限界的財政責任?

地方税は使用料みたいなもんで,受益と負担を一致させるべきだ,という議論がよくあります。大まかに言うと,中央政府−地方政府のレベルごとに支出機能を割り当てて,さらにそれに見合った収入が取れる税源を地方政府に割り当てることで,地方政府レベルでの受益と負担を一致させるような考え方を,Fiscal Federalismというわけですが,日本やイギリスのような単一国家では必ずしもFiscal Federalismが想定するような制度設計にはなっていません。それはもちろん,歴史的な経緯path dependencyもありますが,やはり単一国家では国全体で均一な公共サービスを志向する傾向を持つことが多く,地方政府は中央政府が定めたレベルの公共サービスを提供することが求められているからで,それに見合った収入が垂直的な財政移転によって(ある程度)保障され,移転財源も含めた税財源によって公共サービスのための支出を行うと考えられるからです。
じゃあ単一国家の地方政府での受益と負担は一致しなくてもいいのか?というと,必ずしもそうではありません。中央政府が定めたサービス以上のサービスを提供するときには,地方政府が自らの課税ベースから独自の税収を確保し,追加的なサービスのための原資とすることが考えられます。で,これが「限界的な」財政責任として理解されることになります。
と,単にいまそれ絡みの論文を準備してるから書いただけなんで(あ,そういえば森林税自体の話もあった…),前置きはいいんですが。

高知県は16日、2007年度末で期限切れとなる森林環境税について、82%の県民が継続に賛成の立場を示しているとのアンケート結果を発表した。県はアンケート結果などを参考に継続の可否を判断し、継続する場合は、早ければ9月県議会に条例改正案を提出する方針。
1月16日 時事通信

使途を明らかにして地方政府が住民から税金を徴収し,それを住民のためのサービスに充てる(高知県の)森林環境税は,まさに限界的に受益と負担を一致させる税だと考えられます。たぶん高知県の場合は森林整備して恩恵をこうむる「下流」は自分の県しかない(あとは流れて太平洋)なので,外部効果もたぶん少なく,税金の取り方としては筋がいいのではないかと。しかし税金を取られることに80%以上が賛成する,というのはなかなか興味深い。もちろん,この森林環境税が,「個人・法人県民税に年額500円を上乗せ」する小額のものでありかつ,この調査が「無作為抽出した県民4100人余りを対象に実施し、896人から回答を得」たもので,「回答率が22.2%」の調査であるためにどちらかというと「意識の高い」人たちが回答したと考えられうとはいえ,結構なもんだなぁ,と思うわけです。まあこの次のコメントはご愛嬌なような気がしますが。

負担額については、6割を超える人が現行の500円が妥当と回答。企業の負担は、「企業規模に応じた負担とすべきだ」(60.3%)との意見が多く、法人県民税均等割の3%か5%が適当との見方が全体の7割超に上った。

税金の話をみていると,「住民」は自分から税をとられることを常に嫌がるような存在として設定されがちで(僕自身そういう設定を置きがち),地方分権一括法の施行後にいろんなところで提案された法定外税も同様に住民からはなるべく税を取らないという若干歪んだ税のとり方をするものが多い中で,この森林環境税は小額とはいえ(高知県全体での税収見込みは1〜2億円くらいで,予算規模が3000億程度(一般会計)なので全体に占める割合は非常に小さいわけですが),使途をはっきりさせてそれなりの議論を踏まえた上で税金をとることにすれば住民の納得を得ることができるんだ,ということを示すもんではないかと。しかしこれはどのくらい成果がモニタリングされてるんだろうか。「環境」という響きでなんとなくいいことをしてるだろうからっていうのも少しはあるような気がするけど。あるいは,そこを超えたら急に住民の反対が増えるような税額の閾値みたいなものってあるのかなぁ。