日本は「右傾化」したのか

宣伝ですが,小熊英二・樋口直人『日本は「右傾化」したのか』慶應義塾大学出版会,に「地方議会における右傾化-政党間競争と政党組織の観点から」という論文を,秦正樹さん・西村翼さんとの共著で寄稿しました。ヨーロッパを中心に,右翼政党が進出するメカニズムについての先行研究を整理したうえで,日本の地方議会で同様に右翼勢力が進出のような現象がみられるか,見られるとしたらなぜなのか,について議論したものです。対象になっているのが2015年以降なので,「進出するようになった」といった時系列な変化について十分に扱えているわけではないですが,地方議会での審議から右翼的な言辞が交わされている傾向を持つ地方議会・議員がなぜ生まれるようになったかについて考えた感じです。

対象にしたのは大阪維新の会という「右翼」と見られがちな新党が参入している大阪府下の(政令市以外の)市です。仮説としては,(1)政党間競争→右翼とされる新党が入ってくると地方議員たちは右翼的な言辞を述べる傾向を強める,(2)分極的な政党組織→SNTVで選ばれる地方議員は同じ政党内で競争するために,右派的な政党(ここでは自民党)の議員は,同僚議員が多いほど右翼的な言辞を述べるようになる,というような感じで設定されています。右翼的な言辞の測定が難しいですが,地方議会において「日本人」「外国人」「生活保護」「人権」といった言葉を使う頻度で測定しました。それぞれの議員ごとにこの従属変数を測定し,所属政党,維新議員の有無,それぞれの議会での自民党議員の人数,といったような変数との関係を見るわけですが,まあ(テキストを使った研究にしては珍しく??)仮説として考えていたような結果がある程度サクッと出てきた感じです。当初編者に出した企画案をほとんど書き換えずにイントロにできたので。まあデータ整理はめちゃ面倒でしたけど。

インプリケーションとしては,有権者の「右傾化」みたいなものとは関係なく,新党参入やライバルの増加といった刺激が加わることで,有権者から離れて議員が「右傾化」していくことが考えられるんじゃないか,というものです。大阪を選んでいるのは,僕がある程度知ってるから・データがあったからということもありましたが,維新というある種のイデオロギーを持つとされる政党がシステマティックに参入したというのがあったわけで,このような参入が刺激になっているということは,それぞれの議会において過激な無所属議員もそれなりに刺激になっているであろうことも予測できるのではないかと思います。そういう話は,編者が序章でまとめている「左を欠いた分極化」という議論とも整合的なものではないかと考えています。要は右の方が互いに刺激し合って政策位置をより右の方に移すということが起きている一方で,左の方ではそういうことがあんまり観察されない,という感じなので。てか我々の理解では,左の方でも刺激し合ってるけど,元々があまりに弱いのでセイリエントに分極化にならない,っていう方が正しいとは思いますが。

編者のご希望で(僕らから見たらあんまりよくわからないのも含めて)書き直しの依頼があったりして査読っぽいようなところもありましたが,たぶんそういうこともあって他の論文も非常に興味深いものになっているのではないかと思います。個人的には,政治学者と社会学者のこのテーマに対する微妙な温度差みたいなのも垣間見えてなかなか面白かったなあ,と。

このテーマは,中井さんの研究を読んで以来,日本の地方議会の選挙制度の文脈を使てやってみたいとずっと思ってたので,5年経って念願がかなってうれしいところです。実はコロナ禍で流れてしまったIPSAで英語版を発表する予定だったのですが,そのときはもうちょいoutbiddingみを出していきたいなあ,と思ったり。

日本は「右傾化」したのか

日本は「右傾化」したのか

  • 発売日: 2020/10/15
  • メディア: 単行本
 

 

お知らせ-『政治学の第一歩[新版]』について

このたび稗田健志さん・多湖淳さんと共著で有斐閣から出版しております『政治学の第一歩』が,刊行から5年を経過して新版として改めて刊行されることになりました。多くの方がお読みくださり,また大学の授業で教科書として利用してくださったおかげです。執筆者一同,心から感謝申し上げます。

