選挙の経済学

まわりのいろいろなところで話題になってる(?)気がする本。前に英語で読み始めたものの,あんまり面白くないと思ってはじめの方でやめたけど,日本語で読んでみるとなかなか発見が多くて面白かった。このくらいの本はまじめに英語で読むより電車の中で読める日本語の方が正直うれしい。まあ僕にとっては,あまりに微妙なタイミングで購入した本,という記憶に残りそうな気がするが。

選挙の経済学

選挙の経済学

ロジックとしてはややわかりにくい気もするが,微妙に複雑な構成になっていると思われる。まず前提として,民主主義という制度は,有権者の選好を(それなりに?)反映する制度である,ということ。この辺は著者もしばしば引用しているRonald Witmanの議論とも絡む。で,それを前提としつつ著者がいうのは,民主主義によって反映される有権者の選好について,有権者が理論の想定するほど「合理的」ではない,つまり,系統的な様々な非合理的であるバイアス(特に反市場バイアス・反外国バイアス・雇用創出バイアス・悲観的バイアス)をもつために,有権者の選好が反映されると,ゆがんだ政策が実現されるということ。どちらかというと政治学者は変な選好(というか特殊利益)が反映されてしまう話ばっかり分析する傾向があると思われるので,論旨自体には特に驚きがないというか,いまいちうまく面白いところがつかめなかったというのが以前の挫折の原因かも。
あと,英語版でそこまで読んでいなかったところで面白かったのは,Caplanの中では「非合理性」というのはある種の財として位置づけられていること。行動経済学だとそういう扱いは普通なのかもしれないが,政治学ではもちろんほとんどみることが無いので勉強になる。とはいえ,まあ政治学者で(特に実証やる人で)そこまで厳密に代表的個人の利己的な行動というだけで議論する人もいないだろうから,政治学の議論として参考になるのは,投票が「表出的expressive」な行動であるってところかなぁという気がする。似たような話としては,だいぶん前にさらっと読んだSchuessler[2000]があったと思うけど,他はまだあんまり読んだことないし。結局のところ,「非合理性」(あるいはその表出)が何によって水路付けられるのかというのを明らかにするのが政治学の仕事かもしれない(どんなひとが「合理的な非合理性」をもちやすいのか,とか)。例えば中選挙区小選挙区という水路付けがあると,同じ有権者の集合でも結果が変わってくる可能性があることを考えると,そもそも「合理的」に議員を選ぶということ自体の意味がよくわからなくなってくる。たぶん僕なんかが言ってるのは,「その地域の有権者たちが合理的に(「合理的な非合理性」を含めて)行動した結果として,ある種の利益を志向する議員が選出される」ということだと思われる。まあただそれってミクロレベルでの合理性/非合理性とは別だよな。でもまあ特に中選挙区制MMD/SNTV)の選挙制度などでは非合理もくそもある票を入れることが自分の利益だと信じていることが重要なのかもしれないし,そういう表出的な行動こそが特殊利益の代表者を勝たせて結果的に一部の有権者の利益を満たすかもしれない(言い換えると,有権者のタイプによっていずれにしても自己拘束的に結果が生み出されるというか)。
A Logic of Expressive Choice

A Logic of Expressive Choice