福祉政策と中央地方関係

行政過程の制度分析―戦後日本における福祉政策の展開

行政過程の制度分析―戦後日本における福祉政策の展開

とりあえず、ちょっと前に買っておいて、読もう読もうと思って結局ずっと読めなかった本から。この本は、読んでみると第一部(理論編)が躓きの石。いろいろと理論的な整理がなされているのだけれども、正直なところぼくにはあまりよくわからなかった。行政学の論文としては非常に珍しく、「情報」とか「インセンティブ」とかそういう言葉が頻出し、部分的にはなんとなく理解できるものの、さまざまな概念が入れ子のように組み合わされていて、ちょっと全体像が上手く取れなかった。まあ組織論的な議論を行政学においてきちんとしようとする先行研究が少ないので、読みなれてないだけなのかもしれないけど。
理論部分でぼくが理解できた重要な主張は、

  • 日本の(給付)行政においては、個々の上司−部下(Principal−Agent)関係というよりも、長期の年功的な雇用システムの中で、公務員の昇進インセンティブを基礎とした形でコントロールが行われている
  • そのため、短期ではなく長期にわたる貢献で査定されているので、下位レベルへの権限が移譲しやすく、個々の上司−部下関係で支持を受けなくても、管理者の権威に従うように動機付けられている
  • 通常の地方政府における行政では組織スラックが存在しているが、緊急事態においては意思決定機能が集中化するなど、弾力的な運用がなされている(組織間関係が組織内関係に変化する場面が出現する:「運用の妙」)

でも、第二部が非常に興味深い。
まず第二部では、第一部で論じた理論枠組みを機関委任事務に当てはめて考えることで、従来の機関委任事務の認識について、

環境が変化しやすくて不確実性が高ければ高いほど、管理活動は様々な逆機能的現象をもたらすものとして捉えられている。そのため、不確実な環境ではそこに直面する部局で意思決定が行われなければならず、分権化されている必要があると観念されている。要するに、その統治形態が合理的な解決手段となりえないと理解されてきたのである。(p.75)

と喝破する。それに対して筆者は、組織編制に関する視点から、

機関委任事務体制の場合は状況の変化に対応して曖昧な権限関係が厳格となり、緊急時には実質的な意思決定が最終決裁権者の近くで実行可能になるのではないか。行政機構の再編成よりも意思決定の集中と分散という組織運用が比較的容易に実施され、そこでしばしば活用されているのが、通達など組織内部の調整機能ないし意思伝達機能なのではないか。さらに、それらフィードバックを通じて官僚制組織は予見可能性または計画化の限界を克服しようとしている、と考えられないであろうか。(p.77)

こういう感じで、特に検証もされずに一般に言われる「通説」を同定し、それとは異なる可能性をある程度形式化して検証する、という研究は非常に重要で、見習うべき研究だと思う。後に続く実証研究も、生活保護制度が始まったときの議論や内包された矛盾からスタートし(第三章)、(特に結核による)医療扶助の急増や他制度の機能不全による保護費の急増が生活保護制度の予見可能性を急速に低下させたこと(第四章)、そして事務監査の強化や通達などの意思伝達機能の開発、権限体系や人事体系の再編成などによってその予見可能性の低下に対応した過程(=「適正化」への過程)が議論される(第五章)。そのうえで、

国から委任される「事務」とは「権限Authority」や「責務Responsibility」ではなく、むしろ「職能Function」に過ぎない(p.151)

ことを確認し、

機関委任事務体制とは自立性ある政府間関係をひとつの階統制構造へ転換する統治形態であり、そこにおいて意思決定の集中と分散が組織運用で可能になる。…(中略)…少なくとも、短絡的に有機的組織を機械的組織の代替的選択肢とする思考様式への傾斜は改めるべきであろう。(p.152)

