移民受け入れと社会的統合のリアリティ

旧い友人でもある是川夕さんの『移民受け入れと社会的統合のリアリティー現代日本における移民の階層的地位と社会学的課題』勁草書房,を読みました。すごく面白い本で感想を書きたいなあと思ってるうちに本人がシノドスで解題を書いてしまいましたので,詳しい内容はそちらを。是川君は,学部のときから本当に優秀な人で,ああこういう人が研究者になるんだろうなあと仰ぎ見るような存在でしたが,サクッと就職を決めて内閣府に行くことになってたぶんみんな驚いてたと思います。当時は社会理論の方に関心があったと思いますが,就職してからカリフォルニア大学アーバイン校で人口学を勉強することになり今の方向に行ったのかと。アーバインからメキシコに一緒に行ったのは,個人的に今でも忘れない人生の思い出の一つで,(たぶん)それを共有するであろう是川君がこういう面白い本を出してるのは僕も非常に感慨深いです。

読みどころはたくさんあるんですが,個人的には先行研究の整理から本書の位置づけを展開してるところが非常に彼らしいなあと。まず移民研究の世界的な潮流について紹介し,日本で行われてきた研究をリスペクトしながら,しかしそれが世界の移民研究とはちょっと違ったテイストで独自に行われていることを指摘します。「同化」というと日本の文脈では社会的・文化的な同化,という印象が強くて,何というか移民を日本の社会・文化に合わせるような感じがするわけですが,そういう社会的・文化的なものではなくて,経済的な統合に焦点を合わせて「同化」を検討すると。つまり,移民も受け入れ国で経済的な達成を遂げていくわけで,それを階層論の理論的な枠組みのもとで評価して,その移民の経済的な地位達成の仕方が,受け入れ国の国民とどの程度同じか・違うかを考えていくわけです。

僕みたいなのは,どちらかというと,移民が受け入れ国の国民と同じような経済的達成をする国とそうでない国があって,なんでそんな違いが生じるのだろうか,みたいなことを考えがちなわけですが,本書で行われているのは,受け入れ国の国民と移民が同じような経済的達成をしてるのかどうかをそもそも検証するということです。そこで検証の対象になるのは,移民第一世代の移民男性の労働市場への統合,移民女性の社会的統合,そして第一世代と第二世代の階層的地位の世代間移動,という3つの領域での統合です。ここは僕の誤解かもしれないですが,「なぜ」みたいな問いよりは,移民が増えていく受け入れ国では長期的にはそういう同化/統合が行われていく方向に進んでいくので,日本でもそうなってるか検証しよう,というモチベーションに近いのかな。本書の先行研究の整理でも議論されているように,日本の場合はそもそも日本国民と移民とが構造的に分断されているという理解が非常に強いので,そういう統合がほんとに起きるもんなの??というところからスタートするわけですが,本書では国勢調査の個票データという膨大な量のデータを使って,2010年までの段階でそれなりの統合が達成されていることを実証的に示しています。ブラジル系移民は,しばしば指摘されているようにやや独自の世界を作っているようなところもあるような気がしますが,中国系の移民を見ると,日本人との階層的な地位が縮まる傾向にあると。

一番の発見は,ご本人の解題でも強調されてると思いますが,移民女性を見ることによって浮き彫りになってくる日本人女性の位置づけではないでしょうか。移民女性の方はどちらかといえば「男性的」なかたちで労働市場に統合されていて,日本人女性ほどにジェンダー的な意味での「女性」としての役割を付与されていない傾向にあるとされます。逆に言えば,日本人の女性は相当に強く(移民女性では代替されないかたちで?)「女性」としての役割を負っていることになるわけで,これは相当根深い問題であると。もちろん,日本人男性と結婚して日本の「女性」としての役割を与えられることになる移民女性,という存在もこれから増えていくでしょうし,他の先進国で見られるように社会進出する日本人女性が移民の女性に「女性」としての役割を担ってもらうということもあるでしょう。ただ,現状のこの極端と言ってもいいような性別役割分業のあり方についていろんな角度からの研究が必要なのだということを改めて示唆するものでもあるように思います。 

とこのように,非常に勉強になる研究なのですが,一点だけ文句を。なんか微妙に表記ゆれがあるような気がしたのですが気のせいでしょうか。特に気になったのは「分節化された同化理論」と「分節化した同化理論」とか「家族投資理論」「家族投資仮説」とかみたいに,たぶん同じことを言っているであろうものが微妙に違う表現になってるときがあることで,「同化」と「統合」とか似たような概念を慎重に分けて議論してるんだからその辺も…という気はしました。