新版の刊行に当たりまして,後期から利用可能な時期というのを意識してはいたのですが,新型コロナウイルス感染症の流行という予期せぬ事態があり,大変申し訳ないことに当初の予定より少し遅くなってしまいました。現在の予定としましては,9月2日ころに見本が出来上がり,9日配本,11日発売となっているそうです。教科書採用をしてくださっている先生方には,見本ができてからなるべく早くお送りすることができると思いますが,それでも変更点によっては授業準備が必要になるかと思います。その辺りご参考になるように,主な変更点をこちらで早めに整理しておきました。

まず,方法論的個人主義に立脚し,自らにとって望ましい選択を行おうとする個人と他者の戦略的相互作用を重視して,私たちの自由を規定する政治について一貫した説明を行う,という本書の基本的なコンセプトはもちろん変わっていません。そのうえで,教科書として利用してくださっている先生方をはじめ,関係する研究者,書評サイトやツイッターで頂いたコメントなどを含めて変更したほうがよいだろうという点を洗い出して整理しました。その中には,「英語で表現するとどうなるの?」と言ったようなものもいただいており,索引で英文表記を加えることで英語の教科書や論文を読む手掛かりを作ることに努めました。

比較的大きな変更となったのは次のポイントです。

・3章:コラムで政治体制の測定を扱うことを含め権威主義体制についての議論を再構成したほか,3節でエリート競合モデルの説明を追加しました。
・4章1節:「コンドルセの定理」を中心とした決め方の説明から,意思決定の前提となる政策の対立軸の説明を行うこととし,イデオロギーについての説明から経済的対立軸・文化的対立軸(GAL-TANなど)・戦後日本の対立軸(保守-革新)の説明を行っています(コンドルセパラドックスはコラムへ)。
・5章2節:ポピュリズムの進展を踏まえたカルテル政党・ニッチ政党の説明を拡充しました。
・6章3節:レイプハルトの「二つの民主主義」の説明が中心でしたが,ここに旧版8章3節で扱っていた政策過程の話を移し,従来の制度的拒否権プレイヤー中心の説明から政治的拒否権プレイヤー中心の説明に変えました(「二つの民主主義はコラムへ)。
・8章2節:旧版8章3節の移動に伴い,官僚制の説明を拡充し,利益団体やロビイングの説明を3節に移しました。
・9章3節:日本の地方分権についての説明でしたが,「ソフトな予算制約」を中心に地方分権の帰結についての説明を行うこととしました。
・11章:国際制度についてのコラムを変更したほか,国際制度の文脈でCOVID-19について扱っています。
・12章:章全体として難民というテーマを拡充しました。

4章1節の変更が一番大きなもので,初版と比べると,社会において人々が参照する対立軸を作り出し,合意を形成する主体となっている政党に力点が置かれる構成になったと思います。また,3章の変更を踏まえて,初版では政治体制については自由民主義体制・全体主義体制があって権威主義体制はその間,というニュアンスがあったものが,今回は自由民主義体制-権威主義体制の二分法を基調にしている,という感じで進めるように,かなり細かく修正していると思います。

 ツイッターでも少し触れていましたが,この10年くらいの研究の進展としては,権威主義体制の研究とポピュリズムを含めた政党システムの研究が大きかったように思います。そして両者に移民・難民を含めたグローバルな人の移動の問題が関わってくる,というような感じでしょうか。そういう雰囲気を出せる改版になっていれば,著者一同非常にうれしく思っております。

もちろんウェブサポートについても拡充する予定です。こちらはそのうち有斐閣の方からアナウンスがされると思いますが,本全体についての紹介のほか,旧版からの変更で落ちてしまったコラムやそのような本文の一部をコラムとして再構成してアップロードします。それに加えて,小テストや動画のようなコンテンツを増やすことも企画しております。

本書を引き続き,あるいは新たにご利用いただけると嬉しいです。ご不明な点があれば出版社にお問い合わせいただくか,あるいは著者であればこのブログやツイッターにコメントいただければ幸いです。

政治学の第一歩〔新版〕

政治学の第一歩〔新版〕

 

 

