つれづれ

昨日で一応人前(?)で話をする準備の予定はおしまい。なので残りの二週間は心置きなく原稿書き…なのだろうか。昨日の研究会のように,ずっとキャリア・経験が上で尊敬できる研究者の方々とかなりしっかりと議論させていただくのは本当に勉強になるし楽しい。こういう機会をこれからも持ち続けたいと思うけど…できるのだろうか。
今日も僕は家で一人なので,最近話題になった本を読んでみる。医療と裁判,特に刑事裁判の関係についての議論で,医療過誤をどのように捉えるべきで,原因究明と責任追及をどのように行うべきか,という話。基本的に医師である筆者の視点からの議論になっていて,刑事裁判関係のところは納得できる主張が多いのだけど,医師の話については(多くは納得できるんだけど)たまにホンマカイナと思わないでもないところもある。中心的な主張は,医師の行う医療サービスを社会的共通資本として捉えて,その資源を収奪することが一方的な利得になってしまうような状況はまずく,欲望の制御が適切に行われなくてはいけない,というところか。ただまあ仮にそう捉えたからといって,医師のモラルに全てを委ねるのはそれはそれで危険なわけで,情報の非対称が存在するエイジェントであるという性格があることも事実なわけだから,制度設計のときに医師のインセンティブをあんまり考えないのもやっぱりどうかな,というところはあり。
別に僕は経済学者じゃないですが,経済学者が「合理的な制度設計を考える」ということと,「自分自身が欲望に任せて動く」というのが混同されてる気がして仕方がない(別にこの本はそんなに酷いことを言ってるわけじゃないけど)。ナイーブに(制度による制御が利かなくて)欲望に任せて動くっていう状況の方がむしろ珍しいとは思いますが,みんながちょっとずつそういう傾向を持っているとどんな帰結が起こるか,って予想をしてるだけじゃないのかと思うんですけどね。
まあいいや,本の話はとりあえず置いておいて,ちょっと面白いなぁ,と思ったのはこの本でもやっぱりメディア(特に大新聞・テレビ)の記者は勉強不足,無責任でどうしようもない,みたいな話が取り上げられていて(僕もそういう趣旨の事書くし,こんなとこにも)。
http://mazzan.at.infoseek.co.jp/
最近本当にそういう「専門家がマスメディアを批判する」話が多いけど,実際のところ問題はどこにあるんだろう。再販制度を廃止して,放送法を改正すれば全てが片付くのかもしれないけど,それだって当のマスコミが争点化をしている以上まあ難しい。この本にもあったように,個人レベルで優秀なジャーナリスト(新聞社やテレビにいる)が存在することも事実であって,本当はみんなそれなりに賢いのに,なぜか馬鹿みたいになってるんだったら,むしろそっちの方が問題なんじゃないだろうか。マスメディアが自らをコントロールすることができない一方で,煽りのニュースが需要されるのは,やっぱり需要する方の問題を避けて通ることはできないように思うけど。でも無責任でいることが優越戦略である可能性って高いように思うんだけどなぁ…そうするとこれからどうなることやら。で,基本法っすか?

医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か

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