規制改革

深夜バスの事故が起きたりすると,すぐに規制緩和が悪い,という話になるわけですが,どっちかというとそれはモニタリングの問題じゃないかと思ったりするわけですが。1990年代の規制緩和はあくまでも事前の規律付けをやめよう,という趣旨であって,事後的な規制の実効性をなくそうとは誰も言ってないわけで。まあマスコミさま的には事後的な規制をすると「大きな政府」を容認することにつながっていくから嫌がるのかなぁ,というのは深読みしすぎかもしれませんが。
ただし,規制改革が問題になりうるのはやっぱりその民主的正統性のようなもののわけで。別に改革以前の状態が民主的に望ましいとは個人的にはぜんぜん思わないものの,Status Quoを変更するときにはルールに則って行う必要性があるわけで。そう考えると,確かに規制改革会議がしばしば国会をパスして閣議決定だけでものごとを進めるのは問題があるように見える。

◎規制改革会議は中央集権的?=「閣議決定で拘束」懸念−中教審で発言
「(国会審議を経ない)閣議決定で全国の学校を拘束していく。こういうことこそ中央集権的」−。教育委員会に対する国の権限強化をめぐり、激しい議論を戦わせている中央教育審議会で、当事者である京都市教育長の門川大作委員が声を上げた。
非難の矛先は政府の規制改革会議。同会議は、いじめなどのケースで学校を変更できる制度の導入促進を求めた閣議決定に従わない教委を問題視し、実名公表する方針を打ち出した。
(中略)
閣議決定は政府を拘束するもので、地方の教委は拘束しない」と門川氏。規制改革会議に加え教育再生会議が設置され、教育改革は百花繚乱(りょうらん)の状態だが、「拘束するなら(国会を通過した)法令にしていただきたい」(同)というのが地方の現場の本音のようだ。
2月25日 時事通信

毅然とした意思決定を行ったのであれば(教委の)実名?を出されて何が問題なのかよくわからない,というところはありますが,何でもかんでも政府の決定っていう方向で推し進めていくことはやっぱり問題でしょうねぇ。まあ一党で第一院の2/3以上を持ってるんだから,閣議決定じゃなくて国会で議決すればいいのに,と思わないでもないですが,その辺はやっぱり文教族(ってまだいるのか!?)と合意が取れてない,ということになるのでしょうか。たぶん,なかなか面白い議論だと思われるのは最後の段で,「政府」「地方」が別の意思決定主体として現れているところではないでしょうか。特に分権一括法以降は,こういう解釈は可能といえば可能だとは思っていたのですが,さらに興味深いことに「国会を通過した法令」では地方に規制をかけるのはあり,ということになっているところ。この理解だと,三権の「行政」は中央政府を意味していて,「立法」は中央政府−地方政府を通じた「国」のことを意味している,ということになるのでしょうか。たぶんこのあたりはキチンと整理されてないし,そんなに不思議な理解ではないと思いますが,同時に日本は(政党が代表する)議院内閣制の国である,ということを考えると,やっぱりどうかなぁ,というところがあるわけで。ここは「現実と整合的に」整理をかけないといけないんでしょうか。それは結構難しい気がするんですが。