最近のいただきもの

なかなかご紹介できてなかったのですが、いろいろとご著書を頂いておりました。

ちょっと前になりますが、坂井豊貴先生からは『暗号通貨 vs. 国家』を頂いておりました。個人的にも暗号通貨に興味を持っていたところがあり非常に興味深く読みました。ごく最近(中央公論10月号)も坂井先生のインタビューでそういう感じが出てましたが、暗号通貨を単に資産としてとらえるのではなくて、人と人を結びつけるツール、ある種の世界観の表現、としてとらえるのが坂井先生の分析の特徴でありかつ魅力ではないかと思います。「儲かりますよ」といわれるよりむしろこういうアプローチのほうが魅力的、という気分がして、僕もちょっと触ってみようかなあと思わせるところがありました(まだですが…)。 

暗号通貨VS.国家 ビットコインは終わらない (SB新書)

暗号通貨VS.国家 ビットコインは終わらない (SB新書)

 

中北浩爾先生には『自公政権とは何か』を頂いておりました。ありがとうございます。『自民党政治の変容』(NHKブックス)『自民党』(中公新書)に続く三部作という位置づけで、この20年続く自公政権についての詳細な分析が行われています。連立政権についての理論を紹介しながら、自公政権形成と発展の歴史、政策調整のやり方、選挙協力について論じていくという感じで、新書ではありながらかなり詳細に論じられています(そして厚い!)。やはり連立政権でもあった民主党政権がなぜ失敗したのか、ということを自公政権との対比というかたちで描いていて、連合が求められている現在の野党が自公政権からどのようなことを学ぶべきか、という議論も実践的な問題関心に対する答えといえるでしょう。

個人的には、地方レベルでの選挙協力はもう少し掘り下げることができるようにも思います。もちろん、選挙制度を考えると自公が競争相手になるというのは間違いないのですが、他方で公明党は常に地方レベルで「与党」であろうとして行動する傾向もあり、単に競争相手になっているだけではない、中選挙区的な「棲み分け」をしていることも考えられます(それが維新とはなかなか難しいわけですが)。そのような研究を展開していくにあたってのヒントも多く含まれている本であるように思います。 

自公政権とは何か (ちくま新書)

自公政権とは何か (ちくま新書)

 

岡本全勝先生から『管理職のオキテ』を頂いておりました。ありがとうございます。主に公務員での管理職を念頭に置いて書かれているもので、基本的に個人営業の私などにはあんまり関係ないような気もしていたのですが、最近大学院生と共著する機会が増えてきて、実は「管理職的な」仕事もあるんだなあという気がしていたところです。いやもちろん 直接当てはまるのかわかりませんが、ちょこちょこと参考にさせていただいております…。 

明るい公務員講座 管理職のオキテ

明るい公務員講座 管理職のオキテ

 

土倉莞爾先生からは『ポピュリズムの現代』を頂いておりました。ありがとうございます。フランスにおけるポピュリズムに注目して書かれた論文を中心に、イギリスのブレグジット、日本の大阪都構想についてもポピュリズムという関心から書かれた論文をまとめられたものになっています。政治文化に注目して、選挙や政策の帰結を解釈していくというような方法で説明が行われています。しばしばなされていますが、ポピュリズムという概念を使うことで、有権者の行動が間違っているとか愚かであるとかそういう暗黙の決めつけをしてしまっていないか、という批判があります。本書では、そんな批判を受け止めながら、それでもポピュリズムという広い意味での文化的な概念を使って分析すべきだ、という意思のようなものを感じるところもありました。もちろん、簡単ではないですし、最終的には読み手の判断、ということになるのでしょうが。 

ポピュリズムの現代 ー比較政治学的考察ー

ポピュリズムの現代 ー比較政治学的考察ー

 

 金井利之先生からは、『自治体議会の取扱説明書』を頂きました。ありがとうございます。多くは『議員ナビ』という媒体に執筆されていたものを再構成してまとめられたものということです。地方議会・議員に対してなかなか厳しい見方が展開されていますが、それは住民が自分たちの代表を「使いこなす」ために何を考えないといけないか、という観点から議論がされているということだと思います。私などはどうしても制度に注目していろいろ考えがちですが、本書の第三部での「人間としての議員」に注目して議論を展開されているのを興味深く読みました。最後に書かれているように、金井先生の観察に基づく規範論、ということだと思うのですが、この規範がどのくらい妥当するのかについて、他の規範的な立場からの議論や実証的な議論が出てきてやり取りが生まれると面白いようにも思います。 

