民主主義を装う権威主義

東京大学の東島雅昌先生から、『民主主義を装う権威主義-世界化する選挙独裁とその論理』をいただきました。ありがとうございます。こちらは、東島さんが英語で書かれたThe Dictator's Dilemma at the Ballot Box: Electoral Manipulation, Economic Maneuvering, and Political Order in Autocracies をもとにしているものですが、日本語では権威主義の歴史に関する説明なども加筆されているということです。東島さんは、権威主義体制の研究で国際的に活躍されている比較政治学者ですが、本書は権威主義体制の分析でありつつも、現在世界的に「民主主義の後退」が叫ばれる中で、民主主義国の人々にとっても極めて示唆に富むものになっていると思います。

本書で扱っているのは、権威主義体制における「選挙のジレンマ」、つまり、選挙は権威主義体制のリーダーである独裁者にとって、その支持を明らかにして体制を強固にしたり、独裁者を支持しないのが誰かを可視化したりするというような便益をもたらす一方で、反対勢力が大きいことを示すことで独裁者を窮地に追い込む可能性もあるという選挙の機能です。独裁者は、自分に対する支持がどの程度か、言い換えると「ガチ」で選挙したらどのくらい支持を調達できるかということを考えながら、選挙に対する介入を戦略的に行う存在であるとされます。そのうえで本書では、十分な資源をもってそれを分配することで支持を調達できる独裁者は不正に頼らず(比例代表での選挙でも勝負できて)、逆にそれが困難となる場合には露骨な選挙干渉も含めた介入を実施するということが論じられていきます。もちろん、過剰な介入を行うと国内の反発を招いて指導者交代につながることもあるわけですが。

このような主張について、数多くの権威主義体制の国を含めた多国間データの計量分析で検証していくわけですが、本当に様々なデータセットを利用し、何重にも頑健性を確認しながら進めていくやり方は本当に勉強になります。さらに、比較歴史分析として、カザフスタンキルギス共和国という二つの国の歴史を検討し、独裁者が天然資源のコントロールを確立した前者では、比例代表制が導入されて以降広範な動員が行われてあたかも「民主主義国のように」公平な選挙が行われ、それによって独裁者が信任されていく一方で、後者では財政資源の不足などによる弱体化の中で動員が難しくなり、小選挙区制のもと過剰な選挙操作が行われて大規模な抗議運動につながると指導者の交代に至る、ということが例示されています。

自分自身が日本政治を研究しているので、本書を読みながらどうしても日本政治と重ねながら考える部分がありました。本書でも書かれているように、民主主義体制と権威主義体制は全く質的に異なるものというよりは、重なって区別しがたいような部分もあるわけです。現状の日本では、あからさまな選挙不正こそないものの、全体として野党がまとまりにくかったり、現職が有利だったりという、政権党に有利な選挙制度の構成になっていて、それを利用しながら政権党が大差で勝利して信任を得る、という部分があるのは一定の類似性を感じてしまうところです。とりわけカザフスタンは、選挙制度的にも財政資源的にも、政治改革以前の日本政治とも重なるところが大きいなあ、と。とはいえ、カザフスタンとクルグスタンのような比較可能性はないわけですから、安直な連想に浸るのは慎んだ方がよいとは思いつつ、民主主義国においてもそれを「装う」ことになる危機感を感じながら本書を読むことはできるだろうと感じるところはありました。

 

 

選挙・政治学教科書

3月末でようやく2年間の管理職業務も一応終わり。最後だし3月に入ったらまとまった時間もできるかと思っていたけどやや甘かった。やっぱり大学での業務があるということになるとどうしても時間がとられることになる。そして今年は統一地方選挙の年なので、4年に1度の取材が多い年…。

それはともかく、このところ本の紹介が滞っているのですが、少し以前にいただいたものをまとめてご紹介します。まず中京大学の松谷満先生に『ポピュリズムの政治社会学』をいただいておりました。橋下徹河村たかし小泉純一郎という「ポピュリスト政治家」として考えられる政治家を誰が支持しているのかという問題を議論するものです。分析としては、支持者の階層的な特徴は見られず、不安や不満といった心理的要因の影響もなく、新自由主義や政治不信も共通要因ではない、というよく聞く「ポピュリズム」論で強調されがちな議論を否定しつつ、支持者側のポピュリズム態度が重要であると議論されています。要するに、「ポピュリスト的な市民がポピュリスト政治家を支持していた」(183)というわけですが。

