『不利益分配の政治学』

琉球大学の柳至先生に『不利益分配の政治学地方自治体における政策廃止』を頂きました。どうもありがとうございます。本書では,地方自治体における政策廃止がどのようなメカニズムで決定されているかについて検討したもので,土地開発公社自治体病院・ダム事業の廃止についての実証研究が行われています。注目すべきなのは,このような事業の廃止について事例研究によって原因を検討しているだけでなく,都道府県の担当部局などにアンケート調査をかけてデータを取得するようなことを通じて,通常の計量分析とは異なる質的比較分析を行っているところです。最近は,わかりやすい教科書が出版されていることもあって*1,質的比較分析という手法について知られるところも増えてきたと思いますが,このようにまとまった書籍として出版されるのは,おそらく日本の政治学行政学では初めてではないかと思います*2

そのような方法を使った本書では,政策過程について「前決定過程」と「決定過程」に分けたうえで,それぞれの過程においてどのような要因が必要条件あるいは十分条件になるのか,ということを検討しています。まず前決定過程,つまりどのようなテーマが議論の俎上に上がるかということを決めるのは,地方自治体をめぐる政治状況(知事の交代や知事-議会関係)や政策の性質(誰に支持されているか)ということが重要になるということが示されていきます。この中で,たとえば知事の交代のような要因が事業の廃止を進めるきっかけとして重要であることがわかるだけでなく,自治体病院のように廃止への支持を調達しにくい政策があることもわかります。

ダム事業の廃止についての研究もしている私自身の研究(『地方政府の民主主義』)も含めて先行研究では,このような前決定状況についての変数を用意して分析していることになります。本書がそれ以上に踏み込んでいるのは,「決定過程」についての検討を行っているところです。議論がなされる条件(→なされれば廃止の可能性も上がる!)を示すだけではなく,議題として上がったもののうちどのようなものが廃止につながっているか,ということです。本書で挙げられている要因,とりわけ十分条件として挙げられているのは,「政策の存在理由」です。地方自治体では意思決定を行う時に何らかの公益に沿った決定であるという主張をしなくてはいけないので――本書では非公式の制度として扱われています――政策の存在理由をきちんと提示できなかったものが廃止されると。

これは当たり前のように見えますが,なかなか興味深い議論です。一方で,この裏側には,「存在理由がないのに存続している」膨大な政策・事業が存在することを意味しています。それらが残る中で,存在理由とは切り離されたかたちで政治状況によって廃止が議題に上がり,存在理由があれば存続するということになるわけです。他方で,理由があるものを残す,というのは当然のようにも聞こえますが,これは理由が提示されているのに廃止するということが難しいということでもあります。ポピュリスト的な首長がやみくもに意思決定することができるわけではなく,最後は理性的な議論がアンカーになっている,ということは,日本の地方政治がなんだかんだ言いながら大崩れせずに続いて来ている理由を示すもの,と考えることができるのかもしれません。

このように,政策の廃止というまさに現代問題となりがちなテーマについて,新しい方法を使いながら丁寧に検証された本になっていると思います。質的比較分析は,最近興隆しつつも方法論的な批判がなされているところもありますが,必要条件と十分条件を探る本書のような問題意識とうまくマッチすれば使えるところもあるように思います。そういう研究ができるんだ,ということを示す点でも本書はとても興味深いものになっているのではないかと。

不利益分配の政治学 -- 地方自治体における政策廃止

不利益分配の政治学 -- 地方自治体における政策廃止

 
質的比較分析(QCA)と関連手法入門

質的比較分析(QCA)と関連手法入門

 
Configurational Comparative Methods (Applied Social Research Methods)

Configurational Comparative Methods (Applied Social Research Methods)

 
地方政府の民主主義 -- 財政資源の制約と地方政府の政策選択

地方政府の民主主義 -- 財政資源の制約と地方政府の政策選択

 

 

*1:リンクを張っている『質的比較分析(QCA)と関連手法分析』,翻訳は読んでいないのですが,少なくとも原著Configurational Comparative Methodsは非常にわかりやすかったです。

*2:追記:正確には「日本政治を扱った日本の政治学行政学」ですね。外国の研究としては,岡田勇先生の 『資源国家と民主主義』がありました。

資源国家と民主主義―ラテンアメリカの挑戦―

資源国家と民主主義―ラテンアメリカの挑戦―

 