自治体議会の取扱説明書―住民の代表として議会に向き合うために―
 

吉富有治さんからは『緊急検証 大阪市がなくなる』を頂きました。ありがとうございます。吉富さんは,大阪維新の会の結成よりずっと前,大阪市の職員厚遇問題などが発覚するころからずっと大阪の状況について取材されてきたジャーナリストです。4月に行われた統一地方選挙――大阪クロス選挙――についてのエッセイを中心に対談を交えたかたちのものを出版されています。維新に対して批判的なスタンスではありますが,何でもかんでも悪いという感じではなく,なぜ強くなっているのかをきちんと探ろう,どうやったら対抗勢力ができるんだろうか,というようなスタンスで書かれているように思います。 

緊急検証 大阪市がなくなる

緊急検証 大阪市がなくなる

 

松宮貴之先生から『書と思想』を頂きました。ありがとうございます。この本では,同じ時期の日本と中国における「書」を並べつつ,そこから背景にある共通の思想や発想法について探っていく,という非常にユニークな方法が取られています。初めの方はもちろん中国中心で,人物としては張芝にはじまり三国志にも出てくる鍾繇とか,言わずと知れた王義之(以上が「三賢」)という感じで始まるのですが,次の章では欧陽詢,そして同時代人の聖徳太子光明皇后の書,そして顔真卿の次に最澄空海が並べられていく…というかたちで議論が展開していきます。中華文明が基軸となりながら,当時の共通言語である「書」を扱う,聖徳太子以降のいわばマルチリンガルの日本史上の人物を配置することで,東アジアの文化政治のようなものを描き出す試み,と言えるのかもしれません。率直に言って,私自身はそのような試みについてアカデミックに評価するようなことはできませんが,著名な歴史上の人物を通常の歴史書とは異なるかたちで配置し,日本史・中国史とはおそらく異なる東アジア文化史のようなものを示す本書は個人的にとても面白かったです。 

書と思想 歴史上の人物から見る日中書法文化 (東方選書  51)

書と思想 歴史上の人物から見る日中書法文化 (東方選書 51)

 

『ポスト政治の政治理論』

法政大学の松尾隆佑先生から『ポスト政治の政治理論-ステークホルダー・デモクラシーを編む』を頂きました。どうもありがとうございます。松尾さんとはリアルでは2回くらいしかお会いしたことないと思いますが(間違ってたらごめんなさい),インターネット上の付き合い(?)はもう10年以上になるような気がします。松尾さんはたぶん学部生から院生になるくらいからブログを始めてて,よく話題になってたのを感心しながら眺めていたものでした。このブログであまり絡むことはなかったですが,たぶん唯一のこのエントリは懐かしいですね。ツイッターをやるようになってからも継続的にお仕事を拝見する機会があるわけですが,今回こうやって博士論文としてまとめられたものを見ると,僕なんかでも勝手に感慨を持ったりします*1

帯にもある「影響を受ける人びとこそ政策の決定にかかわるべきだ」というステークホルダー・デモクラシーが主題の本書ですが,その構想が興味深いのはもちろんのこと,経験的な研究とその含意に対する理論的な関心の持ち方,というのを非常に興味深く感じました。まあそれは昔から松尾さんのブログ見たりしてるから,という気もしますが,ステークホルダー・デモクラシーについての完結した理論をまとめようというよりも,経験的な研究の成果の上に立ってそちらからの批判にも開かれた形で構想を提示しよう,というようなある種非常に野心的な試みを考えているような。本書の最後では,「異なる分野や文脈における雑多な議論を寄せ集めたパッチワーク的な立論」のような批判がありうることを書いてましたが,不十分な理解であるにせよ,僕が読ませてもらった感想としては「良いパッチワーク」というよりは,クリアな見通しを与えてくれる質の高いマップだ,という印象です。

特に印象的だったのが第3章で,これは何ていうか,僕自身も別のいくつかのプロジェクトで考えてたこと/考えようとしてたことを,はるかに明晰なかたちで言語化されているものであったように思います。その中核的な問題は,必ずしも直接的に資源を所有しない人の自律性をどう考えるか,というところで,それを新しい社会的リスクや普遍主義的な福祉,そして福祉ガバナンスの制度体系と結び付けて描いているのは非常に興味深い議論でした。詳細は本書を,という感じではありますが,その中で義務と権利の関係をどのように考えるべきか,といった部分はとりわけ刺激的なところだったように思います。

本書で論じられているステークホルダー・デモクラシーの構想については,確かに(地図上の)「位置づけ」はわかる一方で,どう動くかについてはややイメージしにくいなあとは思いました。選挙だけが政治参加でないのは当然で,「評判」の機能などが極めて重要というのも同意するわけですが,たぶん実際そういう機構がないわけじゃなくて,だとするとどういうときにステークホルダー・デモクラシーが機能しうるのか,という作業仮説みたいなものはちょっと欲しかったなあ,とは思ったり。具体的なことをひとつ言うと,制度的なヴィジョンとして,政党の位置づけはもう少し別の議論もできるのではないかという感じもありました。本書でもあるように,他の団体と同じような団体と位置付けられないとすれば何が違うのか,ということを考えないといけないわけですが,そこはやはり様々な領域を架橋するところに求められるのではないかと。ステークホルダー・デモクラシーがさまざまな「ステークホルダー共同体」によって構成されるとすれば,そのマルチレベルの共同体を超えて調整する団体としての政党,みたいな構想もあり得るのかもしれません。国政政党と地方政党が「政党ラベル」を共有してお互いにその価値を毀損しないように行動する,なんていうのはまさにそういう話だと思うし*2