自民党大阪府連公開討論会

大阪都構想周辺の研究を10年くらい続けていると,この方にこういう依頼をされると断りにくいなあ,ということも出てきます。今回はそんなかたちのご依頼を受けて,普段やることがないファシリテーターのお仕事をしてきました。しかも,とにかくしゃべりたいことがあるという政治家の皆さんの議論ということで,少なくとも今年一番疲れましたが,ツイッターなどで関係者・党派・面識の有無を問わず多くの労いの言葉をかけていただきとても報われた気分になりました。個々に反応させていただくことは控えますが,ありがとうございます。

討論会では,かなり時間がタイトであって*1,参加された皆さんにはもう少し言いたかったこともあったかもしれないことは申し訳なく思います。実は当初は発言者の発言内容から僕の方で論点を整理してお互いに質問に答える方式で…,という感じを想定していたのですが,早い段階で皆さんが「質問に答える」よりも「考えていることを言いたい」という思いが強いことに気が付いてやり方を変えました。結果,より自由にお話してもらうことになりましたが,不確実な将来の制度に関わることですから,どちらかの「論破」のようなことはそもそも目的とはならず,仮に「平行線」と言われてもそこに乗り越えるべき線があるということを示すことが目的だということで進めたつもりです。で,まあ一応破綻せずに終わってよかったかな,と。

私自身,自分の意見を開陳するような場ではないために,自分としては必ずしも疑問なしとしない点を扱ったり,重要だと考える点を扱えなかったりというところはあります。なので,以下はいくつか改めて明らかになったと考える論点の整理と,それらの論点について私自身の意見や感想を含めたものをメモしておきたいと思います。言うまでもありませんがこれは議事録などを見て作ったものではなく,私の完全な私見ですからその点ご注意ください。

はじめに,広域一元化の問題ですが,討論会の中でも申し上げたように,大きく二つの立場が離れているように見えます。つまり,権限を集中させれば効率的な意思決定が可能になる,という立場と,仮に権限を集中させたとしても関係者の合意は同じように必要だから制度を変える意味がない,という立場です。みんなが明示的な決定ルールに従うというだけなら前者が妥当に見えますし,単なる多数決を超えた一致を決定ルールが黙示的に存在することを強調するなら後者が妥当に見えます。この「平行線」をどう超えるか,というのが自民党に次に求められることのように思います。

ここからは,私が書いたものをご覧いただいたことがある方にはお馴染みという感じの議論ですが,私からは,自民党がその決定ルールをどう扱うか,というややメタな議論こそが真に重要に見えました。つまり,この地方自治制度の外側にある決定の仕方をどう考えるか,ということで政党の決定が重要だろう,と。そう考えているからこそ,都構想という制度のみではこの「平行線」をうまく超えることができないとしてこの制度改革には疑問を呈しつつ,まさに外側をうまく機能させているように見える大阪維新の会という地方政党それ自体は積極的に評価しています*2。最近進めている研究の関連では,ここで政党の決定をどうしても噛まさないのであれば,公平な第三者性を持った機関による紛争処理の仕方を入れるというのもありうるかもしれません。この点については以前に朝日新聞の取材でお話したこともありますが,より詳細には例えばFeiock, Richard C. 2009. "Metropolitan Governance and Institutional Collective Action," Urban Affairs Review, 44(3)とかが参考になるように思います。

次に,広域一元化による効果額,特別区のサービス維持に関する必要額,といった点に共通して財政シミュレーションの問題が議論されていました。反対の方々がシミュレーションの数字は当てにならず,むしろもっと悪い可能性がある,と指摘するのに対して,賛成の方々はそもそも前提が多様でシミュレーションだけで決めることはできない,もっと定性的に見るべきだ,と主張されていたように思います。これもまた「平行線」ではありますが,こちらの「平行線」についてはある程度越える方法もあるように思います。というのは,双方ともに色々な条件でシミュレーションをするのは重要だ,ということは共通していて,それを当局/維新の会が出さないのが問題だ,としているわけです。そうすると,ひとつではないシミュレーションを出すのは有権者にとっても意味のあることなので,何とか粘り強く訴えていくというのがまず重要でしょう。そこでポイントは,どこかに正しい数字がある,とすることではなく,不確実でありどのシナリオに落ちるかわからない,という姿勢を共有することのように思います。そうじゃないと当局(地方官僚)の側でもオチオチ変な数字を出せないとなるでしょうし。

