出処進退の研究

家の近くの図書館に本を借りに行ったときに目に付いた、塩田潮[2005]『出処進退の研究』、PHP研究所、を結局本来借りに行った本よりも先に読む。これだから研究が進まない、という話ですが。
本としては、正直なところまあ基本的に知っていたりすることが多くて、それほど大きな発見はなかったわけですが、ただ森前首相までの14人の首相(病気のために自ら進退を決めることができなかった大平と小渕を除く)の「辞め時」を並べてみるだけでも割と面白かったなぁ、と。塩田は7つのパターンを見出しているけれども、実は選挙をはじめとした制度(総裁選とか不信任案とか)の影響をもう少し定式化することで、もうちょっと集約できるんじゃないか、と思わないでもない。ただまあ宇野首相以降少なくとも村山までは黒ひげ危機一髪みたいな状態が続いてたんだ、ということが割りとリアルにわかるところは面白いかも。

ていうか、普通だとこういう本を読んでも感想書かないんですが、今回は一つだけ、ひじょーに衝撃を受けたことがあったので。少々長いものの引用。
(自社さ連立のときの話。社会党では自社連立派と非自民連立復帰派が党内で激しい綱引きを演じている)

中心人物の一人だった亀井静香が土壇場での綱引きの模様を生々しく証言する。
「連合の引止め工作が奏功して、24,5日頃、社会党の70数人のうち50人くらいが向こう側で固まった。社会党野坂浩賢さんが『もう駄目だ』と言ってきた。ところが、ジャンヌダルクが現れた。うちの白川勝彦君たちとずっと会合を続けていた伊東秀子さんが13人をまとめたというのだ。単純計算で10人くれば足りる。この数字をてこに野坂さんや山口鶴男さんが中央執行委員会を蹴飛ばしたんです」(p.298、強調引用者)

このサイト二回目の伊東秀子…。そういう話か?説明責任あるだろ…。