理論的な研究の理解について自分自身での蓄積がないのでよくわからないのですが,これまでのデモクラシーで,社会の多様性・複雑性が増すなかで「共通の利益」についてうまく合意できないことが問題視されてる裏返しとして,ステークホルダー・デモクラシーは「共通の利益」の方から括り出すような試みなのではないか,という直観も持ちました。仮に前者が難しい中で後者の方がやりやすいとしたらなんでだろう,という感想もありますが。僕が研究してる分野でいえば,たとえば自治体の境界を超えて公共交通を考えないといけない時に,公共交通だけを担当するガバナンス機構みたいなものを考える,というような例が当てはまるのかもしれません。そういう機構は選挙で選ぶのか,あるいは誰かが専門家を任命するのか…とか制度設計的にもいろいろ考える余地はありそうです。なんだか色々まとまりませんが,それは上にも書いたように,本書が理論的な完結性よりも読者が考えるためのマップを提供することを志向してるからかなあ,と思ったりしますが,それは単に僕が隣接分野の人間だからかもしれません。そういう意味では専門家がどういう風に本書を読むのかな,というのも興味深いところです。

ポスト政治の政治理論: ステークホルダー・デモクラシーを編む
 

*1:誰も読んでないような某論文も数回引用していただいてありがとうございます。

*2:たとえばHamilton's Paradoxに出てくるドイツでの"political externality"の例 

Hamilton's Paradox: The Promise and Peril of Fiscal Federalism (Cambridge Studies in Comparative Politics)

Hamilton's Paradox: The Promise and Peril of Fiscal Federalism (Cambridge Studies in Comparative Politics)

 

東南アジアにおける地方ガバナンスの計量分析

 晃洋書房から『東南アジアにおける地方ガバナンスの計量分析-タイ,フィリピン,インドネシアの地方エリートサーベイから』という本が出版されました。この中で,私も京都大学の岡本正明先生と共著で「インドネシア地方自治体における政治的リーダーシップ,地方官僚制,及び自治体パフォーマンス」という章を寄稿しています。

何でインドネシアの論文なんて書いてるんだ,と思われるかもしれません。本書のあとがきに結構詳しく書かれていますが*1,このプロジェクト自体は2005年くらいから大阪市立大学の永井史男先生が始められてまして,ちょうど10年ほど前,大阪市立大学に赴任した直後にお誘いを受けて科研に参加したのでした。ブログでもインドネシアの話がちょこちょこ出てきますが(インドネシアの地方自治とかインドネシアの地方自治2とか)それはだいたいこのプロジェクトがらみの話です。科研プロジェクトは,地域研究者(タイ・フィリピン・インドネシア)と政治学者・行政学者・社会学者の邂逅,みたいな感じで行われていて,特定地域について強みを持つ人たちは地域についての情報を整理・提供し,普段別の研究してる人たちはサーベイの手法やら理論研究やらを持ち寄って一緒に考える,というものでした。私は他の仕事が忙しくなったこともあり,2014年くらいからメンバーを外れていますが,プロジェクト自体はとても楽しかったですし,個人的にも学ぶところは非常に多くて,その後にもいろいろ影響を受けているように思います。

論文については,あんまり知らないところの話を,しかもサーベイを使って描くということで大変でしたが共著者の岡本先生に教えられながらなんとか書いた,って感じです。ざっくりですが序章でのまとめにあるように,「グッドガバナンスのような地方政府全体のパフォーマンスを考慮する場合に強力な政治的リーダーシップが重要になる傾向が存在する一方で,公衆衛生や教育のように官僚組織での調整を必要とする分野では官僚の自律性が大きな役割を果たすことが示唆された」ということを書いています。2013年初頭に国際シンポジウムをやったときに一応論文の原型(英語)ができていて,そのあと2015年の政治学会で日本語にしてしゃべったのかな。そのあと在外研究中に先行研究とか理論の部分をかなり変えて英文誌に投稿したものの,一回リジェクトでまあそうだよねー直さないと~と思ったものがそのままになっていたところ,昨年中に日本語の出版という話となって,リジェクトされたときに言われたことを修正して日本語にして出した,という感じです。また英語に戻して投稿するかというとなかなか微妙,ってところですが…。

