最近,天川晃先生のこれまでの論文をまとめて読んでみたり,牧原先生の時評を読んだりして,強く刺激を受けたのだが,ここのところの特に政治学・行政学の研究者が考えるべき問題として,移行の問題というのが重要なのではないかという気がしてきた。まあそんなの当然だ,と言われるとそれまでなのだけれども,これまで明示的に「移行」が論じられてきたのっていうのは,僕はあんまり詳しくないが,マクロの体制変動論,みたいなやつが多かったのではないかと思う。特に経済学の分野では,少し前に共産圏の市場経済への移行を議論するということで,RolandのTransition and Economicsとか,大学院生のとき周りが結構みんな読んでいたような気がするし,最近ではこの20年間のTransition Economicsのレビューのような書籍も出版されているらしい。
Transition and Economics: Politics, Markets, and Firms (Comparative Institutional Analysis)
- 作者: Gérard Roland
- 出版社/メーカー: The MIT Press
- 発売日: 2004/01/30
- メディア: ペーパーバック
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Transition Economics: Two Decades On
- 作者: Gerard Turley,Peter Luke
- 出版社/メーカー: Routledge
- 発売日: 2010/11/10
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いや,もちろんそういう移行のときに,これまでの関係者を全て辞めさせて,完全に新しい人たちを新たに雇い,制度を運用するということはありうるだろう。それまでの法律のようなルールを停止させて,新たなルールをはじめから構築していくことも考えられる。「法の支配」が貫徹しない人治主義にあるようなところや,革命のようなかたちで権力の在り処が変わった旧共産圏の移行などでは,そういうことも行われたのかもしれない。しかし,特に「法の支配」が重視される民主主義国家において「統治」を考えるときには,そんな乱暴な移行を実施することはまず無理だろうし,特に公共サービスの受け手である国民にとって,それまで通用してきたことが一夜にして通用しなくなる,というのは到底受け入れられないことだろう。
それではここでいう移行っていうのがどういうことか。僕は今まで自分の研究で,地方財政制度や医療制度なんかを分析してきたわけだが,その二つの制度ともに,大きな考え方の対立がある。前者の方では,例えば「財政調整と財源保障を分離するかどうか」だし,後者の方では「社会保険方式と税方式」のような考え方の違いがある*1。日本の制度改革に関する議論を観察していると,地方財政制度については現在の財政調整と財源保障の融合を問題視して,両者を分離するべきだという議論がしばしば出てくるし,医療制度についても,特に財政調整を導入し始めた頃から社会保険方式と税方式の考え方の対立のようなものも見え隠れする。まあ社会保障で言えば,医療よりも年金でその傾向が強いんだろうけど,年金については僕は専門ではないので。
雑な話だし,まあそんなの当たり前だよって話なのかもしれないが,移行についての問題意識を持つのは,僕が「財政調整と財源保障の分離」や「税方式」を「財政調整と財源保障の融合」や「社会保険方式」よりも好むから,というよりも,いろいろな制度のあり方を眺めていて,それぞれが完全に,質的に異なるものとは思えないようになってきたからだと思う。あんまり細かい話もアレだけど,地方財政の方については,国庫負担金に加えて交付税で積み上げている義務的経費のところを「財源保障」と読み替えていけばかなりの程度接続してくるし,医療制度については,以前書いた学会報告で少しそういう問題意識を論じてみたけど,財政調整を幾重にも積み重ねることで,当初の医療保険制度と比較して,かなりの程度「応能負担」のような感じが強まっていることは間違いない。こういう考え方の違いというのは,基本的に極論のようなかたちで出現することが多くて,全くの制度変化であるかのように議論されるけれども,実態は必ずしもそうとは言えないし,実際に制度を変えるというときにはなるべく急激な変化にならないように,相当の移行期間が設けられることになる。