『崩れる政治を立て直すー21世紀の日本行政改革論』

東京大学の牧原出先生から『崩れる政治を立て直すー21世紀の日本行政改革論』を頂きました。どうもありがとうございます。全体としては,基本的に自民党の一党優位政党制が完成してからの行政における「ドクトリン」を析出する試みをなされているのかと感じました。「ドクトリン」とは,牧原先生が『行政改革と調整のメカニズム』の中で議論されていますが,一般的に社会現象における原因と結果の関係を抽象的に説明することを目指す「理論」とは異なるもので,「内閣機能の強化,地方自治体への権限移譲,資格任用性の整備など行政固有の改革構想」を意味するものです。特定の制度的文脈のもので一定の説得力を持つ「ドクトリン」であれば,行政改革のたびに同様の「ドクトリン」が繰り返し用いられることになります*1

中でもとりわけ興味深いと感じたのが,財務・外務・法務・内務・軍務の古典的五省を中心に議論を構成されているところで,その意味では一見改革を論じていないように見える3章が本書の中心ではないかという印象を受けました。「なぜか」ということを純粋に理論的に説明するのは難しいように思いますが,現に日本の行政が本書で論じられているように,古典的五省+時に革新をもたらす商工・通産・経産省を軸に動いているとすれば*2,それをゼロベースで変えようとするのは現実的ではなく,可能な移行を管理するべきであるというのもその通りだと思います。
行政改革が「行政の自己改革能力の改革」とするルーマンの議論をベースにした捉え方も興味深く感じました。個人的には,(行政)改革それ自体が直ちに新しい制度的な均衡をもたらすのではなく,その後に続くのは作動を円滑にする自己改革という面も,自己強化的なフィードバックが働く均衡への緩慢な着地という面もあるように思います。もちろん,思ったようにアクターの行動が変わらないこともあるでしょうし,私が最近研究している住宅のように,フィードバックが強すぎてそもそもなかなか動かないところもあるでしょうが。いずれにしても改革がゴールではなく,さらなるゴールのための出発点という感じになると思いますが,プレイヤー間でのゴールの共有をある程度前提とした移行過程の管理というのは非常に重要な論点であるように思います。

個人的にも移行についてはずっと考えているところがあって,昔書いたエントリを発掘して読み直すと,これも相当牧原先生の議論から影響を受けながら,なんか同じようなことを書いている気がします。グチグチ考えるだけであんまり進歩していないだけかもしれませんが,いつかまとめることができる日がきたらいいなあと。

崩れる政治を立て直す 21世紀の日本行政改革論 (講談社現代新書)
 
行政改革と調整のシステム (行政学叢書)

行政改革と調整のシステム (行政学叢書)

 

 

 

*1:このあたり,私自身の『行政改革と調整のメカニズム』への書評もあります。(『行政管理研究』129号

*2:本書では,内閣法制局も重要な役割を果たす機関として論じられていて,それはその通りだと思いますが,これは古典的五省のうちの「法務」との兼ね合いで議論できるところもあるように思います。

『フランスにおける雇用と子育ての「自由選択」』

釧路公立大学の千田航先生から『フランスにおける雇用と子育ての「自由選択」』を頂きました。どうもありがとうございます。個人的にも日本の子育て支援について考えているところがあり,ただ研究プロジェクトとしてはやや行き詰っていたところだったのですが,ざっと読ませていただいて,いくつかヒントをもらえたように思います。

本書では,フランスにおいて「自由選択」という概念で特徴づけられる子育て支援の制度がどのように形成されてきたのかについて歴史的に分析されています。重要なのは戦前以来続く普遍主義的な家族給付というものがあって,これは周辺国の脅威の中で出産を奨励する意味も含めて給付されていたところがあります。もともとフランスの家族も日本と同様に「男性稼ぎ手モデル」が主流で,家族手当は専業主婦手当として給付されるようになったりする中で,女性の労働参加を阻害するようなところもあったわけですが,元の制度を前提としつつ女性の社会進出を支援する両立支援の給付を増やしていく中で,新たな制度が「併設」されて発展していくと。で,非常にざっくり言えば,そのような制度発展を可能にしたのがカギ概念としての「自由選択」であるという理解になろうかと思います。

翻って日本について考えてみると,フランスのように普遍主義的な基盤がなく,むしろ選別主義的な保育所を 両立支援として拡大していくなかで,専業主婦家庭と共働き世帯のバランスが失われていき,ちょっと行き詰っているような状況ではないかと思います(参考:保育と政治 - sunaharayのブログ)。一気に 専業主婦世帯への給付を拡大しようとしても財源はないし,そのために共働き世帯の既得権を奪うことも難しいということでしょうか。であるとすると,小泉政権以降の0歳児保育拡大を含めた保育所の拡大というのは,普遍主義への転換を却って難しくしているようなところがあるのではないか,とも思ったりします。