松谷先生の以前の研究では、社会的ミリューという概念に注目しながら新自由主義や政治不信とポピュリスト支持の関係についてしばしば論じられていたと思います。だいぶ前に樋口直人先生とかがやっていた「知事研究会」というのがあって*1、私もよく勉強させていただいていて、あとがきにもご紹介いただいているように、2010年代前半の筑波大でやった選挙学会でご報告をお願いした経緯もありました。他方、今回のご著書では、共通する要因として、階層や意識ではなく、ポピュリスト態度に示されるような民意を速やかに実行してほしいという「様式」が重要であるという見方が示されるものになっています。対象となった選挙ではいずれも「ポピュリスト政治家」が多くの支持を集めていたために、有権者の意識レベルでの差が出にくそうな難しさはありますが、定まった結論というよりは測定や分析方法も含めて、今後もさまざまな検討が行われていく問題であるように思います。

善教将大・堤英敬・森道哉・山本健太郎の各先生方から『2021年衆院選-コロナ禍での模索と「野党共闘」の限界』をいただきました。ありがとうございます。選挙区に注目しながら有権者の選択を分析するシリーズで、今回はミネルヴァ書房から法律文化社に出版社が移っています。タイトル通り、全体的に野党共闘の話が中心になっていますが、その中で善教さんは大阪10区で人気・知名度が高い辻元清美氏が、なぜ個人人気が高いのに負けたのか、という興味深い分析をしてました。個人の人気や認知度が高くても、有権者が個人投票ではなく政党投票をすると負けてしまう、という話なわけですが、個人の人気の高さや政党投票の重要性などをいろいろ工夫しながら検証しているのが勉強になります。

辻元さんといえば、担当編集者からこちらの本もいただいておりました。政党投票で押し流されてから、参議院で再起を図るまでの過程で、女性の過少代表やヘイトスピーチなどの問題への関心が強調されながら、改めて政治の役割を模索する様子が記されています。個人的には国交副大臣時代の国鉄の労働問題解決で国交省そして財務省と協力していくところが面白かったですね。そういう協力関係の経験がたくさんあると良いのでは…と思うところではありますが。

西山隆行・平野淳一・松尾隆佑の各先生方から『図録 政治学』をいただきました。ありがとうございます。30くらいのトピックについて、重要な要点を中心にA4で2~6ページくらいで簡潔にまとめ、豊富なグラフをつけるという新しいタイプの教科書です。自部も書いてますが、教科書って言い切るよりも間違っているといわれないように微妙にディフェンシブに書きがちなところがあるように思いますが、この教科書はひとつひとつのトピックが短く簡潔ということもあって、説明がとても明確になっていると感じます。なんというか試験が作りやすそうというか…。コロナ禍でオンライン授業をするようになってから、学部では選択式の問題の小テストを作ったりしてるのですが、その時にも参考になりそうな気がします。

著者の先生方から『よくわかる比較政治学』をいただきました。こちらは「やわらかアカデミズム」のシリーズで、比較政治学のトピックを見開きで解説している教科書になります。上の『図録 政治学』よりもひとつひとつのトピックが限定的であり、また、最近の比較政治学の教科書は理論的な説明が多い傾向にあるような気がしますが、こちらは理論的な説明に即した事例がかなり豊富になっています。例えば「民主化」とか「政軍関係」のようなまとまりがあるのですが、まず理論的なトピックを2・3説明したうえで、事例が2・3続くような感じです。政治の現象はやはり個別の事例に即していかないと理解できないことも多いわけで、わかりやすい事例を提供して理解を促す、というのはやはり重要だと感じるところです。本書くらい様々な地域の多様な専門家が数多く(30人以上)参加するのは簡単ではないですが…。