東南アジアにおける地方ガバナンスの計量分析―タイ,フィリピン,インドネシアの地方エリートサーベイから( (シリーズ転換期の国際政治11)

東南アジアにおける地方ガバナンスの計量分析―タイ,フィリピン,インドネシアの地方エリートサーベイから( (シリーズ転換期の国際政治11)

 

*1:ちなみにこのあとがきはまあ長いんですが,一つのプロジェクトの誕生と展開の歴史,というのが語られていてなかなか面白いものではあります。

最近のいただきもの(教科書・論文集)

なかなかきちんとご紹介ができておりませんでしたが、以下の書籍を頂いておりました。こちらは教科書や論文集になります。論文集はバラバラで出版が難しい、というようなことをよく耳にするのですが、今回ご紹介している論文集の多くは一貫したコンセプトのもとで著者の間での役割分担がきちんとなされているように思います。個々の論文だけではなくまとまった本として、それぞれのテーマにおける重要な貢献といえるのではないでしょうか。

まず、津田塾大学の網谷龍介先生から『戦後民主主義の青写真ーヨーロッパにおける統合とデモクラシー』を頂いておりました。ありがとうございます。専門外の政治学者から興味深いのは、やはり全体をまとめた網谷先生の1章で、現在の体制は個人の自由に基礎づけられる「リベラル・デモクラシー」と考えられるとしても*1、個人の自由という発想がその基礎にあるというよりは、キリスト教の保守的な人格主義や労働者の集団としての同権化要求が組み合わされた複合的なものとして構築されていったもの、という理解でしょう。このような発想を共有しつつ、本書の各章では、ヨーロッパ各国史の専門家がそれぞれの国における戦後民主主義の形成について描いていくものとなっています。 

戦後民主主義の青写真: ヨーロッパにおける統合とデモクラシー

戦後民主主義の青写真: ヨーロッパにおける統合とデモクラシー

 

 次に執筆者の皆さん(成蹊大学法学部の先生方)から『教養としての政治学入門』を頂いておりました。ありがとうございます。成蹊大学のオムニバス講義をもとにした初学者向けの教科書で、網羅的というよりは面白いトピックを並べて解説していくというスタイルになっていると思います。しかし美味しいところをこうやって書いちゃうと来年以降の授業が大変じゃないすか(笑)とか思いつつ。みなさんそれぞれの分野で大変ご活躍されている方々だと思いますが、12人の活躍する政治学者をそろえてる大学ってすごいですよね。 

教養としての政治学入門 (ちくま新書)

教養としての政治学入門 (ちくま新書)

 

 千葉大学佐藤健太郎先生・関西大学の若月剛史先生からは、『公正から問う近代日本史』を頂きました。ありがとうございます。経済(史)、政治(史)、社会(史)、思想(史)といった分野で公正というテーマを問うという、非常に重要な問題に取り組まれてた共同研究だと思います。何が公正か、フェアか、というのはいちがいに先験的に言うことは難しくて、文脈に応じて公正さを解釈していく必要があり、歴史的な事実を踏まえてそれを確認するのは非常に重要な仕事であるように思います。自分自身も最近住宅の研究などをしているわけですが、たとえば「公的賃貸住宅の経営における適正な利潤とはどんなものか」、といったようなイメージで、公共的な財・サービスを公正に(フェアに)利用するというのはどういうことか、ということを考えることが増えてきました。少し長期で取り組みたいと考えている課題ですので、本書をぜひ参考にして勉強してみたいところです。 

公正から問う近代日本史

公正から問う近代日本史

 

編者の岩崎正洋先生をはじめ、執筆者のみなさまから『大統領制化の比較政治学』を頂いておりました。どうもありがとうございます。以前、やはり岩崎先生をはじめとする研究チームでポグントケ&ウェブの『民主政治はなぜ「大統領制化」するのか』を翻訳されたわけですが、そのテーマを引き継ぎつつ、日本での「大統領制化」presidentializationについての研究を深化させるプロジェクトを進められているということかと思います。もともと議論の対象となっていたヨーロッパの国々だけではなく、日本を含めロシア・イスラエル・トルコなど周縁の国における「大統領制化」を議論しているのはこの本の貢献ということになるのでしょう。また、個人的には、岩崎先生の書かれた1章で、もともとの「大統領制化」論が、ヨーロッパにおける政党衰退論以降の政党政治におけるリーダーの位置づけをどう考えるか、という議論から始まっていたのに対して、もともと政党の弱い日本では政党研究というより執政制度の分析という文脈で論じられているのではないか、という指摘が興味深いと感じたところでした。

大統領制化の比較政治学

大統領制化の比較政治学

 