もうひとつ,議論が盛り上がったのは水道・消防,そして最後にちょっと出た廃棄物処理を含めた広域連携という話であったように思います。ツイッター廃棄物処理の連携について述べた西川議員の発言が最も印象的だったとも書きましたが,私にはこのご発言が最も端的に問題のあり方を示していたように感じたからです。ただ議論としては,私の理解が十分でなく整理の仕方が下手だったので,「府域での一元化」と「分散的なサービス供給」の間にある「可能な範囲の広域連携」についてきちんと論じていただくようなことができず,おそらくその結果として「平行線」を示すことができなかったのは申し訳なかったと思います。

個人的には,これらの重要な事務について一元化,といっていきなり全て府が担うというイメージが想像できず*3,4つの特別区に分けたときに大阪市と比べて発言力が小さくなるから(=府のいうことを聞かせやすくなるから)進みやすいのか,ステークホルダーが増えるだけで逆に難しくなるのかもよくわかりません。他方で,(はじめのほうの広域一元化の議論とも重なりますが)この10年のうちに大阪維新の影響下で,廃棄物処理については大阪市・八尾市・松原市,そして守口市の一部事務組合を作って前進させたというのはきちんと評価すべきように思います。これらの材料をどのように統合的に理解すべきなのか,私自身まだよくわからないのですが,大阪市がこれまで国際的な大都市であるにもかかわらず自治体間連携が活発とは言えなかった事実を踏まえて,賛成派/反対派の方々が特別区大阪市の立場でどうやって連携をより進めていくのかはもう少しお聞きしたかったように思います。

残念だったのは,賛成の方が基本的に市外の方々で,反対の方々は特別区に反対されているので,特別区という自治の単位をどう生かすのか,という議論をあまり深められなかったところです。私見では現在の大阪都構想は「特別区を作る」方向に相当程度傾いているように見えますし,市内選出の議員で「大阪市よりも特別区の方が自分の目指す政治ができる」という方がいるとより議論が深まったのかもしれませんが,それには維新の会や公明党の方が必要であったのかもしれません。

パネリストの皆様には,いろいろご不満もおありだったかと思いますがとても真摯に議論に参加していただいたことに改めて感謝します。私にとっても疲れましたがとても勉強になりました。こういう議論が,党派を超えて,大阪の大都市問題・広域連携の問題を解決したいと願う人に参考になるとすればそれほど嬉しいことはありません。…ただ多分もうこの手のお仕事はしないと思いますが。 

 

*1:それでも当初予定より1時間オーバーで,絶対ここまでと言われてたラインも越えてるんですが…

*2:普段言ってることですが一応追記:要するに都構想がどうかと思う理由のひとつは,その大阪維新の会が政党としての凝集性を保ち得る条件であるところの選挙制度を大幅に変えることにつながり,何も残らなくなるだけではないかと懸念するからです。念のため。この辺,別に私は維新支持者ではないのでそれいいじゃないかという見方もあり得ますが,それよりも政党間競争がさらに断片化するのが好ましくない,ということです。

*3:例えばどっちも大変だと思いますが水道より廃棄物処理の方がインフラが相対的に小さいためまだやりやすいように思いますがなぜ水道の一元化が先に出てくるのか,とか

統治のデザイン

宣伝ですが一章寄稿した『統治のデザイン-日本の「憲法改正」を考えるために』(弘文堂)が出版されます。本書では,憲法学者政治学者が共同して,人権について定めたいわゆる権利章典の部分を除いた統治機構に関連する,安全保障・代表・議会・内閣・司法・財政・地方自治という分野について検討するものです。分野によっては現行の日本国憲法で割と細かく書いてあるところもありますし,「代表」のように規定があんまりないところもありますが,どの分野でも政治学者の方が変更の論点を提示し,憲法学者がそれにツッコミを入れつつ変更可能性を考える,みたいな構成になっています。私自身は「地方自治」を担当しておりまして,中央地方関係・地方政治に中央地方をつなぐ政治のリンク,みたいな三題噺で書いてます。