*1:久しぶりに見ようとしたらウェブサイトはなかったです。

行政学・地方自治

2月は逃げるということで,始まったと思ったらもうすぐ終わっちゃうわけですが,ちょっと前からいくつか行政学地方自治関係の書籍を頂いていました。まず版元と著者の先生方から『行政改革の国際比較』を頂いています。ありがとうございます。こちらは,帯にもあるようにしばしば参照される行政学のテキストの翻訳です。一般的な行政学のテキストというと,各章で政府の役割とか人事管理とか規制とか財政の問題とかが議論されるわけですが,こちらはそういう各論はあんまりやってなくて,ヨーロッパの国々での「行政改革」から何を学ぶかということが主眼になっています。

内容は,New Public Management(NPM),New Weberian State(NWS),New Public Governance(NPG)という3つのモデルに言及しながら行政改革の分析を進めるようなスタイルが採られています*1。この辺の行政改革理論史は十分に理解できてないのですが,特徴としては,急進的・楽観的なNPMに対しては批判的で,より漸進的に現代化を目指すNWSを提示しているのがPollittらの特徴,という感じでしょうか。本書でも触れられているように,ネットワークを重視するNPGみたいな話をモデルとして強く言うのはOsborneらの2010年の研究だということなので。

NPMを強調するHughesとかの議論では(本書でもちょっと批判されてますが),伝統的な行政管理とは異なる公共経営は多かれ少なかれマネジメントとかネットワークを強調するという点を共有していて従来と違うんだ,という感じですが,本書の場合はそこまで楽観的にマネジメントを捉えずに,それが抱えるジレンマとか困難についても語り,特に楽観的なやつをNPMとして分類しているような気もします。個人的には,相違点よりも共通点の方が重要で,どちらかと言えばHughesの感じの方がすっと入ってくる気もするのですが,しかし本書については,そういうマネジメントの困難も理解しながらそれでも行政改革を論じていくんだ,という姿勢があり,そういう意味では行政改革について懐疑的な感覚を持ちつつ読むというのが良いようにも思います。まあ色々合わせて読むのが良いのかな,という気もしますが。

上記の本の著者の一人,Christopher Pollitt先生とも交流のある山本清先生から,『これからの政策と経営』を頂きました。ありがとうございます。行政学の教科書的な書籍という位置づけだと思いますが,管理よりも政策と経営という概念が前面に出ているのが特徴だと思います。よく考えると,HughesとかのNPM本ではあんまり政策とか政治の話が出てこないのに対して,Pollitt and BouchaertではLijphartが引用されていたり,政治的な意思決定との関係が強調されているのが特徴で,山本先生の教科書でも(個々の政策というより)政策過程・政策サイクルについて半分くらい書かれているのは問題意識を共有されているところなのかな,という感じがします。後半の「経営」についても,日本で公共経営の教科書というと,どちらかというと経営学者(田尾先生とか)が書かれている印象が強い中で,行政学の流れで経営を強調して書かれているのは貴重な本だと思います。

著者の湯浅孝康先生と山谷清秀先生から,『地方自治入門』を頂きました。以前に佐藤竺先生らが中心となって作られた教科書の改訂というかたちだそうですが,これは「地方自治」についてのとても使いやすい教科書という印象を受けました。特徴として,「地方自治」にフォーカスが当てられていて,反対にあまり中央地方関係の記述は出てきません。正確には出てこないわけじゃないのですが,地方の側から見たかたちで記述されているように感じます(財政のところとか)。手前みそではありますが,これって,私も参加した『地方自治論入門』で意識していたことでもありまして,自分の授業ではとても使いやすそうだと思ったところです(といいつつ,『地方自治論入門』も実は改訂作業中ですが)。あと,『テキストブック地方自治』でもそうでしたが,情報の管理や災害・危機管理の章ができていて,地方自治を考えるときにこの辺の章が入るのがだんだん標準的になっているんだなあという感じを受けるところです。

明治大学の牛山久仁彦先生からは,『大都市制度の構想と課題』を頂きました。ありがとうございます。大都市制度改革の経緯やそこで出てきた論点として,議会や委任される政策(ここでは児童福祉),都市内分権などが前半で扱われ,後半では現在数少ない「特殊な」大都市制度であるところの都区制度についての分析が行われています。都区制度と言えばいつも出てくるごみ(環境)・消防のほか,新型コロナウイルス対応で連携が問題視されることが多かった保健所行政について扱われているのは本書の新しいポイントと言えるように思います。将来新しい大都市制度を構想するなら,ここで扱われているような議論が一つの前提になるということでしょう。