サービス給付というとその裏側に負担の話があるわけですが,日本について言えば,これまで普遍主義的な給付をしてきているわけではない ので,追加的な負担を求めても多くの人々が給付を受けることができるかどうかはわからないということが話をややこしくしていると感じるところです。「お金がないから普遍主義ができないし,普遍主義ではないからお金も取れない」みたいな。そのために,普遍主義的な家族モデルへの移行というのはなかなかに難しいのではないかとやや悲観的に見ているわけですが…。このあたりは,昨年の財政学会にお招きしてしゃべったものがもうすぐ出版されます(宣伝)。しかしいろんな変数が出てくるしその意味付けも難しく,グダグダと考えてはいるもののなかなかよくわかりません…。 

財政をめぐる経済と政治 -- 税制改革の場合 財政研究 第14巻 (財政研究 第 14巻)

財政をめぐる経済と政治 -- 税制改革の場合 財政研究 第14巻 (財政研究 第 14巻)

 

 

最近のいただきもの

帰国してからはや一ヶ月。この一月はやたら長かったような気もしますが,ずいぶんと慣れてきたところでもあります。ただ二年間ほとんどなかった出張はなかなか慣れず…東京との往復の新幹線2時間半がなかなかつらいところ。前はもっと楽だったような気がするんですがやっぱり年か。

この間いくつか新刊を頂いておりました。まず龍谷大学松尾秀哉先生に『現代世界の陛下たち』をいただきました。どうもありがとうございます。この分野でまさに精力的にお仕事をされている君塚直隆先生をはじめとして各国の専門家のみなさんがそれぞれの国の君主制について寄稿されています。松尾先生はベルギーについて書かれていて,狭いながらも複数の民族が住み,非常に分裂的な連邦国家であるベルギーで,(特に言語問題が関わる状況でにおいて)国民統合の役割を果たす国王について論じられています。 

現代世界の陛下たち:デモクラシーと王室・皇室

現代世界の陛下たち:デモクラシーと王室・皇室

 

谷口将紀先生・ 水島治郎先生からは『ポピュリズムの本質』をいただきました。NIRA総研での研究プロジェクトの成果であり,現代ポピュリズムにはそれぞれの国に固有の要因がある一方で,共通の要因として人々の「政治的疎外」があるという主張がなされています。政治的疎外とは,自分たちのものであるはずの政治がいつの間にか自分たちでコントロールできなくなっているという感覚であり,この概念を鍵にイギリス・アメリカ・オランダ・フランス・ドイツの事例が論じられています。実は私も一度ご招待を受けて日本の話を少し研究会でご報告したことがありました(まあ私の話は政治的疎外に直接言及するようなものではありませんが)。 ポピュリズムと政治的疎外の関係を強調する本書の主張は,直観的にはそうだろうなあと思われるところですが,引き続きより精緻に実証研究が重ねられていくことになるんだと思います。

慶應義塾大学の山本龍彦先生からは『AIと憲法』をいただきました。政治的疎外を引き起こす原因のひとつとして,AIを含む技術の急激な進歩があるとされるわけですが,じゃあ具体的にAIがどのような憲法的問題を引き起こすのかということが,様々な分野で具体的に論じられています。その中には「AIと民主主義」「AIと選挙制度」という章もあり*1政治学者としてもAIの問題を考えなくてはいけないのだなあということを強く思わされます…。技術的なことがわかるわけではないので勉強,勉強…ですが。

AIと憲法

AIと憲法

 

御厨貴先生からは,『平成風雲録』をいただきました。ありがとうございます。折々に書かれた時評をまとめられてものですが,こうやってまとまって拝見すると,御厨先生のお仕事が,オーラルヒストリーを軸として,災害関係・天皇退位問題・公文書問題と最近の本当にホットな話題に直接連関しているんだなあと思うところです。いずれも問題が「炎上」する以前から,オーラルヒストリーの収集を通じて長期に渡る知見を蓄えておられるので,そのご意見は定点観測的な性格を持つものとして要請されているということかもしれません。 

平成風雲録 政治学者の時間旅行

平成風雲録 政治学者の時間旅行

 

