Rising Tide vs. Fiscal Hawks

前著,『官邸主導』が非常に評判がよかった(と思うのですが…)日経論説委員の清水氏の新刊,『経済財政戦記』を読む。前著が橋本行革の成果を踏まえて自民党(特に)政調会と官邸という二つの権力<双頭の鷲>が、政策決定過程においてどのように影響力を及ぼしており、また相互に影響しあっているかを、非常に理論的に議論するものであったのと比べると,今回は2005年9月11日の総選挙から,小泉総理最後の骨太方針である骨太2006の策定過程,そして安倍新政権が始動する2007年1月ころまでの詳細なルポルタージュという性格が強いと思う。筆者はウェブサイトに月一でNIKKEI EYE プロの視点「首相官邸コンフィデンシャル」を連載していて,ある程度これをベースにしているところもあるみたいなので,ルポ的な性格が強まるのではないかと思うが,それにしても深掘りした取材と説得的な構成はさすが。またしばらく政治学の議論を規定してしまう…かどうかはわからないが,少なくとも今後の議論の前提となる本なのではないかと思う。
基本的な議論としては,9月11日の衆議院議員総選挙から小泉総理が影響力をさらに進めていく中で,経済財政担当相が竹中大臣から与謝野大臣に代わり,それが政策決定過程にどのような変化をもたらすことになったか,という問題について,いわゆる成長率−金利論争から歳出・歳入一体改革までの経済財政諮問会議の議論を注意深く追いかけることで説明している。特に成長率−金利論争は,個人的にはなんだかよくわかんないところで議論になってるなぁ,と思いつつその後をフォローしていなかったので,当時の議論と現在の議論の接続を示されるととても興味深い。

経済財政戦記―官邸主導小泉から安倍へ

経済財政戦記―官邸主導小泉から安倍へ

官邸主導―小泉純一郎の革命

官邸主導―小泉純一郎の革命

議論のポイントは,いかにして破滅的なまでに債務が積みあがった日本の財政を健全化させるかというところにある。当初の成長率−金利論争は,財政健全化のシナリオを巡る議論であり,成長率を長期金利よりも高く見積もる路線(竹中・中川)と,長期金利を成長率よりも高く見積もる路線(与謝野・谷垣)という二つの路線の違いは,歳出削減あるいは増税によって将来的に賄うべき必要額(要対応額)に違いをもたらす。つまり,前者が主張するように,成長率が持続的に長期金利よりも高ければ要対応額が小さくなるのに対して,後者の主張に沿ってシナリオを作れば要対応額が大きくなり,結果として相対的に大きい規模の増税が予定されることになる。この時点での対立は実はあまりかみ合っていないのかもしれない。つまり,前者は増税の議論を避けることを優先して楽観的なシナリオを描くのに対して,後者は堅実なシナリオをベースにして増税やむなし,とするところがある。短期ではなく中長期のシナリオを考えてしまったときにはやっぱり堅実なシナリオを前提にすべきでしょ…と思うところで,諮問会議でも当初は堅実なシナリオをベースにした議論が優勢であったように思われる。しかし,前者の陣営はシナリオの性格を巧く変えることによって次第に路線闘争で優位に立っていく。それは「成長戦略」を強調することで,成長率が(実質上)長期金利を上回るようなかたちで財政運営を行われることをめざす,というものであり,ここで経済産業省が主導する成長戦略が重要になってくるところがとても興味深い。これまで「一流官庁」とされて,特に橋本行革では重要な役割を果たしたものの,小泉政権になってからは優秀な若手が官邸に一本釣りされることは多くても*1,随分影が薄かった経済産業省が活躍の機会を与えられることになるわけで。経産省が中心になった成長戦略,つまり政府・与党一体の「経済成長戦略大綱」をまとめることで,もともとの竹中・中川路線が「上げ潮派」として構成され,増税を最小限度に抑える方針が確立される,ということになったと。そういえば某研究所に非常勤で居た当時,興味本位でMankiewの"Deficit Gamble"を流し読みしたな,とか,Alesina and Perrottiの論文を上司にいくつか紹介したっけ,なんてことを思い出しつつ,それらの議論にどういう政治的な含意があったのかを少しだけでも垣間見ることができたのは個人的にも結構面白かったなあ,と。
政治学者が興味を持つのはむしろその後かもしれない。成長戦略大綱によって要対応額が一定程度削減できた中で,増税(特に消費税増税)を好まない中川政調会長を中心とした自民党政調会が,おそらく史上初めて政調会主導で歳出削減に取り組んだ,ということが指摘されている。*2これまでは例えば諮問会議が歳出削減を厳命するのに対して自民党は官僚と結んで抵抗してきた,とされているわけですが,今度は官僚に行く前に自民党自らが歳出削減の案を出すことになる。これはなかなか興味深いところで,これまではプリンシパルである首相がエイジェントである官僚に対して指示を出しているのに対して,(プリンシパルを構成するはずの)自民党族議員が官僚と一緒になってその指示の履行をサボることがしばしば強調されてきた(スラックの発生)。それに対して骨太2006のように政調会自らが歳出削減の案を出している場合には,エイジェントである官僚が抵抗しようとしても,既に案に縛られている自民党のほうは一緒になって抵抗することは難しくなる。そう考えれば,骨太2006の政治プロセスは,ある意味でそれ以前の小泉政権における諮問会議強行突破型のプロセスが革命的であったのと同様に革命的であるのかもしれない。安倍政権に引き継がれたあと,自民党政調会が骨太2006のときと同じように動いているという話はほとんど聞かないので(よく考えたら政調会長の苗字は同じだが),過渡期においてはこのプロセスがとても属人的な要素が強いということが予想される。
…とはいえ,骨太2006で出されているのは実は2010年代初頭までの財政運営の在り方であるわけで,自民党がその骨太にコミットし続けることができるかどうかは微妙になる。そして中長期的な小泉政権からの「引継ぎ」という性格が強い骨太2006は,他の政策決定プロセスと異なるかもしれず,骨太2006における政治プロセスの特徴を評価するのはまだ早いのかもしれない。それに骨太2006でコミットしたこと自体は評価されるべきだと思うけども,今度の骨太2007では逆に公共事業の削減目標の数値は落ちてしまったりしているわけで,最近長期金利がそろりそろりと上がっているのは骨太2006でのコミットメントが必ずしも信頼されないことが織り込まれているのかも,何て思ってみたりして。

*1:清水によると,経産省は「人材派遣業か」というボヤキもあるらしい

*2:なお,この段階では税について自民党税調にほぼ「丸投げ」されていて,中長期的な要対応額から必要な増税額が導き出されるというよりも,税の論理において新規増税が提案される性格が強くなっているという指摘がある。