大阪公立大学の阿部昌樹先生から,『地域自治のしくみづくり』を頂きました。こちらは必ずしも大都市の都市内分権に限りませんが,地方自治体の枠組みとは違う地域自治をどうやって作るかについて,事例を紹介しながら考えるものです。最近では,PTA,消防団労働組合…と色々中間組織が批判されることがあり,加入率も落ちているということが指摘されるわけですが,そういった中で複数の中間組織をまとめながら地域の自治を築いていくような事例というのは興味深いものだと思います。広い意味で,この紹介の冒頭にあるNew Public Governanceというものではないかというようにも思いますが,そういった協議会を考え,運営していくときの入り口として,あるいは自治体の側が自治組織をどういう風に捉えているのか,ということを理解するヒントとしても活用できるのかもしれません。

同志社大学の山谷清志先生から,『協働型評価とNPO』を頂きました。ありがとうございます。山谷先生が岩手県立大学にいらしたころから岩手に拠点を置く政策シンクタンクを作り,20年間にわたって活動してきた記録でもあります。ご専門の政策評価を中心に行うNPOということだそうですが,大学で研究・教育をしながら長年にわたってNPOの運営に携わるというのは本当にすごいことだと思います。評価のような活動は,どうしても事業を行う自治体の意向に左右されがちになるところがありますが,岩手県だけでなく,盛岡市北上市などの自治体でも事業をされているということで,複数の自治体のニーズに答えつつ,一定の持続可能性を持って自律的なNPOの運営が行われることは,それ自体が自治体の境界に拘束されない自治のしくみのひとつのモデルのように感じます。

最後に,中央大学の礒崎初仁先生から,『地方分権と条例』を頂きました。これまでに書かれてきた論文をまとめた論文集で,分権改革と条例,政策法務と条例,土地利用と条例の3部に分かれています。それぞれの論文のあとに,現在の著者からのコメントがされているのも面白いところです。行政学の研究ではありますが,行政法とかなり交錯するところで,地方分権を経て,自治体の組織,あるいは地域の人々を法律(条例)という道具を使ってどのように動かすかということを考えるものでもあると思います。個人的にも,第3部の土地関係のところは正直よくわからないところが多いのですが,本書では,法律・条例だけではなく調整メカニズムについての記述も豊富であるとともに,説明も縦割りで行われがちな都市計画/農地なども横断的に論じられていて参考になるところが多いと思います。ぜひ勉強したいと思います。

*1:確かだいぶ前にこの前の3版をざっくり読んだ記憶はあって,そのときはNWSってどういうもんだ,ということで読んだのであんまNPGについては覚えてなかったのですが,今回の4版では主にデータのアップデートが中心となっているようで,スタイルは3版と同じということだそうです。

政治史研究

年末は休みが短いもののオフにするぞ,と思ってシャットダウンしたらなかなか再起動できないままに1月も半ばになってしまいました。大学行政関係の仕事とルーティンの調査をやっているだけでアップアップという感じですが,リハビリを兼ねていただいた本の紹介を。ここのところ政治史の研究書をよくいただいておりました。

青山学院大学の小宮京先生からは『語られざる占領下日本』を頂いております。ありがとうございます。ハーバード大から内務省ノンキャリとして入って戦後は警察のトップに行った谷川昇,戦後直後の知米派としての三木武夫,河井弥八日記から見るフリーメイソン,そして小説吉田学校田中角栄,とどれも非常に興味深い4つの章から,これまでに十分明らかにされてこなかった戦後日本の苦闘について論じるものです。個人的には三木の章が面白かったです。三木があまり英語をしゃべるイメージはなかったのですが,アメリカ滞在経験を軸にGHQとつながっていくというのはあんまり考えたことがなく,従来とずいぶん違う戦後史の見方のもとになると思いました。やはり従来といえば,白洲次郎もありますが,宮沢が英語通として出てくるイメージが強いと思うのですが,本書ではそんな感じで宮沢が出てくることはなく,自分自身が持っているイメージは「保守本流」の宏池会(というか文書を残していった官僚なのかもしれません)が中心に形成されているんだろうなあという感じを受けたところです。

