統一地方選挙

最近(ようやく?),相乗り選挙関係の文献を探して読んでるのですが,やっぱり意外と少ない。ていうか,どうもこの概念が使う人によって違うらしい,ということがようやくわかってきた。僕なんかは,二大政党(があれば)の両方が乗っかることを相乗りというと考えてたわけですが,特にちょっと前の議論だと,必ずしもそれだけではなくて,例えば社会党公明党共産党が一致して知事候補を支援する場合もそういう風に言ってたわけで(創共協定とか,社会党が「扇の要」と呼ばれたりするらしい)。
地方選挙の枠内で相乗りの議論がなされるとき,たいてい統一地方選挙との絡みが出てくるのも興味深い。いや,原則として「統一的に」選挙するわけだから,まあ当たり前といえば当たり前なのですが。しかし相乗りは統一地方選挙があることによってねじれを生み出すことになる。つまり,一方で相乗りしているのに,もう一方では全く対立的に対決する,という感じ。少なくとも「保革」の枠組みでこういう現象がはっきりと見られはじめたのはどうやら1979年ころ(東京→対決,大阪→相乗り)らしいわけで,ここからまあ完全に革新の「退潮」が始まり,冷戦崩壊とともに一部の政党はほとんど存在意義を失っていく,ということになるんだろう。
統一地方選挙というのは,Roddenが言うElectoral Externalityを生み出しやすい制度であると考えられる(id:sunaharay:20070312)。全国でいっせいにやるわけだから,準国政選挙としての位置づけが与えられやすいし(実際与えられている),特に亥年には参議院選挙もあって統一地方選挙で対立ムードを煽りやすい。その意味で,地方選挙と国政選挙にリンクがあるというのはそれほど変な話じゃないと思う。でも,じゃあ地方政党が中央でのパーティーラベルを維持するような行動をとるか,っていうとうーん,どうだかなぁ,とは思ってしまう。それはやっぱり地方政府での行動を決める大本が知事にあって,知事のほうは小選挙区だから結局のところ中位投票者を見てしまう,というところがあるのかもしれない。そう考えるとやっぱり相乗りっていう行動はそれはそれでわかるような気はするけど…。
どっちかというと,そういう行動が可能になったこと自体がなかなか興味深い話かもしれない。その背景には中選挙区の国政・地方議会によって多党制的な政党システムがあって,扇の要になるような政党が存在したことは無視できないだろう。若干消化不良気味だけど,そうすると,日本の地方政府の政策が一時期非常に似通っていたのは,中央政府が非常に集権的だから,という理由だけとは限らないかもしれない。地域間でそもそも選好が均質的で,そこで知事が中位投票者の支持を受けるような政策をやってれば,集権的じゃなくったって政策は似てくるわけだし。まあもうちょっとゆっくり考えないといけない問題でしょうが。