*1:後者の方は,選挙制度自体について論じているというよりも選挙運動について論じている(フェイクニュースの影響とか)感じです。

『現代日本の政党政治』ほか

大阪大学の濱本真輔先生に,『現代日本政党政治』を頂きました。どうもありがとうございます。大学院の時代から10年以上精力的に取り組まれてきた研究をまとめられたもので,まさに待望の一冊という感じです。とても密度の濃い文章で,集中して読むことができました。いわゆる中選挙区制から小選挙区比例代表並立制へと変わった選挙制度だけが政党(組織)を変えるわけではなく,関連する制度とおそらく相互に影響を与えながら議員たちの行動が変わっていく,というのはまさにその通りだと思います。私の議論は,選挙制度と相まって,地方分権や地方政治が政党とその組織の在り方に影響を与えるというものでしたが,本書で扱っている選挙過程・立法過程での制度や慣習が重要というのは,直観的にもより分かりやすく受け入れられやすい主張だと思いました。 

本書で一貫して論じられているのは,分権的な志向――つまり自分の選挙を第一に考えて行動するということ――を持つ可能性がある議員たちが,政党という組織の中でどのように一体性を確保するのか,ということです。混合制のひとつである小選挙区比例代表並立制のもとで,政党・小選挙区選出議員・比例選出議員が同床異夢ではありながら制度の維持を志向して定着していくこと(3章),政党中心の選挙への変化(4章)とそれを受けた議員行動の変化(5・6章),執行部を中心とした政党の自己改革の試みとその効果(7-9章)について,自民党を中心に非常に手堅く議論が重ねられています。濱本さんが,政党組織の研究と並行して行っている利益団体研究の知見がふんだんに盛り込まれているところは非常に興味深いですし,また新聞記事データベースなどを利用した,独自データの収集についても非常に見習うべきところのある仕事と言えます。

結局のところ,影響は非常に大きいとしても選挙制度改革がすべてを決めるわけではない中で,政党の自己改革が重要な意味を持つことになります。しかし,その自己改革が起こるためには,例えば政権党にとっては政権交代への危機感のようなものが必要でしょうし,野党であれば政権交代を求める一体感が重要でしょう。現在の状況は,前者はともかく後者に大きなボトルネックがあるように見えます。私などは,そういう状況を動かすにはやはり制度改革というのは重要な手法だと思いますが,まあそれは当然ながらある程度の合意がないと難しいわけで,本書の含意はそういう困難を逆照射しているところがあるようにも思います。 

現代日本の政党政治 -- 選挙制度改革は何をもたらしたのか

現代日本の政党政治 -- 選挙制度改革は何をもたらしたのか

 

 さらに,濱本先生には,上神貴佳先生・遠藤晶久先生・鹿毛利枝子先生・藤村直史先生と一緒に『日本政治の第一歩』を頂きました。12のトピックについて,それぞれの分野で第一線でご活躍されている先生方が集まって作られた教科書です。執筆者の一覧を見えると,比較政治を専門とされている方が多くて,その方々が特に日本政治ということで執筆されているのは興味深く思います。比較政治の視点から「応用問題」として日本政治を位置づけて理解を深めるものになるのではないでしょうか。 

日本政治の第一歩 (有斐閣ストゥディア)

日本政治の第一歩 (有斐閣ストゥディア)

 

 北海道大学の村上裕一先生からは,『地方創生を超えて』を頂きました。ありがとうございます。北海道の先生方によるプロジェクトで,村上さんは「自治体担当者は地方創生をどう受け止めたか」というテーマで,北海道と(おそらく似たような状況の)四国2県の調査を行って分析されています。これまで長らく「地域開発」が行われてきた北海道での「地方創生」が進められるわけですから,というのは(あるとすれば)両者の違いを考えるのも面白いかもしれません。

地方創生を超えて――これからの地域政策

地方創生を超えて――これからの地域政策

 

 慶応大学の細谷雄一先生からは,『戦後史の解放』シリーズ2巻を頂きました。ありがとうございます。先日の池内先生と同様に連作になっているものですね(1巻はこちら)。お忙しい中で前後編のものというのは本当にすごい執筆スピード…。しかし「まだ」講和条約ですからまだまだ続いていくのだと思います。「戦後史」がどこまでなのかもなかなか興味深いところですね。沖縄返還なのか冷戦終結なのかはたまた… 