大東文化大学の若林悠先生からは『戦後日本政策過程の原像』を頂きました。ありがとうございます。こちらは修士論文をベースにしたものということですごいですね。前著は気象行政に注目した行政史,今回は海運(計画造船)に注目した政策史ということで,必ずしも盛んに研究されるテーマではないわけですが,行政史・政策史における意義付けが明確にされているうえで,非常に手堅い資料分析をされているもので興味深く読みました。社会の側から政府に対して何かを求める運動が生じ(この場合は造船のための資源配分),それが政策過程の中で制度化されていく過程を描き出しているわけですが,意義の一つとして以下のように「議員・政党の介入」「非難回避」という本書の分析視角の有効性が挙げられているわけですがこれは現代においても非常に示唆的だと思います。今ってそういう「運動」はあんまりないのかなあ,どうなんだろうと思っていたところですが,「アベノミクス」はそうなのかもしれません。

「議員・政党の介入」の視角が,制度や政策に対する既存秩序を流動化させ再編成を図る政党側の論理(政治の論理)を象徴するものであり,「非難回避」の視角が秩序を合理的に維持しようとする官僚制側の論理(行政の論理)を象徴するものとすれば,二つの分析視角を用いることは,政治と行政の交錯過程を顕在化させるうえでも有益であった。

連想ゲームみたいにやや飛ぶのですが,科研プロジェクトでご一緒している帝京大学軽部謙介先生からは『アフター・アベノミクス』を頂きました。歴史資料に基づく政治史というよりはジャーナリストとしてインタビューや公表された資料などを基にこの10年の「アベノミクス」を追跡されてこられた三部作の最後となります。最後は安倍総理の襲撃事件で幕が閉じるものとなっているわけですが。本書で描かれている過程は,アベノミクスがまさに既存の制度や政策を流動化させる運動であり,政治の側で金融から財政へと力点が変わったり,インフレ目標やPB目標の扱い方も変化させる一方で,行政の側が何とか平仄を合わせながら秩序を見出していこうと模索しているもののように読めました。

次に,版元の吉田書店から,稲吉晃先生の『港町巡礼』を頂きました。ありがとうございます。「港町からみた政治史」ということで,15の港町が一章ずつ取り上げられています。僕自身『領域を超えない民主主義』で港湾都市を扱っているわけですが,そこで出てくる函館・下関・大阪が扱われていますし,しばしば調査で関わりのある(あった)神戸や長崎といった都市が出てくるのも興味深く読みました。つい自分の本に引用するならどの辺だろうか,とか言う目線で読んでしまうわけですが,下関が北洋漁業の基地で,マルハニチロがらみで函館ともつながりがあるというのは十分に理解していなくて,それを知っていたらもう少し書くことができたかも…と思ってしまいました。最後のところで,港が国内政治と国際政治をつなぐ重要な要素であったものの,中央の政治過程で必ずしも重要な位置を占めたわけではなく,地方において政治と経済の狭間にいる企業家や地方政治家が重要になる特異性があるというのは面白い指摘だと共感しました。だからこそ地方政治のテーマにもなるのだろうというようにも思います。

次も吉田書店さんですが,帝京大学の渡邉公太先生から『石井菊次郎』をいただきました。渡邉先生はすでに研究書として石井菊次郎を中心に第一次大戦期の外交についての著作があるわけですが,今回はその中心であった石井の評伝を書かれています。僕自身の知識は(前も似たようなこと書いてますが)「石井・ランシング協定」の名前くらいしか知らないわけですが,本書では,陸奥宗光小村寿太郎という戦前の外交家を引き継ぐ存在として描かれています。有名な協定自体,本書の真ん中くらいに出てくるものであって,石井がその後国際連盟軍縮交渉などマルチの国際交渉で活躍しつつ,満州事変では「転向」とも批判されるような満州国擁護を展開していくところも描写されていきます。優れた外交官が国際協調を志向しつつも,自国の国益擁護が中心的な主張になっていくところは,あとがきにもあるように,国際平和の維持の難しさを示すものであるようにも思います。

