角を矯めて牛を殺す?

ああ,そろそろアクセスカウンターも20000ヒットだなぁ,と思っていたら,id:branchさんの続・航海日誌にリンクを貼っていただいてから,この細々やってるブログで見たことのないようなアクセスがあって,吃驚してしまいました。いやぁ,影響力のあるウェブサイトというのは違うんですねぇ…。
さて,福田新総理(しかし支持率すごいですね…)が総裁に選ばれてから微妙に盛り上がっているのが,来年度から導入される75歳以上の高齢者医療制度の議論。僕も前に書いたことあるのですが,来年から,75歳以上の後期高齢者については別立ての医療制度を作ることとされていて,そこでは高齢者についても医療への応分の負担が求められるようになっている,とされています。で,これが予算編成ともからみつつ,高齢者の負担を過重に強いて「格差」の元凶になるとして槍玉に挙げられている,と。

◎新政権、財政再建路線を踏襲=高齢者医療費の負担増が焦点に
26日に正式に就任した福田康夫首相は歳出削減に意欲を見せるとともに、「国民生活と直結する分野は民主党と協議したい」と語り、消費税増税を含めた税制改革にも前向きな姿勢を示す。このため、福田政権でも小泉政権以来の財政健全化路線に大きな変更は見られない。一方、参院選での大敗を受け、福田首相地域活性化や弱者対策の必要性を強調しており、歳出削減路線との両立が求められる。中でも来年4月に控えた高齢者医療費の負担増の凍結が焦点として浮上。また、衆参両院で勢力図の異なる「ねじれ国会」で、予算編成のスケジュールにも不透明感が漂っており、2008年度予算編成は波乱含みの展開となりそうだ。
(中略)
高齢者負担増、与党は「凍結」
さらに、高齢者医療費の負担増をめぐる論議も予算編成の焦点となりそうだ。高齢者医療費については、70〜74歳の窓口負担を1割から2割に引き上げることが決定済み。来年4月からスタートする後期高齢者医療保険制度でも、75歳以上の高齢者のうち、サラリーマンなどの世帯に扶養されている人は新たな保険料負担が生じる。
ただ、参院選での大敗を受け、福田首相自民党総裁選で負担増凍結の検討を表明。公明党も制度の見直しを求め、自民、公明両党の政権合意では「凍結について早急に結論を得て措置する」との文言が盛り込まれた。政権合意では障害者自立支援制度の見直しや児童扶養手当の一部削減の凍結なども盛り込まれた。
これらの措置を実施すれば、単年度で1000億円程度の国費負担が必要になり、シーリングの枠組みが崩れる可能性も。政府内ではシーリングの枠外での対応や補正予算での手当てを求める声も出ている。
こうした動きに対し、額賀財務相は「政府・与党で議論し、将来世代にツケ回ししないよう、体制をつくっていく必要がある」と強調。シーリングで定めた圧縮額(2200億円)の増額も含め、赤字国債の発行に頼らない形での対応を求めており、今後は財源対策も含めた具体策が予算編成過程で議論されそうだ。
(後略)
9月28日 時事通信・官庁速報

確かに,新しい制度を導入するときに,高齢者は従来の被扶養から外れて,新しい「後期高齢者医療保険」に加入することになるので,そのときに保険料が発生することになります。しかしこのような保険料負担が発生することから,「新しい制度は高齢者の負担を減らす悪い制度だ(だから制度変更をすべきでない)」ということになるのか,といわれると,それは違うのではないかと思います。
なぜなら,「後期高齢者医療保険」ということで高齢者の医療制度を現役から切り離すことの目的は,高齢者の共助によって高齢者の医療費を賄おうとするためではなく,現状でリスクの高いグループのかなりの部分を引き受けている国民健康保険のほうをしっかりと「保険」として成り立たせることに主眼が置かれるべきだと考えるからです。
そもそも,この後期高齢者医療保険という制度が医療にかかるリスクの高い後期高齢者だけで作られているわけで,単体で保険として成り立つわけがなく,保険と呼ぶこと自体どうか,ということはわかります。そして,一度こういう制度が入ってしまうと,最近の健康保険の自己負担率引き上げに見られるように,負担増が不可逆的に進んでいくという懸念があるのはわかります。しかし,新小児科医のつぶやきで議論されているような負担増の問題は,果たして新しい制度の問題なのか,というとそうではないように思います。

医師が反対し憂慮しているのは自己負担の増加だけではないのです。後期高齢者医療制度自体を問題にしています。後期高齢者医療制度が患者にとってメリットがほとんど無いシステムである上に、自己負担がバカみたいに高い制度である事に反対しています。

現在の制度のまま維持するにしても,新しい高齢者医療制度を作るにしても,いずれにせよ相当量の公費を入れない限り,患者の自己負担は高くなることには変わりがないのではないかと思われます。新しい制度によって,極端にリスクの高いグループを独立した課題として扱い,現在の制度ではほとんど機能不全になっている国保の機能を回復するという方向性を否定してしまうのはあまりにも勿体無いと言いますか。うまく高齢者の問題だけを切り離すことができれば,国保(将来的にはこれも都道府県以上の単位でしょうが)については地域の現役世代の共助で運営し,高齢者の医療についてはどの程度の公費を投入するかはあくまでも政治的な判断によって決める,というかたちで腑分けすることが可能になると思うのですが。
確かに,後期高齢者医療制度を導入したとき,都道府県単位の広域連合の責任が明らかになり,高齢者の医療費を抑えるインセンティブが働くことになるかもしれません。そしてその結果,高齢者のみが十分な医療を受けられない,という状況が出現する可能性もあるでしょう。しかし,その前提としては,我々有権者が医療費を抑える政治勢力に対して支持を与える,という前提があるわけで,逆に言うと有権者高齢者医療に対する公費の投入を抑える政治勢力を好まないという選好を持つのであれば,必ずしも高齢者医療への公費投入が少なくなり自己負担が高くなるということは起きないのではないかと思います。もし,後期高齢者制度を導入して最終的に高齢者の自己負担が高くなるのであれば,その背後には有権者の医療費を抑制への選好というものがあるわけで,有権者の選択の帰結として受け止めざるを得ないのではないでしょうか。それを無視して,後期高齢者医療制度が悪く現状の制度のほうが好ましいという主張は,却って有権者が選択してきたことに対する責任を不透明なものにするだけではないかと思ったりするわけですが。重要な問題は新しい制度が高齢者に負担を求めるというところよりも,都道府県単位で広域連合を設定することによって,高齢者医療に厚く公費を負担するところとそうでないところが出現し,高齢者(あるいは高齢者を抱える現役世代)が負担と比べて受益の大きいところに集中することを見越して,広域連合が医療水準の切り下げ競争に向かう「底辺への競争」が起きる可能性を持つというところにあるのではないでしょうか。「底辺への競争」を抑えるためには,どこに住んでも限界的な受益と負担が一致するような仕組みが重要になってくるわけですが,少なくとも今回の制度は現在の制度と比べて,このような仕組みを作るための前提条件は満たしている方向に向かっていると思うのですが。