 立命館大学の加藤雅俊先生からは,ボブ・ジェソップ『国家』の翻訳を頂きました。ありがとうございます。住宅の勉強をしているので,最近はたまに都市論の論文を読んだりすることが増えたのですが,ジェソップ氏の研究は,(批判理論的な)都市の政治経済学のような文脈でもしばしば参照されていて,何か読んでみないとなあと思っていたところでした。今回,近著の翻訳をいただいたのをきっかけに,勉強してみたいと思います。

国家:過去、現在、未来

国家:過去、現在、未来

 

 

在外研究終了のごあいさつ

2016年8月からちょうど二年間にわたった在外研究が終了することになりました。40近くになって初めての海外生活ということもあり,行く前は不安ばかりでありましたが,バンクーバーでの生活はあらゆる意味で満ち足りたものとなりました。当地でお付き合いを頂いた皆さんをはじめ,機会を与えてくださった方々に改めて感謝申し上げたいと思います。また,帰国後ご一緒する皆さまには当初使い物にならなくてご迷惑をおかけすることもあろうかと思いますが,改めてご指導のほどどうぞよろしくお願いいたします。

さて,このブログでも何回か書いておりますが,この二年間は基本的にこれまでの研究の整理にあてられた時間が長かったと思います。10年くらいやってきた政党の中央・地方関係についての研究は『分裂と統合の日本政治-統治機構改革と政党システムの変容』にまとめられ,大佛次郎論壇賞を受けるという過分なご評価を頂くことができました。また,2014年ころから始めた住宅についての研究も『新築がお好きですか?-日本における住宅と政治』という著書にまとめることができました。何回か経験していることではありますが,本をまとめるためにはそれなりにまとまった時間を必要とするところがあり,この機会がなければそれぞれの仕事にさらに数年かかっていたように思います。

本のまとめに時間がとられてしまったために,新しい仕事が思ったほどできなかったというのは残念なところであります。新しい方法論の習得や英語,ということですが,結局ほとんどUBCの授業には出なかったこともあり(関係するセミナーは一生懸命出たつもりですが…),まあこの点やや悔いが残るところではあります。とはいえ,自分のスタイルとしても,論文執筆と切り離して方法論の勉強をするのが苦手なこともあり,時間があってもできたかはやや不透明ですが…。英語はやはり大学に客員研究員で滞在するだけではなかなか話す機会を得られないというのは(自分自身に)残念なところでした。なのでまあ客員で二年いた程度の英語ではありますが,一応来る前と比べて英語でのアウトプットに対する抵抗感がずいぶん薄れたというようには思います。

論文仕事で言うと,著書になった連載を除いてこちらで書いたのは住民投票についてのものが二本(『社会が現れるとき』と『公共選択』)と,大都市の比較について書いたもの(『レヴァイアサン』近刊)の三本がメインになると思います。これに『建築と権力のダイナミズム』『縮小都市の政治学』に寄稿した論文,大阪都構想と広域連携について書いた『アステイオン』『中央公論』の論文を加えて,シノドスに書いたエッセイを軸にまとめる感じで次の研究書を書くことができればいいかなあと思うところです。あと1-2本論文を足すとか,先行研究を整理しなおすとかのまとまった時間が取れるのかはよくわからないところがありますが…。まあ研究書の場合はだいたい一冊10年弱くらいなので,あと4-5年はかかるでしょうが。このプロジェクトの他には,オーラルヒストリーを利用した長めのエッセイを書いてますので,日本語論文は4本というカウントでしょうか。

英語については,学会発表を4回とUBCで1回発表したものがあります。もうちょっとでできたかなあという気もしますが,はじめの一年が本当に手探りだったことを考えるとまあこんなものでしょうか。しかし発表は全てこちらにいるタイミングがちょうどよくてご厚意でお誘いを受けて参加させてもらったものばかりで,貴重な機会を頂いたことに感謝しています。これから先は自分でそういう機会を作らないといけないなあと思います。二年目に入ってようやく自分の研究を投稿することを始めましたが,うまくいかなくても継続するというのが目下の目標になります。

というわけで,棚卸をしてみると,著書2冊,論文4本,学会発表5回(国際4・日本1),エッセイ・書評・査読などはそれなりに多数,ということになり,一定の仕事はできたかな,と思います。しかし個人的に何よりも素晴らしかったことは,家族が学校・地域社会にうまく溶け込んでくれたことであり,家族を通じて私もいろいろな経験をさせてもらいまったことです。普通,家族を連れていった方がいろいろな機会を提供するもんなんでしょうが,妻をはじめ家族に本当に助けてもらい,充実した在外生活にしてもらった感じが強いです。忸怩たるところもありますが,帰国後には少しずつそのお返しもしなくては,と感じています。