こちらも帝京大学の中谷直司先生から『国際関係史の技法』を頂きました。ありがとうございます。国際関係史・外交史の方法論についての教科書で,理論的な説明だけではなくて,文書をどう使うかとか,検索の仕方や文献リストの作り方,具体的なメモやノートの取り方・使い方など実践的な方法についても触れられています。4章は1941年のアメリカの対日政策の解釈を具体的な事例にしていて,まさに上述の石井菊次郎の後半部分で対象としているところとも重なってくるものでした。自分もあるいは自分が指導している学生もなかなか国際関係史を直接研究することはなさそうですが,参考にさせていただきたいと思います。

昨年末にも紹介しましたが,東京大学の牧原出先生からは『田中耕太郎』を頂きました。ありがとうございます。東大教授・文部大臣・参議院議員最高裁長官・国際司法裁判所判事,というなんかすごいキャリアを歩んだ田中耕太郎の評伝です。特に戦後の最高裁長官時代の業績で,「反動」という評価がされることもあるわけですが,本書は田中をカトリックの信者というバックボーンをもつ独立した「自由主義者」としてそれぞれの仕事を描き出す,非常に興味深いものとなっています。日本政治という観点からは,文部大臣・参議院議員から最高裁長官,という辺りが面白いわけですが(今ではたぶんあまり考えられないキャリアだし),本書の白眉は国際司法裁判所判事時代の記述にあるように思いました。大臣も議員も最高裁長官もやった人が,若干畑違いで,しかもそれまでの権威もあんまり通じないようなところで仕事をするっていうのは想像するだに大変のような気がしますが,そこで法律家として,独立した個人として仕事をしていくところを描くのは,本書の「自由主義者」としての田中像を説得的なものにしているように感じるところです。

とりあえず最後(長い…)ですが,甲南大学の三谷宗一郎先生から,『戦後日本の医療保険制度改革』を頂きました。ありがとうございます。医療保険制度改革の歴史については,実は自分自身も論文を書いたことがある分野でもあって,とても興味深く読みました。制度改革を議論するときに,官僚として参照する「政策レポジトリ」があり,それを医療保険制度に関わる代表的な官僚であった吉村仁氏や和田勝氏が関わりながら作っていたというのはまさにそうなんだろうと思います。厚生官僚としては,やはり一元化というか負担の均霑への志向というのはあって,しかしながらすぐにそういうことはできないから(by吉村氏),その場をいかにしのぐ(大)改革をするか,ということが重要になるところがある,というのが浮き上がるように感じます。

本書の中心的なトピックではないのですが,医療保険制度改革が基本的に事務官の歴史になっているところが日本/厚生省らしいと感じるところがあります。現在のコロナ禍にもつながる問題ではありますが,専門家としての医系技官が制度改革とかで出てこないというのは重要な特徴だと思います。最後に少し唐突に出てくる入院事前審査の問題はまさにこの点と関連しているのではないかと思いましたが,医療行為への保険者的な規制をするという志向はもともと少なくて,この1990年代の事例はそれがスパッと抜け落ちることをうまく示唆したものであるように感じました。一元化が志向される一方で,保険者機能の強化みたいな話はなかなか出てこないわけですが,制度改革における医系技官の不在は,その背景に医療そのものをコントロールする意思と手段があまりない(意思はあってもお金を通じたコントロール)ことを際立たせるようにも読めました。

仕事納め

今日は学部で取れる人は有休をとるということで,実質的に昨日の授業で今年の仕事納め的な。今年は昨年に続いて管理業務を中心によく仕事をしたのではないかと思う。一応2つの学会事務局は大過なく引き継ぐことができ,教務委員長仕事も(こちらはバタバタとしているものの)来年度の授業計画がほぼ揃ってきたので,3月の終わりがようやく見えてきた。管理業務にめどがついてきた一方で,今年はいわゆる社会貢献的な業務が増えてきたような感じ。役所・民間を通じた審議会や研究会・勉強会などが多くなってきていて,色々難しさを感じることが少なくない一方で,できることがあればお手伝いをしたいと感じることも多い。ただこちらも割と重いのがあるのでもう増やせないけど。なんか12月に入ってからあんま元気なくていつの間にか12月が終わってしまった感じだし。