個人的には駒村先生のまとめが特に興味深かったのですが(そこかい!),それは何というか憲法改正というテーマに対する憲法学者アンビバレントな気持ち,みたいなのがよく表れているからのように思います。駒村先生ご自身は,私の印象では,他の参加者よりむしろ積極的に改正を議論したいという感じがあるのですが,それでも「憲法の外」に何かを求めようとするとやや躊躇もある,といいますか。「憲法を無視するわけにはいかず,やはり,憲法にしっかりしてもらわないとならないのである」(404頁)と。

実際他の憲法学者の皆さんにもそんな感じがあって,私などの場合だと,憲法によって改正される内容が現行憲法の観点から見て違憲かどうか,というのは実はあんまりちゃんと意識していないような気がします。そのときに憲法を変えようとする合意が何よりも重要で新しいモデルを作るような発想だ,と。しかしおそらく憲法学者の立場から見ると,憲法のある種の整合性(というかintegrity)それ自体は改正前後で変わるべきではないという発想が強いようにも思いました。そういう発想がわからないわけではない一方で,変更を「モデルチェンジ」と見る側から言うと,前のモデルから演繹的に導かれるような(いわばモデルよりも下位の)原則になぜ新しいモデルが掣肘されることになるのだ,という感覚も出てくるように思います。このあたりはどちらかの発想に決め打ちするべきではないと思いますが,何となくそういう違いが見えてくるのはグループでの共同研究の良いところかな,と思います。 

統治のデザインー日本の「憲法改正」を考えるために

統治のデザインー日本の「憲法改正」を考えるために

  • 発売日: 2020/07/01
  • メディア: 単行本
 

 なお政治の側の執筆者はみんな担当分野での関連研究があるということで,そちらもご紹介しておきます。

安全保障(楠綾子先生) 

 代表(大村華子先生) 

 議会(松浦淳介先生) 

 内閣(竹中治堅先生) 

首相支配―日本政治の変貌 (中公新書)

首相支配―日本政治の変貌 (中公新書)

 

 司法(浅羽祐樹先生) 

 財政(上川龍之進先生) 

地方自治(砂原)  

大阪―大都市は国家を超えるか (中公新書)

大阪―大都市は国家を超えるか (中公新書)

 

現代日本の代表制民主政治

東京大学谷口将紀先生に頂きました。この20年にわたる東大朝日調査の成果を披露した,言わずもがなの必読書です。ポリティカル・サイエンスで重視されるような理論構築-検証よりは,どちらかと言えばデータから現実を探索的に明らかにしていくことに重点が置かれていると思います。しかし,そこで示される含意は本当に豊かなもので,これを読まずに現代の日本政治は語れないというべきではないでしょうか。

探索的だとは書きましたが,本書で行われているのは,現代の日本政治が代表制論の観点から見てどのように理解できるか,ということの検証です。取り上げられている代表制論は,約束的代表(代表は人々との約束を行いそれを実現する)・予測的代表(代表は人々が求めるものを先に察知して実現する)・独楽的代表(場合によっては人々の求めと独立して代表は特定の信念を実現する)・代用的代表(様々な人々の選好が代表に反映されて熟議のもとで利益が実現する),という4つで,調査から得られた有権者の選好と政治家の選好を比較しながら,それぞれの代表観について検討していくことになります。そこで明らかにされていることは,まず,自民党(右傾化)にしても民主党左傾化)にしても人々の選好とはやや離れているし,必ずしも人々の近い未来の選好を反映しているものでもなく,(政党にもよりますが)ぶれないわけでもないと。代用的代表観については相当の限定(政治的に洗練された有権者比例代表選出議員)をかければ言えなくもないけども必ずしも議員の選好分布が人々のそれと重なるわけではない,ということです。まあ残念な感じはしますが,それが現状ということなのでしょう。こういった現状にもかかわらず,自民党政権が続いていることについては,その政策信用度・政権担当能力への評価がカギとなっていると論じられています。

