果が不確実である限り,あるいは,競合する政党がサプライズの可能性を残している限りにおいて,選挙は競合的である。(96-97)