編者の品田先生・水島先生・永井先生をはじめ執筆者の先生方から『政治学入門』を頂きました。どうもありがとうございます。政治学教科書という「商品」を考えると「商売敵」になるのですが、個人的にはこの教科書は非常に面白く感じました。正直、どういう風に執筆者を揃えたのかよくわからないのですが(すみません)、本当に第一線でいろいろなお仕事をされているみなさんが、コンセプトを共有して教科書書いてる印象があります。具体的に言えば、序章で説明されている、方法論的個人主義の相対化、理論と実証のバランス、民主主義の強調、というような特徴が確かにどの章でも意識されているなあと感じたというか。だいたい一人一章にするとなんかバラバラになりそうなもんなんですが。一つの理由は、章の尺が結構長いっていうことがあるようにも思います。データやグラフもふんだんに利用されていますし、取り上げられてるトピックについてきちんと説明されている印象もあります。ひょっとしたら好みの問題なのかもしれませんが、教科書というだけでなく、読み物としても面白いものになっていると思いました。 

政治学入門 (学問へのファーストステップ 1)

政治学入門 (学問へのファーストステップ 1)

 

 次はアメリカ政治の教科書です。編者の岡山先生・西山先生と、執筆者の西川先生から『アメリカの政治』を頂きました。どうもありがとうございます。本書では初めに総論として歴史・思想、統治機構、選挙と政策過程、という前提となる知識が扱われ、そのうえで争点として人種とエスニシティ、移民、ジェンダーセクシュアリティー、イデオロギー社会福祉、教育と格差、規制、財政と金融、科学技術、外交安保、といった問題が取り上げられています。アメリカは日本にとって最も関心を持たれる国のひとつなわけで、何が起きてるかについて内在的に理解することへの要請は少なくないわけですが、本書の総論を読んで理解したうえで、個々に問題になってくる争点をその時々に応じて読む、というような利用の仕方もできそうです。 

アメリカの政治

アメリカの政治

 

さいごに京都大学の近藤正基先生から、『教養としてのヨーロッパ政治』 を頂きました。どうもありがとうございます。「教養としての」とあるわけですが、カバーする国はいわゆる西欧諸国にとどまらず、旧社会主義国である中東欧や旧ソ連地域、トルコなども含んでいるうえに、それぞれの国の政治体制、社会経済政策、外交安保政策、移民政策などを基本的にカバーした本になってます。私なんて教養どころか知らないことばっかりですみません…という感じになってしまいそうですが。類書で思い出すのはやはり29国という多くの国を取り上げた『ヨーロッパのデモクラシー』ですが、あちらが主に政党政治、政党間競争について注目しているのに対して、『教養としてのヨーロッパ政治』は政策について半分以上のページを割いていることが特徴といえるように思います。

教養としてのヨーロッパ政治

教養としてのヨーロッパ政治

 
ヨーロッパのデモクラシー

ヨーロッパのデモクラシー

 

*1:我々の教科書を引用していただいてありがとうございます!

イデオロギーと日本政治

少し前ですが,早稲田大学の遠藤晶久先生から『イデオロギーと日本政治-世代で異なる「保守」と「革新」』を頂いておりました。どうもありがとうございます。もともと英語での著書として書かれたものを日本語に翻訳して出版されているもので,若年層と高齢層で政党のイデオロギー位置についての認識に差異が生じるという本書の分析結果は,2014年にその原型が論文(『アステイオン』80号)として発表されたときからすでに注目を浴びていたように思います。参議院通常選挙が近づいている中で,選挙での選択には直接関係しないかもしれませんが,イデオロギーという観点から政党の位置づけを改めて考えるのにも非常に有益になるのではないでしょうか。

本書では,様々な世論調査のデータを用いて,世代ごと・グループごと,あるいは章によっては国ごとに,有権者がどのようなイデオロギーを持っていると考えられるかが議論されていきます。「イデオロギー」とは定義が難しいですが,本書では「有権者が政治的な世界の意味を理解し,様々な政策争点について政党の立場の違いを理解し,それにしたがって投票所で選択をするための地図を構成する,その枠組み」(p. 14)と定義されています。もう少しざっくり言えば,色んな主張をしている複数の政党を一元的に比較する尺度という風に考えてもよいでしょう。そのようなイデオロギーは,「右派-左派」「保守-革新」「保守-リベラル」など色々な呼ばれ方をします。その違いは,対象とするイデオロギーが何に規定されているか――安全保障に対する態度,経済政策に対する態度,価値観に対する態度,中央集権・地方分権に対する態度などによって規定されると考えらていれます――によって異なりうるわけですが,呼ばれ方はともかくまあその軸はざっくり言うと重なっていく(=一元的な尺度として理解できる)と考えられてきたわけです。日本について具体的に言えば,改憲か護憲かという安全保障での「右派-左派」と,小さな政府か大きな政府かという経済次元での「保守-革新」,伝統的価値観かジェンダー平等のような新しい価値観かという価値次元での「保守-リベラル」みたいなものがまあ大体重なると*1。実際,イデオロギーの測定の仕方は違うのですが,長年にわたる朝日新聞の調査を見てみると有権者の政策位置は中道を中心に分布していて,自民党が「右」,野党が「左」という傾向にあることがうかがえます。