学ぶところは非常に多いわけですが,ポイントとして挙げられることは,まず日本の政治的な対立軸(左右軸)は基本的に安全保障や憲法を中心とした形で構成されていること。これはしばしばいわれてきたことでもありますが,さらにこの左右軸に重なる大きな政府-小さな政府という論点は,あまり対立軸を構成するものとなっていないことも確認されています。ちょうど今日発表された東大朝日調査についての記事が示唆的ですが,経済状況に応じて大きな政府が望まれたり小さな政府が望まれたりすることはあっても,一貫した立場/イデオロギーとしてそれを主張することは少ない,ということでしょう。そして,この左右軸で言うと有権者の多くはだいたい真ん中くらいがボリュームゾーンとなっているわけですが,自民党の方はとりわけ第二次安倍政権以降どんどん「右」により,民主党は「左」に向かっていることが示されています。特に民主党左傾化については,民主党が支持を失う中で共産党への対抗意識がそうさせているのではないか(10章)という理解は,個人的にはよく納得できる示唆的な議論だと思います。

さらに,候補者・議員や党首・政党・派閥,といった単位で有権者の選好との異同を確認していくのも非常に興味深いものだと思われます。候補者については,選挙区単位で有権者の選好に対応する(たとえば都市の候補者であれば右翼的・新自由主義的に)傾向が認められていること,党首は政党の中での選好の中央値あたりから選出されているわけではなく,大臣も必ずしも首相とイデオロギーが近いというわけではないこと,派閥を基礎とした党首選挙は政党内のイデオロギー選択と必ずしもなっておらず,特に自民党では派閥間のイデオロギーの違いが収斂しつつあること(民主党の方は対立-選択が観察される),といった非常に興味深い主張が示されています。

本書を踏まえて,改めて議論になっていくのは,なぜ自民党が政権を取り続けているかっていうことのように思います。本書では政策信用度という概念が使われていて,山田真裕先生が「政権担当能力」について議論されているように,政権に何ができると考えるか,というのは確かに重要な論点だとは思うものの,ややアドホックな気もします。個人的には,左右軸以外の政策対立軸を含めたうえで,自民党への近接投票というところがあるのではないかという印象を持っています(狭義の専門と違うところでやや恥ずかしいですが,下のはそれについてお話している動画です)。つぶし合いをしている野党と比べてライバルのほとんどいない自民党,と言いますか。本書でもあくまで「左右イデオロギーの主な構成要素ではない争点に関する政策信用度(強調筆者)」(203頁)というかなり慎重な書き方をされているところで,このあたりを明らかにしていくのが次の大きな課題かな,という印象を持ちました。おそらくほかにもそういうところはあると思うのですが,そのように「次の課題 」を示唆する意味でも,本当に広く読まれるべき本だと思います。

現代日本の代表制民主政治: 有権者と政治家

現代日本の代表制民主政治: 有権者と政治家

  • 作者:谷口 将紀
  • 発売日: 2020/03/16
  • メディア: 単行本
 

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最近のいただきもの

しばらく頂いた論文集や共著の書籍などをご紹介できていなかったのですが,以前のものも含めて簡単に最近の書籍を。

大阪市立大学の野田昌吾先生に『ポピュリズムという挑戦』を頂きました。ありがとうございます。ヨーロッパ各国におけるポピュリズム政党を巡る事情が論じられています(野田先生はドイツ)。今年は自分自身も少人数授業でポピュリズムを扱うので勉強させて頂きたいと思います。 

東京大学の宍戸常寿先生に『デジタル・デモクラシーがやってくる!』を頂きました。副題がラノベみたいでビビりますが(すみません表現パクりました), 中身は日本を代表する憲法学者政治学者がデジタル・デモクラシーのキーパーソンにインタビューしていくという興味深いものです。メディア・政党→熟議→制度,という展開に本書のスタンスがあるような気がします。 

御厨貴先生から『天皇退位 何が論じられたのか』を頂きました。有識者会議の座長代理を務められた御厨先生が,2016年7月から2019年末までに様々に論じられてきた天皇に関する論考を,新聞・雑誌からラジオの書き起こしやブログと色々集め一冊の書籍にされたものです。本当に色々な人が色々なことを書いてますが,それぞれについて御厨先生が書かれているコメントも非常に興味深いものではないかと思います。 

