よくわからない

年末に入って,薬害肝炎の問題が連日メディアで取り上げられているものの,「一律救済」の意味がよくわからない。報道されるときにはなるべく注意深く聞くようにしているのだけれども,何をもって「一律」と呼ぶのかについて,どのくらい共通理解が存在しているのだろうか。というわけで,ちょっとだけ調べてみたことをメモ。
まず弁護団の提言を見ると,おそらく「血液製剤による肝炎患者(製薬会社推計で1万人)」が一律救済の対象であって,今回の「原告(160人)」の救済だけではダメだ,ということではないかと思ったりするのですが,そのすぐしたにはウィルス性の慢性肝炎の患者数が60万人存在して,その患者のための治療費自己負担分(年間?80万円)を政府が出すべきだ,という提言があります。どうやら,とりあえず僕が躓いているのは,「一律救済」の対象が,「血液製剤による肝炎患者」なのか,それとも慢性肝炎の患者全体なのか,というところなのではないかと思うのですが,今回総理が発言した「一律救済」とはどちらのことを言っているのか,また,原告・弁護団が求めている「一律救済」がどちらのことなのかは未だによくわかりません。
たまに新聞報道などで,(100万人とも言われる)慢性患者全体を救済するためには数兆円単位のお金がかかるから難しい,という話が出ているのですが,弁護団は,80万円×60万人=4800億円の医療費で,肝癌患者が減少する効果として3兆円の医療費削減効果がある,という主張もしています。しかしこれは,年間の話(4800億)と累積的な話(数兆円単位),それから100万人当たりの話(3兆円)の話が混在していてちょっと俄かにはなんともいえない。さらに,この主張は,恒久対策・インターフェロン(IFN)療法に対する助成要求として出されていて,この要求が採用されることが「一律救済」を意味するのかということはやっぱりよくわからない。
どこでねじれているのか,ということは僕のような俄か勉強には正直言って全くよくわからないのですが,12月20日の舛添大臣記者会見概要を見ると,国はとにかく裁判と大阪高裁の和解案を基礎に考えて,原告(今後増えることも含めて1000人程度)のうち,7割について「直接的な救済」,残りの3割について「関節的な救済」をするという案を提示している。

和解骨子案の提示後、輸血等による別の原因による感染者を除いて、本件の薬害被害者を救済する必要があると考え、検討してまいりました。しかしながら、大阪高裁の和解骨子案と矛盾する内容での和解をすることはできないと考えております。そのような前提の上に、最大限皆様を救済する案を考え、原告側は原告総数1,000人程度、内訳は、既に提訴をなさっている方々が約200人、新たに提訴される見込みの方々が約800人程度と述べていらっしゃることを考慮いたしまして、その全てを対象とする案として、うち7割は大阪高裁和解骨子案の基準のとおり、直接の支払いを受け、その他の約3割は大阪高裁和解骨子案に言う財団、この中身でございますが、骨子案の8億円を30億円に増額いたします。これを通じて、間接的な救済を受ける案を提案することにいたしました。これにより直接または間接に、事実上全員救済するもので、大阪高裁の和解骨子案の目指す解決につながるものであると考えております。

さらに,記者会見録を読む限りでは,この「直接的な救済」を受ける7割の方というのは東京地裁で示された判決に基づいて国の責任によって損害賠償を受けるものであり,残りの3割の方への救済は名目はまだ決まってないけど損害賠償とは言わない,というような感じでしょうか。このときに記者が「線引き」の話を出しているのですが,ここでは「7割」と「3割」の線引きについて聞いているようです。だとすると,「一律救済」というのはこの原告(1000人)に対して同様に責任を認めて(「一律」)救済する,ということになるのでしょうか。しかし,朝日のこの記事を見ると原告の代表が,「薬害被害者全員が平等に救済されることを願っているだけ。わがままで和解案を拒否しているわけではない」,あるいは「原告だけが救われる和解案をのむことは絶対にできない。国民の声が届くか、国民の声が無視されるのか、です」と述べていてさらに混乱します。こちらの方は「現在の原告」の話をしているだけなのかどうなのか…。
この話を少し調べていて,結構強烈に既視感を感じるのは,去年勉強した水俣病の話と似てるからなのかなぁ,と思います。水俣病の場合にも,どこで患者認定の線を引くのかというのが極めて大きな問題になり,現在まで続いているわけです。ただし,水俣病と確実に違うのは,この薬害の場合には,汚染された血液製剤の投与という曝露条件を持って肝炎を発症した曝露有症者が存在するという因果関係が既に確定していることではないかと思われます。曝露条件が定義しやすいからこそ「一律」っていう主張も成り立ちやすいと思うわけで。そう考えれば食中毒(食品公害)と似た事件として扱って,一義的には曝露条件を確定したうえで,曝露有症者を救済するという対応が望ましいと考えられます。もちろん,財政資源の制約が厳しいので,どこまで対応するか,という問題が次に出てくるわけですが。
整理しているうちに少し思うことは,話をややこしくしているのは,救済を(曝露条件ではなく)責任と対応させているところにあるのではないか,ということです。厚生労働大臣の提案は,おそらく実質的に曝露条件に対応した救済を行うという意味で「一律救済」がなされる,という意味で評価されるべきだと思うのですが*1,原告・弁護団それからマスコミはこの1000人?についての責任を一律に認めて救済するべきだ,としているように思われます。しかし,国の責任を一律に求めることは,おそらく却って責任の所在を曖昧にすることにつながるのではないか,と危惧されます。なぜなら,報道などを見る限り(例えばこちらをどうぞ),一律に責任を求めるということは,まだ原因物質の危険性が専門家にとっても十分に認識できていなかった時期の薬剤使用についても責任を求めるということになり,「危険性が承知されていたのに使用を禁止しなかった」という事実が存在するのかどうか,という最も重要な責任を問う作業をおろそかにしてしまう可能性があるのではないかと思うからです。もし厚生省(当時)が危険性をそもそも認識できなかった(だから責任がない),という結論が出れば,そもそもするべきだと期待されている仕事ができていない組織だ(だから改善すべきだ),という話になるでしょうし,「危険性が承知されていたのに使用を禁止しなかった」という事実が存在するならその責任の所在をキチンと確定する,という作業は,救済と切り離して行われるべきだと思ったりするわけです。そもそも危険な薬剤を存在させたこと自体が悪い,ということになると,公的機関の無謬性を前提にして,その無謬性だけが無闇に磨り減っていくという救いがたい事態になることが予想されるので,公的機関も誤謬を犯しうることを前提に,どこで誤謬を犯したかを確定していく作業こそが必要だと思うのですが。

医学者は公害事件で何をしてきたのか

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*1:これは現時点で曝露有症者が1000人程度で確定できる,という前提を置いてですが。