www.asahi.com

本書の分析を通じた発見は,日本におけるイデオロギーが,基本的に安全保障次元(改憲自衛隊容認か護憲・自衛隊否認か)の対立に基礎づけられていたこと,そして冷戦が終わり1990年代の政治改革を経て,高齢層は従来と同じような形でイデオロギーを用いて政党の政策位置を認知する傾向を持つのに対して,若年層はそもそもイデオロギーを通じて政党間の差異を認知するのが難しくなっており,かつ「保守-革新」のようなイデオロギーでは高齢層と異なるかたちで政党を配置している――伝統的に「革新」として認知されてきた共産党が「保守」の方に位置付けられ,「保守」と理解されがちな日本維新の会みんなの党などを「革新」として認知している――ことが示されています。イデオロギーのラベル(右-左,保守-革新,保守-リベラル)が重なっているかどうかを議論した5章・6章は特に興味深くて,右-左を使うと高齢層から若年層まで比較的同じような順序で政党を配置するものの若年層には「わからない」が頻発し,保守-革新が従来のイデオロギーと違って政党が改革志向かどうかという次元で捉えられていることが示されます。

これはちょうどこの前のエントリでの,参議院選挙の対立軸について経済教室に寄稿した内容とも重なってきます。伝統的な左右の定義に挑戦するような新しい対立軸――このブログのエントリでは生活保障-社会的投資ですが,現状維持-改革と重なるところもあるでしょう――が出現して,二つの軸によって政党の政策位置が理解されるようになるのか,と。もちろん,これまでも「脱物質的価値」のように,そのような新しい軸の議論はあったわけですが,左右のイデオロギーがその争点を吸収し,次第に直交ではなく一軸上に収斂するかたちで理解される傾向があったともされます(3章)。現状の日本を考えると,左派・改革(社会的投資),右派・現状維持(生活保障)というグループが弱くて*2,左派・現状維持(生活保障) vs. 右派・改革(社会的投資)という軸に収れんする可能性がないわけではないでしょう。とはいえ,現状で若年層が伝統的なイデオロギーとは違うかたちで政党の政策位置を捉えている中で,政党の方がどのようにその支持を取り付けるか,ということが焦点になることを,本書は示唆しているように思います。

このような対立軸だけでなく,本書は多くの読みどころがあります。とりわけ,しばしば指摘される「若年層の右傾化」というようなことはデータ的には全然言えなくて,むしろ(他の国と比べるとそれほどでもないものの)「左傾化」しているという指摘(8章)は非常に貴重なものではないでしょうか。しかし自民党も野党(民主党)と同程度に左派の票を獲得することができているような状態で,しかも若年層において従来のイデオロギーによる政党の理解が弱まり「改革」を訴える右派(自民党も含む)への投票もしばしば行われています。本書の見立てでは,野党の方がそのような若年層を取り込むことができない中で「若者が政党支持を決めるときには,自民党化他の政党か無党派かという選択ではなく,自民党無党派かという2択しかない」のであり,だからこそ投票参加した人のなかでは自民党への支持が大きくなり,「右傾化」しているようにも見えるのだろうということになります。個人的にも納得できる解釈であり,この若者との関係をどのようにつかむか,ということが野党にとって最も大きな課題となることを強く示唆しているように思います。 

イデオロギーと日本政治―世代で異なる「保守」と「革新」

イデオロギーと日本政治―世代で異なる「保守」と「革新」

 
Generational Gap in Japanese Politics: A Longitudinal Study of Political Attitudes and Behaviour (English Edition)

Generational Gap in Japanese Politics: A Longitudinal Study of Political Attitudes and Behaviour (English Edition)

 

*1:中央地方軸は微妙で,ヨーロッパなんかの文脈では一般的に右派は地方分権=身近な範囲での自治を主張するのに対して左派は集権的に福祉国家を進める,という感じなのですが,日本だと右派が集権を主張して左派が地方分権を主張するねじれみたいなのがずっとあるような気がします。

*2:右派の生活保障は,日本の文脈だと公共事業ということになるでしょうか。

経済教室への補足

7月2日付けの日本経済新聞・経済教室に『参院選で何を問うのか(下)将来を巡る対立軸 意識せよ』というコラムを寄稿しました。選挙前の記事という「ナマモノ」で,本来そういうのを書く能力に乏しいのですが,せっかくのお話なのでチャレンジしてみました。普段の地方政治や住宅などに関するコラムの場合には論文・本で言ってることをベースに書いてると思うのですが,今回は『二つの政権交代』以来細々と続けている研究がベースで,たまたま同じ日経新聞2年前の経済教室最近の記事*1でのアイディアを発展させて書いているような感じです。