 著者の皆さまから『新しい地政学』を頂きました。帯にも書いてるようにほんとにご活躍されてるメンバーで「地政学」をキーワードに新たな国際秩序について構想する内容ですが,キーワードから自由に展開するというより,安全保障・経済・紛争解決などの<理論>,人権・国際協力という<規範・制度>,ロシア・アフリカ・中東という<地域>から考えるというスタイルです。さらに,収録されている論文がこういった共著の書籍にしては非常に長く骨太なものになっていることも特徴かと思います。

新しい地政学

新しい地政学

  • 発売日: 2020/02/28
  • メディア: 単行本
 

 大阪大学の瀧口剛先生から『近現代東アジアの地域秩序と日本』を頂きました。本書は大阪大学で政治史を研究する人たちを中心として編まれた論文集です。最近では何でもコロナウイルスの話になってしまいますが,感染症が広がる中で,経済環境だけではなくて地域的安全保障の環境にも変化が出てくるようにも思います。そういった時代には,これまでに議論されてきた地域秩序の構想について勉強する必要も増してくるかもしれません。

近現代東アジアの地域秩序と日本

近現代東アジアの地域秩序と日本

  • 作者:瀧口剛
  • 発売日: 2020/03/06
  • メディア: 単行本
 

最後に,関西学院大学の宗前清貞先生から『政策と地域』を頂きました。 宗前先生が担当された部分では,最近出版された『日本医療の近代史』よりさらに地方政府による公衆衛生や保健などに注目されていて,まさに喫緊の「地域」の課題に関連する内容かと思います。他の章でも,防災・消防・移民・町並み保存・清掃・エネルギー・ダム事業という地域性の高い公共政策が扱われていますが,とらえどころのない政策というものを地域に注目することで括り出してみる試みとしても興味深いな,と感じます。 

政策と地域 (これからの公共政策学 4)

政策と地域 (これからの公共政策学 4)

  • 発売日: 2020/04/08
  • メディア: 単行本
 

自治体/政策研究

年度末になると出版助成の締め切りということもあって単著を頂くことが増える傾向にあるのですが,今年も色々といただいております。コロナウイルスでさまざまな会議がキャンセルとなり,子どもが家にいる中での「在宅勤務」をしていて,子どもの勉強を見ながらすることとしては頂いた本を読む,ということがありますので(なかなか集中できませんが)ある意味で少しはかどってるような気もします。

まず学習院大学の伊藤修一郎先生から,『政策実施の組織とガバナンス』を頂きました。どうもありがとうございます。本書では,地方自治体による「屋外広告規制」,つまり商店が広告のために出している構築物とかビラとかについて規制するという,通常はあまり目立たないような政策分野について扱うものです。規制というと,政府や自治体が命令してここでいう商店などの被規制者がそれに従うという関係が単純に想定されそうですが,対象となっている屋外広告規制の周囲には,議員が選挙のために出すポスターとかの「表現の自由」と絡んだり,強制的な手段を嫌う政府と機会主義的な被規制者との戦略的な関係があるとか,非常に複雑な,興味深い環境が作られています。そういう環境のもとで,自治体による規制が行われてながらも同時に多くの違反が存在するという状況が生まれているのです。

このような屋外広告規制について,本書は政府による規制とその実施にかかわる様々な先行研究とそれに基づく理論,そしてその検証にアンケートやインタビューなど様々な手法を駆使して「法令違反を行政はなぜ取り締まらないのか」「どのような条件が整ったら違反対応を実行できるのか」という問いに迫る非常に説得的な研究だと思います。僕なんかは,いつもどっちかというとざっくりとした証拠をもって検証したと書いてしまうことも少なくないと反省しきりなのですが,本書では屋外広告規制という一つのテーマを多面的に丁寧に検証されていて,その積み重ねが説得力を与えていると感じます。個々の議論についてもなるほどと思うところが多く,とりわけなぜ行政が法令違反を取り締まらないのか,という問いについて,過少人員で定型業務に傾斜しがちな大部屋主義による実施という問題があるという主張は,まさにその通りというように感じます。さらに本書の特徴として挙げられるのは,そのような理論的・実証的なインパクトを持ちつつも,前著『政策リサーチ入門』で議論されているような政策の妥当性の検証というものを意識しているところで,その意味で非常に教育的な著作であるとも思いました。

