教育行政

青木さんの本。買ってはいたけどもずっと読んでなかったので、博論のリサーチと称して読む。
第一印象的な感想としては、やはり手堅い実証研究ですね、ということになるのではないかと。筋としては、第一部で法制度と統計データからマクロな分析を行い、市町村の行動が国の財政制度によって枠付けられていることを実証したうえで、第二部で具体的な実施過程を検討し、公式・非公式な制度とアクターの関係について検証する*1。そこでは文部省をはじめとするさまざまな組織が主催する「会合」などの情報伝達手段の効果について、アンケート調査を踏まえたうえで、地方政府がその行動について国から一定の制約をかけられながらも、「自律的に」行動することが主張される。

研究は、まさに手堅い、という感じ。これはおそらく良くも悪くも。まじめな話、こういう業績が博士論文として認められて、出版されるのはすごく良いことだと思う。というのは、この「手堅さ」は、ある意味で職人的なテクノロジーを持っていなくても博士論文を書き、評価されることができるということを示していると思うから。ただし、そのためには綿密にリサーチプランを立てる能力と、投入するための時間コストが膨大にいるわけだが。逆に言うと、その能力さえあれば、「職人芸」がなくても評価される博士論文を書くことができるわけだ。−もちろん、それに加えて、こういう業績が少ない時点でそれを行ったという点でも評価されるべきだと思う。例えば、福祉の分野でも同じような研究をすることができると思うし、そういう「努力」に基づいた実証的な研究−「職人芸」ではなく−の積み重ねが重要なわけで。

  • 従来他の政策領域に関する分析において、ともすれば教育行政の集権的性格が文部省の体質や制度の仕組みから説明されることが多かった。つまり、これまでは制度の存在を持って直接集権的様相の要因として説明していたものが多かったといえるだろう。そこでは制度あるいは「制度」*2と実施過程の連関が等閑視されていたといってよい。
  • さらに本書は、政府間関係を分析するために、制度分析を行ったうえで実施過程研究を行った。単に制度の文言から想定された「実態」を論じたり、制度、「制度」の影響を無視して「実態」を監察することを避けるために、制度、「制度」分析と実施過程分析を接合することに努めた。(330-331)。

単なる憶測(ドクサ)とまでは言わないけども、「体質」や「制度のしくみ」からやや乱暴な説明をしたり、過度に「実態」を強調する研究が多い中で、やはりぼくら(若手?)はこういうスタンスで研究することが必要になってくるだろう。面白くない研究だ、と言われやすいとは思うけれども、特にいわゆる「新制度論」以降は、政治学の研究者としては、現実に存在するであろう制度と、ミクロな行動をどう接合させるかを問われることになる。また一方で、「通説」の人たちからは割りと厳しい批判を受けることになるだろう。「それで実証したことになるの?」といわれても(しかも実証しない人に!)地道にやり続けるしかないわけで。ってそう考えるとやっぱり福祉政策でも似たような研究は必要かも。

と、姿勢の話はいいとして、内容について。

  • 論文の主張としては、「現代」において市町村が自律性を発揮できるのは、以前と比べて社会経済環境が変わったからだ、というのが大きい。しかし、それを言うのは結構難しいのではないか?

社会経済環境として、この本で述べられているのはまあ「児童数」なわけですが。もちろん、児童数が減っているにもかかわらず全体としての予算を確保しようとする行動が地方政府の自律性を許容したというロジックはわかるのですが、counterfactualとして、児童数が変わらない状況で自律性が増していないか、という問いを立てると、必ずしも否定しにくいのではないでしょうか。

  • 関連して、重要な前提として、「補助率が100%」というものがあって、これは解釈上は予算に余裕があるから補助率が100%、ということになっているわけですが、実は「政治的な」調整が加わって100%になっている可能性を検討する必要はないのだろうか。もしそれがあるとすると、県教委とか県期成会の役割はやや変わってくるような気がする。
  • 反省もこめて、この本では敵がいるのでいいかもしれないけど、今後の課題として、地方政府の「自律性」の存在を主張することはそろそろ考えないといけないかもしれない。「自律性がない」ことを主張するのが悪魔の証明であることを考えると、「自律性がある」ことを明らかにするほうがはるかに簡単なわけで、それもそろそろ自明の域に入りつつある。そうすると、これからは「どのような条件で」「どのような自律性が存在するか」を考えないといけない。
  • 回帰分析の方法は、ちょっとわからないところがないわけではない。ロジット変換するくらいなら、人口総数を対数変換するような操作はありではないか。それから、はじめは順序尺度を従属変数にして重回帰かけるわけですが、ああいう尺度だと多項ロジットとか検討してもいいのでは?(といいつつ、ぼくは多項ロジットしたことないのでなんともいえないけど…)

ていうか、アンケートデータ自体結構貴重なものなので、普通にクロス表で分析するだけでも十分に意味がある作業だと思う。はじめのほうの「構想を断念する」と「上位政府を制約に感じる」の因果関係は微妙だし(必ずしも一方向に規定できないのでは?)

  • まあやっぱり細かい話が多いので、「教育」関係者にはキツイところは少なくないですが(^^;ただ、この本を成立させる条件として、著者の青木さんが教育行政の制度に精通しているということが必要なので、仕方ないところですが。

似たような話を福祉系でやるとどうなるかなぁ…。まあ介護分野になるかな、という直観はあるけど。ただ、青木さんの話で「肝」になっている期成会のような存在を上手く見つけることができるかどうか、というところに一つ問題はありうる。というか、現状の介護分野は、1970年代の教育の施設整備みたいなもんで、ちょっといけいけどんどん的なところは否定しづらいことを考えると、地方政府の「自律性」みたいなものをきちんと描くことができるかどうかは問題あるかも。そうすると、介護保険の自己負担金の肩代わりみたいなやっぱりある程度定型化した上乗せ横だしサービスかな。

教育行政の政府間関係

教育行政の政府間関係

*1:本の中では「公式・非公式な制度」という表現は出てこないが

*2:乱暴に言うと、「制度」はいわば「非公式な制度」のようなもの