広域行政

ちょっと前から佐藤俊一[2006]『日本広域行政の研究』を読む。しかしチョコチョコ読んでいてもどうしても頭に入らない…。一週間くらい少しずつ読んでいたものの,埒が明かないので時間を使ってまとめて読んでみる。

日本広域行政の研究―理論・歴史・実態

日本広域行政の研究―理論・歴史・実態

議論を単純にまとめると,戦前日本で確立したいわゆる<内務省−府県体制>とそれに続く<自治省−府県体制>に対して,広域行政を重視する立場から様々なチャレンジがなされるものの,それがことごとく失敗していく様子を歴史的に跡付けているもの,とでもいうべきか。筆者自身のまとめとは異なるが,本書によってが析出される戦前から戦後のある時期(筆者によると第二次行革審頃)までの制度改革の重要なモメントは,典型的には首長の公選制のような地方自治体の「民主化」(=分権化)と,内務省自治省の上位にある「内閣」の指導力強化にあるのではないかと思われる。民主化の要請に応じて首長の公選や市町村の優先といった動きによって「分権」が進められる一方で,特に地域開発(戦前では戦争準備)などにおいては府県では所掌範囲が狭いためにより広域の政府が必要とされるという事態が出現するわけだが,このときに延々と問題となってくるのが「府県」というものの存在であることを,この本は極めて端的に表しているといえるのではないだろうか。「府県」というのはなかなか切ない存在で,戦前に内務省の総合出先機関として存在していた時期からその総合性ゆえに高度化する専門事務には耐えられないという綻びが生じ始め(このあたりは市川喜崇先生の博士論文に詳しい),戦後になると同じく「完全自治体」となった市町村との差異を探すのに苦労する一方で特に地域開発のための機関としては領域が狭いという批判を受け続ける。しかし,現実にはそれでも府県が廃止されることはなかったわけで,それは,府県が出先機関として始まったことに起因すると考えられる。
出先機関として始まった府県の制度については,戦前には民主化への志向から「公選」の導入が大きな論点となる。府県が単に出先機関であるならば,それを広域化するためには中央政府のほうで出先機関を統合すればいいわけだが,「公選」による民主化がひとつのテーマになっているわけだからそう簡単にはいかない。府県を「公選」にするならもう一層上に広域の(総合)出先機関を作るか?という話もでるものの,それもどうも上手くいかない。戦前はこのような議論が行われた挙句,地方行政協議会→地方統監府という緩やかな統合が行われるにとどもあり,しかもそれはたいして実効性もない組織として府県の分立制は温存されることになる。そして戦後改革を迎えると府県の知事は市町村長とともに公選制となり,戦前から求められていた「公選」という民主化は一応達成される。
しかし,「公選」になるとさらなる広域化は難しくなる。特に地域開発を求める経済界からは府県よりも広域の政府を創設することを求められるものの,中央政府としては都道府県合併を行って公選知事が広域政府(仮に道州)の責任者になることは認めがたいところがあるし,さりとて中央政府出先機関として既に中途半端な大きさとされている府県の上に屋上屋を重ねるような広域政府を作ったり,府県を廃止して出先機関としての広域政府を作るのは難しいという政治状況は続く。府県を廃止して広域の出先機関としての「地方庁」を作る第四次地制調の答申は結局生かされないし,府県を維持して同じような広域の出先機関としての「地方庁」を構想した第一臨調も結局は立ち消えてしまう。その後も首都圏庁案や府県連合・合併案が出るもののお流れになったり,自治省が対置して制度化した地方行政連絡会議や地方開発事業団のような制度も妥協の産物として機能を発揮できない状態に陥ってしまう。
府県より上位の広域政府を創設する動きが一段落してからは,主に市町村を超える広域行政のニーズに対して市町村の連合や一部事務組合の制度が作られてきたわけですが,筆者が指摘する興味深いターニングポイントは第二次行革審頃からの「地方分権の流れ」による事務権限の移譲という動き。筆者によると,特に市町村へと事務権限を移譲しようとする動きは「受け皿」としての市町村の広域化を促し始め,これまで集権化と結びつきやすかった広域行政の議論が,ここで分権化と結びついたという。事務権限の移譲によって市町村が広域化することで,府県が空洞化し,さらに国からの権限移譲と相俟って今度は都道府県の広域化という議論につながっていく,という話はなかなか興味深い。そして,これ以降の分権化の過程においては,一度「受け皿論」が棚上げされて市町村合併よりも先に権限移譲を進めるということで地方分権推進委員会の議論がスタートし,機関委任事務の廃止を軸とした国から地方への権限移譲を進める一方で,結局市町村合併も同時並行的に行うことになったのは記憶に新しい。そしてある程度市町村合併が進んだ現在では府県の空洞化は進行しつつあり,まさに国からの権限移譲と相俟って道州制の議論が行われている,というところに繋がってくる。
個人的には行政史の議論は結構好きでよく読むほうだと思うのですが,これは知らない議論も多くて非常に興味深い本でした(読むの大変だったけど)。惜しむらくは(筆者も書いていますが)最後の方はちょっと本のはじめの方で設定した軸が消えてしまったことでしょうか。制度の細かい話が多いので,やはり軸がないとちょっと読みにくいところが出てきてしまうのは残念。でもその辺も含めて行政史のような方法で博士論文を書く人にとっても参考になるところはあるのではないかなぁ,と(なかなかここまで資料を集めるのも大変でしょうが…)。
最後に,筆者は事務の広域化に対して「合併」という手法のみで対応することには疑問を呈しています。現存の地方自治体の自主性を前提とした上で,広域行政需要に対処する手法を選択するということ,特に事務組合のような組織的協力方式に対して,期間の共同設置・事務の委託・職員の派遣のような機能的協力方式も再考すべきではないかという主張がなされています。この主張は尤もだと思うのですが,日本ではどうも自治体間の水平的連携というのは上手くいかない。この点について筆者は次のように分析しています。この分析が必ずしも正しいか(というか検証可能か)どうかはわかりませんが,今後の地方分権改革で自治体間の水平的連携が問題になる場面も出てくる可能性は高いと思われますので,最後にちょっとメモ。

わが国の自治体が一般に水平的な連携・協力関係の構築に消極的だとされる理由を総括しよう。まずは,戦後の中央・地方関係である。戦後,市町村とともに府県も建前上,完全自治体化され,自己完結型の自治(体)観を定着させた。にもかかわらず,その自律性が,即ち政策(意思)決定権が,行財政構造的にかなり制約されてきた。言い換えれば,戦前来の集権的構造の存続下に置かれたことである。次は,その下での自治体と住民の関係である。一方で住民にも伝統的な農村(ムラ)型社会に見られる地域割拠性,すなわち郷土愛国主義(オラが町・村優先主義)が戦後においても存続したことである。そのことは集権的構造の下でいわゆる地域エゴという形態をとり自治体にも水平的な連携・協力よりも国・府県による支援・解決などを求める垂直的な関係の強化を第一義化させる。他方,府県・市町村とも完全自治体化され,住民にも自己完結型の自治(体)観が浸透・定着した。にもかかわらず,住民には,水平的な連携・協力のため新たな行政システムを選択・開発したり,実験したりするそれなりの自由が与えられてこなかったのである。言いかえれば,広域行政の手法・手段の制度化も中央の画一的な規制のもとに置かれてきたことである。(p.259)