政策リサーチ入門―仮説検証による問題解決の技法
 

常葉大学の林昌宏先生からは,『地方分権化と不確実性』を頂きました。ありがとうございます。林さんは,もう10年前に大阪市大で初めて大学院ゼミを持った時に博士の院生ながら参加してくれたり,その後も震災プロジェクトでご一緒したりなどもうだいぶ長いお付き合いになります。博論を書いてからずっと出版をどうしようかと悩んでましたが,このたび吉田さんと会っていいかたちで出版されたということで,個人的にもなんとなく感慨深いです。当時から議論されていたことですが,中央・地方のいろいろな主体が多元的なかたちで意思決定を行うために,帰結が極めて不確定的になるという議論が様々な歴史的な資料に基づいて重層的に描かれていると思います。個人的にも,西宮の話とか改めて読んで地元民としても勉強になりました。

本書で面白いのは,「大規模化」と表現されていますが,自治体が管理する港湾がその「身の丈」と比べて大規模になっていくプロセスを描くところでしょう。ここでいう「大規模化」は,グローバルで見たら規模は小さいのに局地的には過度に大きなものが作られていて供給過剰になりがちという話で,その原因として考えられるのは港湾に関わる多元的な意思決定主体の存在ということなのだと思います。具体的には大阪市や神戸市のような有力な都市であり,それと対抗関係にある府県であり,さらにはグローバルを見据える国であると。他方もう一つポイントとしてありうるのは,どの港湾が局地的にであっても大規模化されるのかについてはやはり国や都道府県といった広域主体の影響が大きかったのではないかと。これは僕が(林さんとも一緒に書いてる)『縮小都市の政治学』で議論したことでもありますが,函館や下関のようにそもそも大規模化できなかったところもあるわけですよね。その辺の選別がどのようにして働きえたのか,ということがわかるとさらにいろいろな含意があったように思いました。阪神・西宮のあたりはそういう話でもあるように思いますし。 

地方分権化と不確実性――多重行政化した港湾整備事業
 
縮小都市の政治学

縮小都市の政治学

  • 発売日: 2016/01/29
  • メディア: 単行本
 

もうひとつ,関西学院大学の宗前清貞先生から『日本医療の近代史』を頂きました。ありがとうございます。ギリシャや江戸での医療の歴史から語り起して現代の日本医療が完成する時期までのありようを描くというのはまさに「近代史」を意識されているんだろうと感じました。面白いなあと思ったのはその視点で,僕なんかが医療のことを考えるときは基本的に保険者目線で物事を考えがちなのですが,宗前先生の本では,医師というより医師を含めた「医療者」みたいなところから観察しているように思いました。だからだと思うのですが,研究対象の外延も必ずしも一般的に考えられるような「医療」とは違っていて,読みながらなんどかこれは医療というより公衆衛生の本なんじゃないの?と思ったときがありました。
あんまり考えたことなかったのですが,その境界というか関係ってやはり重要で,いまのコロナ禍が典型的にそうですが,医療と公衆衛生は基本的に補完的な関係にあるかもしれないとしてもトレードオフみたいになることがありうるんじゃないかという気がします。試しに言い変えてみると,不確実性に対応する医療とリスクを考える公衆衛生というか,患者を平均的に扱う公衆衛生に対してより個別性を強調する医療というか。本書を読んでいると,公衆衛生という観念がない中で呪術の要素を持っていた医療,という関係から科学化とともに次第に公衆衛生の方が強くなっていき,最終的にはそれが保険というものを通じて統合されていくというストーリーにも見えます(いや全然こういう問いとは違うんですけど)。そうやって国民総保険が成立した後も,日本でいえば中医協の中で見られるような医療/公衆衛生の潜在的な対立は続くわけですが,その中で医療の方が最後に前景化したのが保険医総辞退という事象だったのかなあ,というように感じました。…というのはちょっと特殊な読み方のような気がしますが,射程がすごく長いこともあっていろんな読み方を許容する本のように思います。