まわりのいろいろなところで話題になってる(?)気がする本。前に英語で読み始めたものの,あんまり面白くないと思ってはじめの方でやめたけど,日本語で読んでみるとなかなか発見が多くて面白かった。このくらいの本はまじめに英語で読むより電車の中で読める日本語の方が正直うれしい。まあ僕にとっては,あまりに微妙なタイミングで購入した本,という記憶に残りそうな気がするが。
- 作者: ブライアン・カプラン,奥井克美,長峯純一
- 出版社/メーカー: 日経BP社
- 発売日: 2009/06/25
- メディア: 単行本
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あと,英語版でそこまで読んでいなかったところで面白かったのは,Caplanの中では「非合理性」というのはある種の財として位置づけられていること。行動経済学だとそういう扱いは普通なのかもしれないが,政治学ではもちろんほとんどみることが無いので勉強になる。とはいえ,まあ政治学者で(特に実証やる人で)そこまで厳密に代表的個人の利己的な行動というだけで議論する人もいないだろうから,政治学の議論として参考になるのは,投票が「表出的expressive」な行動であるってところかなぁという気がする。似たような話としては,だいぶん前にさらっと読んだSchuessler[2000]があったと思うけど,他はまだあんまり読んだことないし。結局のところ,「非合理性」(あるいはその表出)が何によって水路付けられるのかというのを明らかにするのが政治学の仕事かもしれない(どんなひとが「合理的な非合理性」をもちやすいのか,とか)。例えば中選挙区と小選挙区という水路付けがあると,同じ有権者の集合でも結果が変わってくる可能性があることを考えると,そもそも「合理的」に議員を選ぶということ自体の意味がよくわからなくなってくる。たぶん僕なんかが言ってるのは,「その地域の有権者たちが合理的に(「合理的な非合理性」を含めて)行動した結果として,ある種の利益を志向する議員が選出される」ということだと思われる。まあただそれってミクロレベルでの合理性/非合理性とは別だよな。でもまあ特に中選挙区制(MMD/SNTV)の選挙制度などでは非合理もくそもある票を入れることが自分の利益だと信じていることが重要なのかもしれないし,そういう表出的な行動こそが特殊利益の代表者を勝たせて結果的に一部の有権者の利益を満たすかもしれない(言い換えると,有権者のタイプによっていずれにしても自己拘束的に結果が生み出されるというか)。
- 作者: Alexander A. Schuessler
- 出版社/メーカー: Princeton Univ Pr
- 発売日: 2000/11/15
- メディア: ペーパーバック
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