研究のほうでは,今年の前半,5月ころまでは単著の執筆・調整に可処分時間のかなりの部分を取られたほか,4月以降からイギリス国際共同研究が本格化してきたのが大きい。国際共同研究プロジェクトをあまりやったことがないのにマネジメント業務を仰せつかっていて,正直大変だけれどもコミュニケーションもふくめて勉強になる。10月には友人がエクアドルから来ていて関連の手続きやイベントなども増え,これまでになく英語を使う年になった。と言いつつ,英語で論文を書く時間はなかなか取れず,単著のほかは6月ころに『公共政策研究』への論文,8月に科研プロジェクトの論文を書いたというくらいが主な研究活動で,その他は割と長めのエッセイを『地方自治』『地域開発』『すまいろん』『UP』に書いたという感じ。著書は2019年の年末あたりにもうちょっと書いてまとめたい,と書いているわけだけど,そこからコロナ禍への突入もあり,結局3年弱かかったことになる。ただ一応これまでの研究に一つの区切りをつけることができたという感覚はあるので,来年は気持ちを切り替えて新しい研究に取り組みたいところ。なおその単著をはじめ,今年出版した書籍は以下の通り。

今年印象に残った本,というのを考えると,このブログで紹介してきた本をはじめいろいろ多かったのですが,新書で印象に残るものが多かったように思います。一冊というと難しいですが,最近牧原出先生に頂いた『田中耕太郎』は非常に面白かったです。対象となっている田中氏について一般的な知識しかもっていなかったのですが,さまざまな組織の中で中核的な役割を担いながらその組織を運営していく思想や方法が一貫して描かれているとても優れた評伝です。あとがきでも書かれているのですが,高い独立性が持った個人がいかに制度を運営させていくか,作動させていくかということを考えるときに非常に大きな手掛かりになるのではないかと感じました。個人的にも,最近ガバナンスやマネジメントといった概念に改めて関心を持つようになっているのですが,田中氏が文部大臣や最高裁長官として,一定の独立性・自律性を持つマネジメントを行おうとしているというのは,最近の日本ではあまり見ることができないタイプのマネジメントではないかと思います。その点で,「田中が忘れられていることに,日本社会で独立性を問い直す力の貧弱さが見て取れるともいえる」(283頁)というのは本当にその通りで,商法や国際法といった田中氏が直接専門としていた分野からではなく,行政学の観点からでないとこれを浮き彫りにできないことが非常に説得的であったのではないかと思うところです。

 

陰謀論

京都府立大学の秦正樹先生から『陰謀論』を頂きました。どうもありがとうございます。拙著のあとがきにも,本書のあとがきにも書いていますが,秦さんは私が大阪市立大学に常勤教員として着任して初めて持った「行政学」に出てた学生の一人で,彼が当時神戸大学大学院に進学しようとしていたこともあって当時から長く付き合いがある人です。秦さんはすでに計量政治学,そしてこの陰謀論という新しいテーマの研究でよく知られる人になっていますが,個人的にはいわば初めて担当した学生の一人でもあるので,その初の著書というのはちょっとした感慨があります。

本書については,やはりタイトルのインパクトが強く,そして中公新書の帯も非常に印象的です。そして,世界的な流れでもありますが,陰謀論というのがこれまで必ずしも学術的な研究の対象として注目されてこなかった中で,それをきちんとした手続きを踏んだ分析の対象として扱う,というのはチャレンジングな試みだと思います。ポイントはやはり個々の陰謀論の内容について精査するとかそういう話ではなく,人々がどのように陰謀論を受容するか,という形で分析していくところにあります。しかし陰謀論とされるものを信じてるというのは多くの人にとってなかなか認めがたいところもあるわけで,通常の調査とは異なる手法で調査を行う工夫が必要になってくるのですが,そこは秦さんが培ってきたサーベイ実験の手法を用いて迫っていく,と。どのように工夫していくかはまさに本書の読みどころの一つだと思います。

そうやって工夫して行われる分析は,読者の予想や期待を裏切ってくる興味深いものがあります。第2章では,しばしば陰謀/論の巣窟とされるTwitterのようなSNSの利用が必ずしも陰謀論的な信念を高めるわけではない(特に若年層で),ということが示されます。他方で第三者効果,つまりTwitterを使っている自分以外の人たちが陰謀論的信念を受容しているだろうと考える,というのはもはや却って皮肉の効いた分析結果ともいえる気がします。また,第5章では,一般に陰謀論に対して耐性があると考えられやすい政治知識を持った人々が,却って(政治への関心から?)それらしい陰謀論を受容してしまう,ということが示されていますが,これも通常の予想とは違うものになっていると思います。