戻ってみると,この二年間が夢のようなものであったという感覚を覚えそうな気がします。ただ,せっかくの機会をいただいたわけですから,きちんと実体化すべく得られたコネクションを維持したり,英語での公刊を進めるという努力は続けなくては,と思うところです。帰国後の日程調整などをしていると不安は高まる一方ですが…。自分の研究についても,上記の三冊目の構想以降,研究書の構想があるわけではないので,それもボチボチ考えていく必要があるんだろうなあと。単著の研究書を書けるとしたらその辺が最後かもしれませんし。英語仕事とどちらか,という選択の問題になっていくのかなあ…という感じ。しかしそれでも帰国に合わせていくつかのプロジェクトが回り始めそうなので,しばらくはこれ以上に手を広げて新規にお仕事をするのは難しくなりそうです。要は一歩一歩,ということなのでしょうけど。 

分裂と統合の日本政治 ― 統治機構改革と政党システムの変容

分裂と統合の日本政治 ― 統治機構改革と政党システムの変容

 

 

新築がお好きですか?日本における住宅と政治

このたびミネルヴァ書房から『新築がお好きですか? 日本における住宅と政治』という本を上梓しました。何か研究書っぽくない変なタイトルですが*1,英語タイトルも同時に考えていて,そちらの方はNeophilia? Housing and Politics in Japan ということになっています(一応目次の最後に書いてあるんですが,たぶんすごく分かりにくい)。Neophiliaというのは「新しいもの好き」みたいな意味で,まあ要するに日本人は新しいもの好きだから新築住宅を買うのか?-いや必ずしもそんなことはないだろう,というかたちで議論を展開していくことになります。じゃあなぜ日本は諸外国と比べて中古住宅よりも新築住宅が多いかといえば,それを促す制度が強固に持続してきたからだ,というのが本書の主張になります。政府の住宅に対する補助や都市計画を通じて,人々が中古住宅や賃貸住宅よりも新築住宅を購入しやすい環境が形成され,実際に新築住宅が多く購入されることを通じてフィードバックが生じ,新築住宅を購入するという行動がさらに正統化されるという制度の自己強化が起こった,という見立てです。

具体的な制度とその形成過程についてはぜひ拙著をご覧いただきたいところですが,本書を通じて議論したかったのは,日本において住宅・土地に対する集合的決定を適用するのが極めて難しかったということです。他の分野でも所有権は非常に強い権利だと思いますが,住宅・土地の所有権が非常に強いものとされているために,すでに住宅が建設されている地域の再開発や集合住宅の建て替え,中古住宅のインスペクションに関する制度などに関わる集合行為問題の解決ができず,またそれ故に家賃補助のような形での住宅保障が困難になっているのではないかというように考えています(その最後のところまで書ききれているかどうかは微妙ですが)。そして,住宅・土地の所有権を極めて強く保護することが,現在進行形の問題である負の資産-空き家や被災住宅-への対応について大きな困難をもたらし持続可能性を低めているのではないか,そしてこの問題があるからこそ近い将来制度が変わりうるのではないかと論じています。

本書はミネルヴァ書房のPR誌「究」での連載が元になったもので,さらにその元になったものとしては2014年度の首都大学東京での都市政治論の授業があります。いつの間にか4年の月日が流れてしまいましたが,この間いろいろと勉強してきたことを盛り込みつつ一つの本としてまとめることができてホッとした気分です。日本語の文献については,日本にいたときにある程度整理が終わっていて,UBCでは必要な英語文献にアクセスしやすかったので在外研究中に仕上げることができたという感じでしょうか。それでもそれでも少なからぬ本を買い足すことになりましたし,書き終わってからいくつか追加したいと思った書籍・論文も見つけることになりましたが…。

実際,研究しているといっても(都市についてではなく)住宅についての論文を書いた経験は少なかったわけで,考えていることがあっても論文というかたちでまとめるのは難しいなあ,という印象を持っていました。せっかくなので本の長さだからこそできる論じ方をしてみたいと思っていましたが,本書では一応そういう試みができたと思いますし,またこうやって本を書いたことで論文でどこに焦点を絞って書けばよいかということも見えてきたように思います。 とりあえず一本夏休みの宿題をこなさなくては…。

 

 

*1:とはいえ初めに考えてた『住宅と都市の政治経済学』とかだと売るのは難しそう…