として従来の「通説」へのかなり根本的な疑問を投げかける。このような議論を通じて、単に機関委任事務がほとんどアプリオリに悪であり、その「改革」が必要であるとする姿勢とは異なって、制度の現実を冷静に分析し、そのあとの制度設計にも繋げるという意味でも非常に示唆に富むと言える。

ぼくが機関委任事務について議論する場合は、事務の種類を同定した上で、国−地方の委任関係をはっきりさせるべき、と考えていて(もちろん事務の種類を同定しないことに一部起因するOff-Loadingは非常に問題)、基本的には武智先生が議論する「情報」を通じたコントロールの側面を強調していることになるのかもしれない。でも、重要なのは、少なくとも「機関委任事務」という形式によって国の事務を地方が実施するという形式が、組織の中である程度の柔軟性を持って「運用」されてきた、という事実が明らかにされていることだろう。これは、国と地方の権限配分が明らかにされた後でも、「使える」仕組みだったかもしれない。くどいけれども、もちろん前提として事務の種類が同定される必要はあるが。しかし、既に機関委任事務はなく、現在の「法定受託事務」は国と地方の権限配分という観点からは多くの問題を抱えたままになっている(そのうち書くかと)。

第三部は、第二部の流れとは異なり、生活保護以外の社会福祉、特に地方政府と地域社会の関係についての議論が展開されている。興味あるところだけをつまみ出すと、第六章では、従来の措置制度が「消費者主権」のしくみに漸進的に変わっていく際の制度について議論される(ケースは主に保育所と特養)。ここで重要な部分は(当時の)団体委任事務をどう考えるか、というポイントであり、高率補助金の補助率削減とセットになった「権限委譲」として語られる機関委任事務の団体委任事務化においても、地方政府が条例によって基準を制定するというよりも、政令・省令・通達による基準設定を通じた国のコントロールが行われていたことが指摘される(社会福祉施設の運営について)。さらに第七章では、老人保健福祉計画に見られる「計画」の策定が、新たなコントロール手法として登場していることが指摘される。ちなみに第八章は非営利組織の理論のお勉強として読める(実証ではない)。

難点は、まず、文章が難解なこと。「集権化」「公式化」「複雑化」みたいな言葉についてはある程度定義がされているけれども、その周辺の言葉についてはやや未定義な部分も多く、ちょっと読みにくいかと。それはおそらく、この本が既出の論文をまとめて作られたという性格にも起因するのではないかと。また、そのために、ときどき全体のなかで位置づけがわからない部分が出てくる。たとえば、市町村と福祉公社の関係(7章)とか、非営利組織と「公共性」みたいな議論(8章)なんか凄く面白いんだけど、全体の文脈でどういう位置づけになっているのかはぼくには少し判然としない。それは結構全体を通して言えて、よく読むと非常に勉強になる本なのだけど、全体の交通整理がもう少しきれいにされていれば…という点が非常に残念。
加えていうと、生活保護や地域福祉は非常に制度が複雑になっていて、(ぼくは何回か勉強したことがあるので多少ましだったと思うけど)普通は非常に敷居が高くなってしまう。それがこの本が、もっと言及されるべきであるにもかかわらず、それほど(ぼくの周りでは)知られていない原因になっているのかもしれない。でも、中央地方関係の研究においては、少なくとも第二部は必読では。

ちょっと知ったこと。

  • 当初の大蔵省の主張によって生活保護行政のための事務費は国庫負担が1/2、人件費はゼロ(交付税措置)で始まったことが、現業員が法定充足率の8割しか確保できなかった源泉となっていた
  • 戦後しばらく、結核が流行っていたときに、結核予防法における国庫負担が5割だったのに対して生活保護法による国庫負担は8割で、これが生活保護の急増につながるひとつの原因だった
  • 「成功」した「適正化」の手法が費用削減の切り札として、1980年代の「福祉見直し」などでもたびたび繰り返されることになっていた
  • 「委任」を考える上で、従来の機関委任事務のような行政統制と中央政府と地方政府が互いの法令解釈を戦わせながら進められる立法(司法)統制を区別することは重要