まあ前半の参議院選挙制度がもたらす個人投票の話や各政党のマニフェストの話はいいのですが,後半の生活保障-社会的投資の軸については,2年前の経済教室でも取り上げたHausermannさんらの研究をもとにしています。最近のヨーロッパの福祉国家研究の成果ということで,現在大学院のゼミでも勉強しているThe Politics of Advanced Capitalismの議論――潜在的な支持層というのは,基本的にこの本のアイディアですね――と寄稿しているような人々,特にJane Gingrichさんの研究に依拠する感じで整理してみたつもりです。論文を一本紹介するなら,

Gingrich, Jane, and Silja Häusermann, 2015, “The Decline of the Working-class Vote, the Reconfiguration of the Welfare Support Coalition and Consequences for the Welfare State,” Journal of European Social Policy, 25(1): 50-75.

ですかね。前にもツイッターで触れたことがありますが。また,社会的投資については,最近同じ経済教室での田中拓道先生のコラムが出ていたほか,現在日本で精力的に研究されている濵田江里子先生のコラムがちょうど昨日発表されていました。後者についてはヨーロッパで論じられている社会的投資を超えて,「社会への投資」を,という意欲的なものだと思いました。

The Politics of Advanced Capitalism

The Politics of Advanced Capitalism

 

コラムの中ではあんまり細かく触れることができなかったのですが,従来の左派-右派という軸が,日本で護憲-改憲という軸と重なってくるのと同じように,新しい生活保障-社会的投資という軸は,これもヨーロッパで論じられているGAL(green-Alternative-Libertarian)vs TAN(Traditional-Authoritarian-Nationalist)軸とも重なってくるように思います。GAL-TANの方はきちんと研究を進めているというわけでもないのであくまでも印象論ですが。これはいわゆる左右でのポピュリズムみたいなものとも絡めて議論されることがあるようですので,ここから日本におけるポピュリズムの位置づけ,みたいなものを考えることもできるのかもしれません。

最後のところ,財源はともかく一度社会的投資の分政府を大きくしてみるという論が立たないか,ということを書いています。これは財政赤字が深刻な中で非常に書きにくい話ではありますが,投資によって将来のリターンを得るという考え方とセットであれば議論の余地が広がるのではないか,ということです。もちろんこの手の賢い支出Wise spendingについてはずっと主張されつつも政治過程でのゆがみが入るために難しいということはしばしば指摘されています。しかし政党の主張として,政治過程における個々の政党の思惑を統制して賢い支出をするんだ,という議論自体はできるんじゃないかなと。

蛇足ですが,経済政策については専門外で,もう20年くらいこのよくわからん議論の観客をしているだけでしたが,それでも最後に触れてみたのは,最近のリチャード・クーさんの『「追われる国」の経済学』を読んでいると改めて示唆されるところが多かったからというように思います。本質的には彼が言ってることは20年前と変わってるわけではなくて,長年の一観客としてはRichard Koo is baaack! という感じを受けたのですが*2,そこで示されている理論的展開は政治学者としても非常に興味深いものでした。追う国と追われる国という「質的な違い」が経済政策の違いをもたらす,というような議論は,今の経済学ではなかなか受容されないような気がしますが,特に質的な変数に興味がある政治学者としては裨益するところが少なくないと思います。直接論文に利用することができるのかはよくわかりませんが…。

*1:こちらは関連記事をまとめたものを本として出版されるそうです。

令和につなぐ 平成の30年

令和につなぐ 平成の30年

 

 

*2:個人的には,最近のMMTの議論とリチャード・クーさんがどう絡むんだろうということにもやや興味があったのですが,現在のところ絡んでいる様子は全くないような感じでした。観客の感想としては,支出先についての関心が違うということなのかなあ,というところでしたが。この辺の話はやはり昨日発表されていた元日銀理事の早川英男氏のコラムにもあってなかなか興味深いところです。

(行政)組織の実証研究

主観的には仕事をしてるつもりでも,何かやってもやっても終わらない感じになっていて,そのために頂いた本の紹介も滞ってるんですが久しぶりに。

もうずいぶん前になってしまいましたが,首都大学の伊藤正次先生はじめ著者の先生方から『多機関連携の行政学』を頂いておりました。どうもありがとうございます。本書では,しばしば伝統的な行政学で強調されがちな行政機関の一元系統化,つまり組織の担当と責任を明確にして二重行政が発生しないような状況を作り出すことではなく,行政における「冗長性」redundancyの意義を強調する研究となっています。日本的な感覚だと複数の担当者の「調整」が大事だよねー,というのはあるわけですが,いわゆるNPMの世界でも機関間の競争が積極的に評価されることにもなります(責任を持つ機関が1つだけだと競争が起きずモラルハザードが起こりうる)。その割に,日本では「二重行政」に対しては批判や嫌いという声一辺倒という感じで,その状況に一石を投じる研究ということにもなるのではないでしょうか。