そういう移行の問題を,強く意識していたと言えるのは,僕がリアルタイムで知っている限りでは,小泉元首相と竹中大臣のチームということになるのだろう。彼らはおそらく初めて「工程表」というものに言及して,具体的にどのような手順で移行が行われることになるのかを明示的に議論しようとしていたと言える。役割分担を言うのであれば,小泉首相が「ゴール」を設定し,その過程について竹中大臣が詰めていく,というような割り振りだったのではないかと思われる。小泉首相の「ゴール」はいつも曖昧で分かりづらいとか批判をされてきたが,彼らの重要な業績というのは,おそらくこの移行過程の議論に光を当て,透明化しようとしたことにあると思われる。それまでだって様々な形で「移行」が行われてきたのは事実だろうが,その過程は必ずしもオープンではなかった。いわば,運用に当たる「中の人」=官僚の独壇場みたいな感じで移行の実務を詰めるということが行われてきたし,実のところその移行を詰める過程でゴールのかたちが変わったりすることもあり得たように思われる。国鉄民営化みたいな局面でも,それに近いことが言えるような気がするし。
しかし残念なことに,小泉・竹中以降,このような移行の問題がきちんと議論されることが減っていったように思われる。まさに典型的なのは,民主党政権への政権交代だと言わざるを得ない。これは小泉首相が設定してきた「ゴール」と同じように曖昧で,やはり同じようにざっくりとした方向性を決めたものだったのだろう。例えば子ども手当で考えれば,これは「控除から給付へ」という考え方の大きな違いを反映した制度変化が想定されていたはずだが,具体的な移行の道筋がなかなか議論されず,最終的に児童手当法の運用を修正しながら実現に向かうことになった。しばしば指摘されるように,子ども手当の法律は一年間の時限立法として決められているということで,「制度変化」というよりは暫定的に児童手当法に接ぎ木したような感じになっている。また,大阪府の橋下知事が提案する「大阪都構想」を始め,「中京都構想」とか「新潟州構想」のような様々な地域で出されている,地方自治の制度変化も似たようなところがある。一番先行している「大阪都構想」では,橋下知事がこれだけ説明しているのにコメンテーターや学者は誰も理解しようとしない,といってTwitterなどで色々書いているが,おそらくここの「ゴール」を,それだけで完全に明確にするのは無理なのではないだろうか。思い起こせば政権交代が起こる衆院選前の民主党も,「ゴール」についてこれだけ説明している,と強調していたように思うけど。
繰り返しになるが,小泉・竹中チームの最大のインパクトは,移行過程をオープンにしたところであって,その後の人たちはそれと同様の取り組みを求められるところがあるのだろう。だから,民主党が子ども手当への移行を官僚の調整に投げたことで大きな批判を受けるし,橋下知事が具体的な移行の手順は官僚機構を使って2年くらいで結論を出す,というと批判を受けてしまう。そしてこれは,政治家にとって大変なことであるのは言うまでもないが,政策まわりにいる人達にとっても結構しんどいことになる。これまで黒子として実際の移行過程を仕切ってきた官僚は,それだけで批判されることになるかもしれないし,大きな方向性だけを議論してきた学者は,実際そんな議論だけでは(分析は別として)提言としてはなかなか使い物にならないことがバレてしまう。
でもそこにチャンスもあるんじゃないかな,と思ったりしないわけでもない。牧原先生の『行政改革と調整のシステム』で描かれたように,以前の行政学者は「行政改革」という機会を綿密に分析することで,「調整」というメカニズムを少しずつ析出しようとしていたという。それと同じように(同じじゃないかもしれないけど)現在多くの重要な制度の「移行」が議論される中で,様々な制度のロジックを理解することで,具体的な移行過程の提案を含めた議論をすることができれば,多少は学者の社会的な存在意義もアピールすることができるんじゃないかな,と。「黒子」の官僚とつるむ「御用学者」というレッテルを貼られるだけかもしれないけども,まともな「御用学者」であるということはそれなりに大変な訳だし,まあ少なくともよく分からない方向性だけ打ち出して,あとは知らないよ,っていうよりはマシのような気はするし。ちょっと蛇足だけど,若手研究者の間では割とそういうイメージってあるように思ったりもするところ。最近ちょっとROMってた某論争?は,もともと「すぐポストなんとかっていうのカコワルイ」,みたいな話が出発点と理解してたのだけど(その後論争は僕の知らない方向に行ったみたいだが),要するに制度の断絶した「ポスト〜」っていうのはあんまりなくて,結局現制度との移行みたいなものを考えないといけない,って話で,それは一定以上の共感を得ているのだろうと思うし。
- 作者: 牧原出
- 出版社/メーカー: 東京大学出版会
- 発売日: 2009/09/01
- メディア: 単行本
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