3章・4章で分析されている日本における「保守」「リベラル」と陰謀論の関係はとても示唆的なところが多いと思います。日本では,イデオロギーなんていうのは政党も絡むしあんまり関わりたくないものだ,と敬遠されることが多いような気もしますが,本書の分析を読むと,ざっくりしたイデオロギーで政治について適当な認知をしておくというのはそれなりに意味のある事のように感じます。もちろん,イデオロギーに深くはまり込んでいろいろな現象についてそこから動機づけられた推論motivated reasoningを行うことの危うさは本書でも繰り返し指摘されているわけですが。適当な認知をするのが難しくて,自分で調べたものとしてはまり込むか全く無関心か,というのもなかなか不安定な話で,ざっくりしたイデオロギーを提供できる程度の政党の存在意義を示すという民主主義への含意もあるように感じます。もっとも,これも他の研究から政党について考えることが多い自分自身のmotivated reasoningかもしれませんが。

領域を超えない民主主義

宣伝ですが,新著,『領域を超えない民主主義-地方政治における競争と民意』を東京大学出版会から刊行させていただきました。東京大学出版会書籍紹介のページには詳細な目次が,そしてnoteでは冒頭の1章1節が掲載されています。

本書では,「なぜ日本では大規模に合併をやったりしてるのに,自治体間の連携はなかなか進まないんだろう」というような問いを考えていて,その理由を政治制度に求めようとしています。その話は基本的に1章で先行研究と日本の政治制度を中心に検討するかたちになっていて,ざっくりというと,いわゆる二元代表制,SNTV中心の選挙制度,集権分散的な財政システム…という辺りが地方自治体間の連携を困難にしているのではないか,そしてそのような政治制度が「民意」・正統性をめぐる競争を強く引き起こしてしまい,都市の活力を削いだり決定の安定性を損なったりしてしまうのではないか,といったことが論じられています。この辺は,日本語タイトルよりも英語タイトルFragmented Democracies: Competition and Legitimacy in Japanese Local Politics の方が感じが出ているようにも思います。

各章は,これまでにいろいろなところに書いてきたオリジナルな研究をまとめて整理し直したものです。必ずしも理論的に導いた仮説を各章で実証する,というわけではなく,設定したストーリーを,多面的に,なるべく立体的に検証しようと考えるものです。そういうスタイルで書いた研究書はこれで3冊目ということになり,地方政府の機関間関係,政党を通じた中央地方関係に続いて,今回は市をはじめとした地方政府間の関係についてまとめることになりました。それぞれの本では,元の論文をまとめる過程で,本を貫くコンセプトというものを意識していて,1冊目は「現状維持からの変化」,2冊目は「政党ラベル」が重要でしたが,今回は「分裂した意思決定」がそれになっています。考えてみると,1冊目はGeorge TsebelisのVeto Players,2冊目はJonathan RoddenのHamilton’s Paradoxに強い影響を受けたわけですが,今回はRichard FeiockのSelf-Organizaing Federalismや一連の論文,集合行為の裏側としての「分裂した意思決定」という感じですかね。自分でも一つくらいはそういうコンセプトを考えてみたいものです。

本書でとりあえずこれまでやってきた研究は一区切りかなあという感じがしています。不十分なところもたくさんありますが,『分裂と統合の日本政治』を書き終わったときのように次に何を書こうというアイディアや材料もない状態ですし。書くとしたらもう1冊,これまでの研究を基礎に中央地方関係を含めた福祉国家の話を考えたいと思うところですが,なかなか手掛かりもありません。最近は今更ながら行政学,公共サービスの分野についての関心が強くなっていて,ようやく2年にわたる管理業務も終わりが見えてきたので,しばらくはこの分野について勉強しながら少しずつ論文を書きたいなあ,と(福祉国家ともつながるかもしれないし)。まさに理論的には同じようなアプローチで,同志社大学の野田遊先生がPublic Administration Reviewから日本の自治体間連携(ごみ処理)をテーマに論文を出版されるという素晴らしいお仕事をされていて,それを見習いたいなあと思うところです。