具体的に対象としているのは児童虐待防止,児童発達支援,少年非行防止,公共図書館,労働基準監督,消費者保護,就労支援,地域包括ケアシステム,といった分野です。とりあえず見えてきた傾向としては,海外の先行研究では行政機関で働く「人」の要素が注目されるようですが,本書の分析結果によれば日本では関係機関間の連携を規律する「制度」や会議体という「場」の果たす役割が大きい可能性があると論じられています。もちろん今後の研究が必要,ということになるわけですが,発展がとても期待できる分野なのではないかと思います。 

多機関連携の行政学 -- 事例研究によるアプローチ

多機関連携の行政学 -- 事例研究によるアプローチ

 

 東北大学の青木栄一先生はじめ著者のみなさまから『文部科学省の解剖』を頂きました。どうもありがとうございます。本書では,幹部に対するサーベイ調査の結果を軸としながら,省内に地方自治体も含めた他の機関との人事的な関係,そして庁舎の配席図などもデータとして使いながら文部科学省について検証がされています。もちろん,文部科学省だけのサーベイではわからないことも多いわけですが,分析から明らかになった傾向としては,「国益に基づく判断が可能であると考え,効率性や政策評価に対して消極的であることや,関係団体やいわゆる族議員との関係は良好だが,官邸との距離は遠く,財務省との対立が深いといった姿」(2章要旨)が浮かび上がります。官邸との距離の遠さは5章でも描かれていますし,全体として普及しているイメージに近いような気がしますが,回答に技官が多いことや局長級の回答が少ないことなどでこのような姿がもたらされている可能性もあるという留保がされています。

その他,地方自治体をパートナーというより規制対象と捉えがち(3章),政策面では他府省との関係で消極的・内向的であるものの人事的には一定の自律性を持つ(4章),文部系と科技系の分立的な状況が続いている(6章・8章),旧科技庁の機能が総合調整から「司令塔」へと性格を変えつつ予算を増やしている(7章),といったところでしょうか。近年,政策過程の研究はともかく,個々の行政組織の研究が少なくなっているところがあり,それは一般的・理論的な意義を見出すのが難しいということと関係しているとは思います。他方で2000年初頭の省庁再編の成果を検証して次に生かすという時期でもあるはずで,難しいとしてもこういう研究が積み重ねられていくことは重要であるように思います。 

文部科学省の解剖

文部科学省の解剖

 

 もうひとつ,関西大学の坂本治也先生から共編された『現代日本市民社会』を頂いておりました。どうもありがとうございます。このタイトルの書籍が「組織の実証研究」として紹介されることに違和感を持つという方もいるかもしれません。しかし,坂本先生が以前編者として出版された『市民社会論』でもそういう傾向があり,この本ではさらに強調される形になっていると思いますが,政府や企業と異なる社会における組織-具体的にはNPO法人であり公益法人・一般法人,協同組合,学校法人など-を検証・分析することで,日本の市民社会について論じられています。データとして,経済産業研究所が4回にわたって行ってきた「サードセクター調査」の結果が利用されていて,様々な研究者による興味深い知見が提出されています。

日本のこの手の組織というと,従来の公益法人が,主務官庁の規制のもとに官庁の延長として仕事を行う,といったことがイメージされやすいと思います。本書では一方でそのような「主務官庁制下の非営利法人」を分析しつつ,近年存在感を増している「脱主務官庁制の非営利法人」,そしてもうひとつ伝統的な「各種協同組合」に類型化して,属性や人的資源,財政状況,政治・行政との関係,持続と変容などを分析しています(第1部)。そのうえで,歴史的な観点から非営利法人を分析する2つの章を挟んで,それぞれの関心からデータ分析を行う章が続く構成になっています。

市民社会」と言えばどちらかというと「市民参加」,ひいてはボランティアや無償の奉仕みたいなこととすぐに結び付けられやすいように思いますが,前著と同様に「組織」に注目して議論するのは「市民参加」の方にやや偏りがちな印象もある日本の市民社会論でとても重要な貢献のように思います。個人的にも,一般法人や公益法人というちょっと捉えどころのない組織のガバナンスに興味を持っているところがあり,興味深く拝読しました。ちょうど最近この分野の古典的な著作であるThe Ownership of Enterpriseが翻訳されたこともありますし,改めて市民社会セクターにおける組織についての関心が高まるとよいのですが。 

現代日本の市民社会: サードセクター調査による実証分析

現代日本の市民社会: サードセクター調査による実証分析

 
企業所有論:組織の所有アプローチ

企業所有論:組織の所有アプローチ